【非公開記録744】 無職が教えてくれない無職の真実
SNSやエッセイ空間において、自らを「レールから外れた無職」として演出し、自虐や哀愁を交えながら語るコンテンツが後を絶たない。
いわゆる「自虐的無職ナラティブ」と呼ばれる表現形式だ。一見すると、個人の赤裸々な苦悩や現代社会における生きづらさの吐露のようにも見えるが、その実態を冷徹に検証するならば、そこにあるのは看過できない構造的な歪みと、底抜けに単細胞な世界観である。
結論から言えば、この種のナラティブが伝える「無職の真実」とは、社会の
リアルな構造を完全に無視した絵空事であり、その解像度の低さは有害なノイズでしかない。こういう「自虐的無職ナラティブ」を知人に語る無職やSNSで誇張したナラティブを語る人々は有害である。
■ 4割というマジョリティを「例外」として消費する欺瞞
まず直視すべきは、日本における「無職(非労働者)」の圧倒的な規模感である。総務省の労働力調査などのデータを見れば明らかだが狭義の失業者だけでなく、高齢者、専業主婦・主夫、学生、病気や療養によって労働市場の外にいる人々を含めた非労働人口・無職層は、広義では全人口の4割近くに達する。日本社会において「今まさに賃労働をしていない状態」にある人間は、決してマイノリティではなく社会構造の極めて大きな構成要素である。
それにもかかわらず、自虐無職ナラティブの語り手たちは、自らを「社会の規格外」「ドロップアウトした異端児」として描きたがる。数パーセント程度のマイノリティであれば、その特異な生き様を個別のナラティブとして語ることに一定の文脈を見出すこともできるだろう。
全人口の4割を占めるマスに対して自らを「レールから外れた特別な存在」と位置づけるのは統計的事実に対する決定的な解像度の欠如である。実態としてはマジョリティ側、社会構造的グラデーションの一部にいるにもかかわらず、あえて「私は例外的な敗者である」というポーズをとることで一種の特権的な被害者ポジションやロマンティシズムを享受しているにすぎない。
仮に「自分が働かないと迷惑がかかる」と思い込んでいたとして社会のほぼ半数の人々が賃金労働者として生活していない実情をどうその人は説明するのでしょうか。迷惑をかけているのはむしろそういう現実から乖離した自己中心的自虐ナラティブを語り続けることでしょう。
■多様な無職の現実を均質化する暴力性
無職になる背景や理由は極めて多様であり、年齢、キャリアの選択、育児や介護、心身の健康問題など、そこには複雑なグラデーションが存在する。しかし、自虐無職ナラティブは、そうした個別具体的な背景や構造的な要因をすべて削ぎ落とし、「無職=怠惰、あるいは社会に適応できなかった悲劇の主人公」という平板なステレオタイプに回収してしまう。
このステレオタイプが流布されることで、実際に生きづらさを抱えている人々や、構造的な理由で労働市場から離れざるを得ない人々が、言語化しづらい抑圧や疎外感に直面することになる。
自虐を気取った語りが、結果的に同じ無職の状態にある他の人々をも「社会の落伍者」としてひとくくりにしその尊厳や個別性を踏みにじる暴力として機能しているという構造に、語り手は無自覚すぎる。
■呆れるほかない単細胞な二項対立の茶番
さらに引いた視点から見れば、この手の語りが生み出す構図そのものに強い違和感が残る。他者からすれば、世間の人間が「バリバリ働いている人」だろうが「無職」だろうがどうでもいいというのが実情だ。
世間が好むのは、分かりやすい「勝ち組・負け組」「労働者・非労働者」という単純な二項対立のプロレスでありそのグラデーションや個別の事情をすくい取る知性など端から期待されていない。
逆にいうならば「この思考回路で現実を認識している人々とは話したくない」と他者に思わせてしまいそれが結果的に社会的分断に繋がっているとしか言いようがない。つまり社会的に排除される人は無職だろうが有職だろうがさして変わらないということだ。
バリバリ働いている側も、自虐に浸る無職側も、お互いが脳内で作った薄っぺらな「他者の像」をサンドバッグにして自己確認に勤しんでいるだけで、
外から見ればどちらも同じ穴の狢である。
この解像度の低い人がSNSで作り出した話はどちらも似たようなくだらない現実を無視したストーリーしか構成できない。「私は可哀そうです」「私は活躍しています」いわばそれだけだ。結局のところ、人間が社会を見る解像度をどこまで落とせるかという耐久レースを見せられているようでその視野の狭さと思考の世界観の単細胞っぷりには呆れるしかない。
「私仕事を辞めて何者でもなくなってしまいました」という人がなぜ社会的に孤立するのかといえば働いている時も働いていない時も社会的な解像レベルが低いので誰と話しても話が通じないからです。
つまり無職になる前から即に孤立していたということです。まともな人であればそんな話は1ミリも思いつかない。そういう話を話すか否かではなくそもそもそういう思考回路になっている時点でその人は誰も友達などおらず毎日頓珍漢な発想で社会から排除され続けるのです。
現代の雇用環境や社会保障の不備といった構造的な課題から目を逸らさせ問題をすべて「個人のメンタルや適性の問題」へと矮小化するこの手のナラティブは、社会全体の知性を低下させるだけである。安易な自己陶酔型のファンタジーから脱却しまずは現実の解像度を上げることから始めるべきだ。
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