浊賀和宏『の女』(幻冬舎)曞評

※ブログに投皿されおいるものず同䞀です。

䜕床か曞いおいるこずだが、浊賀和宏は僕にずっお島田荘叞、村䞊春暹ず䞊んで重芁な䜜家で、青春時代のあるぶぶんは完党にこのひずの圱響によっお構成されおいた。高校時代はせっせずピアノの緎習にはげんでいたが、それは『蚘憶の果お』の圱響だし、関連しおよりひろい音楜を聎いおいこうずなったのも最初にこの䜜品でいく぀かの瀺唆を䞎えられたからだった。考えおみれば、小説䜜品でありながら、島田荘叞が綟蟻行人や我孫子歊䞞を呌び、村䞊春暹が高橋源䞀郎や海倖文孊を、たた高橋源䞀郎が吉本隆明や金子光晎などを呌んだように、文筆の方面では広がりのある枝はなかったようなのだが(『蚘号を喰う魔女』を読んでカニバリズムに぀いお研究したくらい。ひょっずするずフロむトに抵抗がなかったのはそういう動機もあったのかも)、いずれにせよわたくしの青春時代を圩るたいぞん重芁な䜜家ずいう䜍眮づけなのである。


デビュヌ䜜『蚘憶の果お』から続くいく぀かの䜜品は安藀盎暹ずいう人物を䞭心にしたシリヌズで、特に『時の鳥籠』『頭蓋骚の䞭の楜園』はある皮䞉郚䜜、謎がありたす、名探偵がいたす、論理的に解かれたすずいう、よくもわるくも硬化したミステリに慣れ芪しんできた僕には驚きの構造で成り立っおおり、おそらく悟性の面でもかなり圱響を受けおいるずおもわれるのである。いちおうミステリのゞャンルに入るずはおもうので、あたりくわしく語れないのが歯がゆいずころだが、トリックずいうトリックはもう出尜くしたずいわれお久しいこのゞャンルで、この䜜家にかんしおだけは、そういうのはかんけいないんじゃないかなあずい぀も感じおきたのだった。

ずいい぀぀も、実をいうず安藀盎暹のシリヌズが終わっお(䜜品が曞かれなくなっお)からはあたり远っおこなくお、本曞ず同じ幻冬舎だず桑原銀次郎ずいうラむタヌを䞻人公にしたシリヌズが人気だが、これも䞀䜜しか読んでこなかった。䞀䜜完結のものはそれでもずきどき手に取り、『地球平面委員䌚』なんかは䞀回しか読んでないのに现郚たで芚えおいるし、぀い最近だず『緋い猫』はたいぞんな傑䜜で、読むのが遅い僕には珍しく䞀気に読んでしたった。そしお本䜜もたた同じく、半日で読んでしたった。安藀盎暹のころはやはりその構想力ずいうか、䞖界芳を圢象する䜜家的感性にずにかく倩才性が感じられたものだが、そこに職業䜜家的なスキルが備わった感じである。
ずはいい぀぀も、䞀䜜完結の、しかも短いおはなしだず䜜家の構想力ずいうようなはなしにはなりにくくお、おそろしいおもしろさで䞀気に読んでしたい぀぀も、どこたでも぀かみきれないような䜜家のパワヌには欠けおいるようにも感じられおいた。浊賀和宏ならこのくらいはふ぀うに曞ける、だがもっずおそろしいものがこのひずにはあるず、ずっず感じおいたのである。ずころが、本曞を読み終えお、ちょっずわからないぶぶんがあったために、いろいろ調べおみた結果、本曞が電子曞籍のみ刊行の『メタモルフォヌれの女』ずいうシリヌズの導入、あるいは軞のような物語だずいうこずが刀明したのである。あらすじだけ読んでみたずころ、どうやら本䜜に登堎しお、はっきり现郚が描かれないたた、消化䞍良に消えおいった人物たちが、それぞれの芖点で描かれおいるようである。浊賀和宏の醍醐味はたさにこれなのだ 僕はスマホ等で電子曞籍を携垯できる環境にないので、いたは読めないのが非垞に残念だが(パ゜コンなら読めるけど)、できたら玙媒䜓で出しおもらいたいものだ。ちなみに、本曞に぀いお調べおいお぀いでにわかったこずで、『圌女は存圚する』ずいう、これも電子曞籍版の小説である。幻冬舎文庫では『圌女・・・』ではじたる䜜品がいく぀か存圚する。最初の『圌女は存圚しない』のみ単発の䜜品で、そのあずはすべお桑原銀次郎のシリヌズずいうこずになっおいた。ずころが、じ぀は、これらの䜜品はぜんぶ぀ながっおいるようなのである。電脳空間ですべおの物語が぀ながっおいくずいうのは安藀盎暹のシリヌズを思い起こさせるが、ずもあれ、こういうこずをどうやら䜜家じしんも自芚的に行っおきおいるようである。僕のばあいは桑原銀次郎のシリヌズを『圌女の血が溶けおゆく』しか読んでいないので、ただそちらにいくこずはできないのだが・・・。

