見出し画像

雨の日のシューマン幻想

仕事に手がつかず、遠くのカミナリの音を聞いていたら、思いがけないことに「子供の情景」が聴きたくなった。

まったくシューマンを聴きたいと思うなどということ自体が珍しくて、交響曲全集もサヴァリッシュだのバーンスタインだの、かたちばかり持っているようなもの。要するにあまり好みではないのだ。ピアノ協奏曲だけは例外だけれど……

そう思ってラックを見てみたところ、我ながらあきれるくらいある。アルフレッド・コルトーの1947年録音、クラウディオ・アラウ、ホロヴィッツの1987年盤、アルゲリッチ、リーズ・ドゥ・ラサールや小林愛実もある。「好みではない」などという主観が、どれだけアテにならないか。

* * * * *
結局、手に取ったのは、マリア・ジョアン・ピレシュの1984年盤。この録音のなにがいいかというと、一曲目の一音目の「シ」(H)である。この音が、わたしにとってベストなのだ。

深々と「カーン」となってはいけない。かといって、ヨタヨタと始まってもいけない。一音目が大事だなんて、そりゃそうだろうって話だけれど、けっこう違うのだ。

ピレシュの「子供の情景」は(他の曲でもそうだけれど)、表情をつけすぎない。どちらかというと端正なほう。響きを豊かに保ちながら、「激情」とか「哀愁」みたいな安直さに溺れない。風通しがいいシューマン。サヴァリッシュの交響曲にも共通しているが、そういったほうがわたしは好きだ。

* * * * *
「「見知らぬ国」なわけよ。「夢の国」でもないし、「ボケた人々」でもないの」

わたしの先生は、わりあい口が悪かった。「ボケた人々」を弾いたつもりはなかったが、一音目に「気合が入りすぎる」とよく注意されていて、気にして弾こうとしたら、「ボケた人々」ときた。『子供の情景』を、全曲通しで弾いたのは、中学生の終わりくらい。まあ、こちらの技術が足りなかっただけの話だ。

雨の日は、右目の奥だとか、頭頂から3センチほど下のあたりが少し痛む。「気圧頭痛」というやつだ。痛むというより、なんだかそのあたりがブヨブヨとむくんだのかな、といった様子で不快になる。こうなると、仕事をしようにもあまりうまくいかない。そんなコンディションで聴いているのに、アタマには譜面が浮かんでくる。いったい何十年前のインプットなんだか。

5曲目の「幸せいっぱい」には、たいそう苦しめられた。右手、左手、中音としょっちゅう顔を出す主題を、どう聞かせるか。たった1分そこそこなのになぁ、と思いながら、ああでもない、こうでもない、とやった。

終曲は、「詩人は語る」。リタルダンドとフェルマータがあちこちにいて、1拍目が落ちていて……

「この曲は、拍感がないの」という声がまた聞こえる。ピレシュの演奏を聴いていると、ごく自然に流れているようだけれど、でもたしかに、4拍をとれない。ここまで自然に拍感を消せるんだなぁ、と感心していたら、知っている通りに曲が終わった。

いいなと思ったら応援しよう!

坂村史帆 応援ありがとうございます!あなたのサポートが、これからもベストを尽くす励みになります!

この記事が参加している募集