「どうせやるなら」の、その先で
「どうせやるなら資格をとろう」
私は、昔からそんなことを考える人だった。
1970年代、まだパソコンが身近ではなかった頃に、私はワープロを始めた。
文字を打つのが面白かった。
「どうせやるなら」と、ワープロ検定を勉強して2級をとった。
ワープロができるらしいと噂を聞いた上司から、書類作成を頼まれるようになった。
それがきっかけで今度は、「秘書になりたい」と思うようになった。
秘書検定の参考書を取り寄せ、独学で2級まで取った。
すると今度は、「字が上手になりたい」と思った。
近くのNHKのペン字教室に週一通った。
ペンを握り、手本を見ながら文字を書く時間が好きだった。
そしてペン字検定も2級をとった。
1995年、Windows95が発売された。
いよいよパソコンの時代になった。
私はワープロからパソコンに移行し、ひらがな入力からローマ字入力に変えた。
Excelの関数も知りたくなった。
「どうせやるなら」と、仕事帰りにパソコン教室に通った。
そして、WordとExcel、それぞれ2級を取得した。
その頃、税金のことにも興味を持ち始めた。
「税理士事務所に就職したい」。
それには簿記を勉強しよう。
私は日商簿記の4級のテキストを取り寄せ、独学で勉強を始めた。
運良く税理士事務所に就職でき、その後、日商簿記2級まで取得した。
顧問先の給料計算をしていた関係で、今度は社会保険が気になってきた。「社会保険労務士の資格を取ろう」
そう思った。
しかし、高卒の私では受験資格が無い。
調べてみると、行政書士の資格を持っていれば社労士を受験できる事が分かった。
そこで、参考書を買い、勉強を始めた。
しかし、勉強する内容が広すぎて、読んでも読んでも、頭の中を言葉が通り過ぎていく。
チンプンカンプンだった。
そこで通信教育を受けた。
それでも難しくて、途中で挫折した。
数年後、社労士の受験資格をもう一度眺めていて、ふと思った。
高卒だから受験できない。
でも、短大卒だったらできる。
「そうだ、短大に入ろう」
私は通信制の短大に入学した。
レポートを提出し、科目取得試験にも出かけ合格した。
東京で行われる3日間のスクーリングにも出席した。
ホテルに連泊し、授業を受けた。
授業が終わると、講師と一緒に飲みに行く人たちもいたが、私はいかなかった。
最終日にテストがあるからだった。
簡単にスクーリングに行けないから私は真剣だった。
そうして少しずつ単位を取っていった。
しかし、長女がお腹にいる臨月に受けた科目取得試験を最後に、勉強が止まってしまった。
何度か留年し、そして、どうしても続けられなくて自主退学した。
その後、3人の子育てで、毎日が慌ただしく過ぎていった。
娘たちが小学生になったころから、漢字検定と日本語検定を子どもたちと一緒に受験するようになった。
一番下の級から受験したから、最初の内は、受験の教室に大人は私だけで恥ずかしかった。
日本語検定も漢字検定もそれぞれ2級までとった。
振り返ってみると、私は一度も1級を取ったことが無い。
広く浅く理解するだけでいいと思っていたから。
ひとつのことを極めるより、知らないことを少しずつ知っていくほうが、私には合っていたのかもしれない。
でも、66歳の今、持っている資格の力量はほとんど残っていない。
「資格を取った」事実だけが残っている。
資格の名前をひとつずつ眺めていると、その頃の自分が少しだけ見えてくる。
ワープロに向かっていた私。
仕事帰りに教室へ急いでいた私。
東京のホテルでテキストを開いていた私。
臨月のお腹を抱えて、試験を受けていた私。
あの頃の私は、
何かを身につけたかったのだと思う。
「どうせやるなら」の、その先で
毎日note連続投稿2664日目
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※優谷美和さんの画像をお借りしました。
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