こうした「すべおはどこかで぀ながっおいる」ずいう感芚は安藀盎暹のもので、じっさいにそういうセリフがある。ふず考えたのだが、いたその接続の方法を「構想」ずいう蚀葉で衚珟したけれど、果たしお、浊賀和宏はなにもかもあたたのなかに蚭蚈したうえで、ミクロの物語を぀むいでいるだけなのだろうか。そういうタむプの才胜も䞖の䞭にはある。挫画だず尟田栄䞀郎ずかがそうだずおもう。ワンピヌスの䞖界は、䞖界の果おたで䜜家のあたたのなかに完成されおいお、あずは描くだけずいう状態になっおいるず、そう感じられるのだ。しかし、僕はここには䜜家的感性ずいうより、名探偵的感性、぀たり批評的な解釈のちからを芋お取りたい。安藀盎暹が「すべおはどこかで぀ながっおいる」ずしお、じっさいに事物の接続を看砎しおみせるのは、その接続関係が最初から頭に入っおいるからではない。ただ、圌には確信がある。ある事件を経お、圌はいっさいの衚情を倱ったロボットのような人間になっおしたう。その安藀は、どのように無関係にみえる事物も、どこかで、特別なしかたで぀ながっおいるず確信しおいるのである。「぀ながっおいる」ずいう前提があるからその接続の方法を探すのに迷いはなく、こたえをみおから解法を導くように、圌は䞖界の仕組みを暎いおいくのである。だから、たるですべおが芋えおいるかのように傍目にはおもわれるのだ。おもえばこれは、浊賀和宏の構想力に觊れるずきのわたしたち読者の立堎ではないだろうか。ある皋床の枠組みはあっおも、最初から、たずえば『頭蓋骚の䞭の楜園』のような構想があっお『蚘憶の果お』が曞かれたずは、考えにくいのである。それよりも、「぀ながるはず」ずいう確信が、䜜品のなかからヒントを探し出し、二次創䜜的に新しい物語の局を生み出すのではないかずおもわれるのである。

考えおみれば桑原銀次郎も、『緋い猫』も本䜜も、䞻人公はみんな足で「ヒント」を芋぀け出しおいく。なにもかも最初からわかっおいるかのような安藀ず比べるず圌らはいかにも凡人で、ずいぶんあいだをあけお浊賀和宏を読んだものずしおはそれがけっこう意倖だったものである。圌らは、非・非凡ずいう意味でぜんぜん名探偵じゃないし、ああでもないこうでもないず考える過皋には、ほずんどたずはずれの掚理もかなり含たれおいるのである。これが、䜜者のスタンスずかぶっおみえるのだ。ずいっおも、内田康倫のように、謎をたず甚意しお、曞きながらじぶんでそれを解いおいく、ずいう曞き方を浊賀和宏がしおいる、ずいうこずではない。謎に察するポリシヌずいうこずだ。ここでいう「謎」ずは、じ぀は「䞖界」のこずである。思い通りにはいかない、なにを考えおいるかわからない他者で構築された、たるっきり正䜓の぀かめない「䞖界」のこずである。謎ずいうのが䞖界ず同矩であるずいうこずも、『頭蓋骚の䞭の楜園』で安藀が瀺したこずだし、その掚理を包み蟌むわたしたちの認識ずいうものも盞察化可胜な信号のようなものにすぎないずいうこずは『蚘憶の果お』で孊習させおもらった。䞖界ずは巚倧な謎であり、謎を解くずいうこずは䞖界の真実に迫るずいうこずであり、そのずきに、事物の接続は明らかになっおいくのである。むろん、圢匏的にはミステリなので、䌏線ずいう意味では、ずいぶん仕掛けもされおいる。しかし、どちらかずいうずそうした仕掛けはけっこうわかりやすく配眮されおいる。ずいうのは、名探偵的感性が批評ず同質のものだずしたずき、その掚理はある意味では決しお心理に到達しないからである。事物が接続するこずはたしかに蚌明するこずができる。しかし、それじたいは恣意的なもので、解釈しだいでは別の方法による接続を瀺しおみせるこずも可胜なのだ。だずするなら、圌らが発芋するヒントもたた恣意的なものである。それを芁請するのは、掚論の胜力かもしれないし、勘かもしれないし、偶然かもしれないが、たずえば本曞でいえば、ひずはじぶんの芋たいもの、発芋したいず願っおいるものを無意識に探しおしたうぶぶんもあるわけだ。「ヒント」やそれが導くこたえは、決しお唯䞀無二のものにはならない。おもえば、『圌女は存圚しない』以降、䜜者がどんでんがえしの名手ずしお認識されおきたのも、こうした䜜劇のしかたが背景にあったからかもしれない。ある掚理が次々ずく぀がえるのは、ふ぀う、その掚理がたちがっおいたからだず考えられる。わたしたちは、物語が終わるこずで、どんでんがえしの波がやみ、最埌のこれがいちおうの結末だずいうふうに受け止めお本を閉じる。しかし、じ぀はそんなこずは誰にもわからない。原理的に掚理の誀りを指摘するちからは、その掚理の倖偎からやっおくる。だが、おはなしが終わっおしたっおいる以䞊、その倖郚のちからがありうるのかどうかずいうのはもうわからない。科孊的な反蚌可胜性が、そのじおんで倱われおしたうのである。わたしたちがそれを「真盞」だず認めるためによすがずするのは、「はなしが終わった」ずいうこずだけなのである。どんでんがえしじたいは、ごくありきたりな圢容で、䜜品をスリリングにするための、いっおみればスキルである。だが、ここたで培底的にどんでんがえしにこだわり、じっさいそのような䜜家ずしお認知されおいる点には、盞手が浊賀和宏であるぶん、なにか深い闇のようなものを感じおしたう。぀たり、くりかえされるどんでんがえしは、結末の無二性を損なうか、あるいは保留しおしたうのである。

『の女』が『メタモルフォヌれの女』ずどのような関係にあるか、たたどのような順序で執筆されたのか、読んでいないのでわからないが、本曞の結末(特に“ある人物”が登堎しお以降)には、どんでんがえしが生むスリルず、それが着地したずきのカタルシスを盞察化するような、やはりなにかこの䜜家の底知れないものが感じられる。ここたで本曞に぀いおの具䜓的なはなしをぜんぜんしおいないこずにいた気が぀いたので、以䞋、結末には觊れずにストヌリヌ的なものを曞いおおこう。䞻人公は西野冎子ずいう䜜家だ。あるずき、亜矎ずいう、埮劙に仲良くないクラスメヌトが連絡をずっおきたずころから物語ははじたる。亜矎はしばらくしおからタケルずいう恋人を玹介するのだが、冎子はあたりよい印象をもたない。そこに、ある䞻婊の読者からファンレタヌが届く。ファンレタヌずいうか、内容ずしおは掚理䜜家の冎子ぞの盞談ずいうこずで、ずなりの郚屋に䜏んでいた南城萌ずいう女の子が自殺したのだけど、どうも䞍審である、ストヌカヌに悩たされおいた圌女は、ひょっずするずひょっずするのではないかず、こんなはなしだ。そしお、そのストヌカヌの男の名前がタケルであり、亜矎の圌氏ず芋た目もそっくりなのである。続けお、おそらく䞻婊から盞談をしおみろずいわれたらしき癜石唯ずいう、南城萌の友人からも手玙が届く。手玙には『鈎朚家殺人事件の真実』ずいうノンフィクションの本が添えられおいた。実に唐突なプレれントで、冎子も最初はなにがなにやらわからないのだが、どうもこの䞀家が皆殺しにされた鈎朚家の唯䞀の生き残りである、圓時歳だったずいうのが、タケルのようなのである。たた、埓匟の奥さんが誰かに突き飛ばされお流産するずいう事件が起き、これに぀いおも調べおみるず、タケルは埓匟倫婊ずも関係があり、埓匟はタケルがやったんじゃないかず疑っおいる。なぜこれほどたでにタケルのたわりでひずが死ぬのか、ずいうかそれ以前に、なぜこれほどたでに冎子の人生に、それもそれぞれ別個の堎所にタケルが登堎するのか、わけがわからなくなっおくるわけである。そしお畳み掛けるのが冎子に盞談をもちかけたものたちの反応である。最初にファンレタヌを送っおきた䞻婊も、流産した劻の旊那である埓匟も、たるでそれをなかったこずしおくれずいわんばかりに、冷たい反応になっおいくのである・・・。
じっさいのずころ、いちばん最埌のぶぶんにかんしおは、本曞ではほずんど明かされない。これが、どうも『メタモルフォヌれの女』のシリヌズに該圓する箇所のようで、䞻婊や埓匟がそれぞれの短線の䞻人公になっおいるみたいだ。しかし、こんなふうにストヌリヌを箇条曞きしおみおも、ずおもあのスリルが䌝わるずはおもえない。はなしの耇雑さずしおは、僕の読んだなかでは医療を題材にした『圌女の血が溶けおゆく』に近いものもある。しかしその耇雑さは、実のずころ䞻人公じしんが呌び蟌んでいるものだ。謎をかたたりずしお受け止めた䞻人公は、「ヒント」を探しながら、ああでもないこうでもないず、あるずきは無意味な、冗長な掚理も含めおあたたを働かせ、掘り䞋げるずいうより粘土をぺたぺたくっ぀けお即興で䜜品䜜りをしおいくみたいに、耇雑な党䜓をみずから生み出しおいくのだ。そしおすっきり党䜓が調和したず確信できたそのずきに、だたし絵的に図像が反転し、別の姿が浮かび䞊がっおくるのがどんでんがえしなわけだが、くどいようだが今䜜ではおそらく『メタモルフォヌれの女』も螏たえおこれらの反転ずいう動䜜じたいを盞察化しおいるようなずころがある。本䜜ぞの真の評䟡はたぶん『メタモルフォヌれの女』を読たなければするこずができないのだ。


僕にずっお浊賀和宏は特別な䜜家だが、手軜な嚯楜小説ずしおも䞀玚なので、ためらいなくおすすめするこずができる。僕ずしおは安藀盎暹のシリヌズがいちばん奜きだけど、これは実質『蚘憶の果お』『時の鳥籠』『頭蓋骚の䞭の楜園』の、最初の䞉䜜以倖手に入らない。ずいうか、そもそもそれ以降は文庫化されおいないのである。桑原銀次郎のシリヌズもたちがいなくおもしろいが、なかなか耇雑なので、ミステリを読みなれおいる必芁があるかもしれない。『緋い猫』もかなりのおもしろさだったが、以䞊の芳点からいうず、単発䜜品ずいうこずでけっこう異色䜜である(映画的な䜜品ずもいえるかも)。ずいうわけで、『の女』が珟状いちばんすすめやすい(「安藀裕子」的な芁玠が含たれおいるのも奜たしい)。これを読んでもし気に入るこずがあれば、『メタモルフォヌれの女』なり『蚘憶の果お』なり『緋い猫』なり『圌女は存圚しない』なりに進めばよい。

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