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デジタル化で消えた、「思い出すきっかけ」

自分で書いた内容を元にして、GPT-5.6-solが生成した記事です。


iPadやPC、クラウドストレージが普及して、以前なら紙で持っていたものの多くをデジタルデータとして保存するようになった。

本、論文、説明書、領収書、昔書いた文章、授業の資料、写真。数千、数万というファイルを持っていても、部屋が狭くなることはない。

これは間違いなく便利である。

しかし最近、この便利さには妙な副作用があるのではないかと思うようになった。

保存した情報の存在そのものを、忘れやすくなった。

本棚にある本は、読んでいなくても存在している

私はiPadでGoodnotesを使っている。

そこに本や資料を入れておくことがあるのだが、普段開かないフォルダへ入れたものは、数か月もするとかなりの確率で存在を忘れてしまう。

消したわけではない。

検索すれば出てくる。フォルダを開けばちゃんとある。

ところが、「そこに何が入っていたか」を思い出すきっかけがない。

これが紙なら少し違う。

本棚に読んでいない本が並んでいる。机の端に資料が積んである。引き出しを開けたら昔のノートが出てくる。

目的のものを探していなくても、生活しているだけで目に入る。

「ああ、そういえばこんな本を買ったな」

「この資料、途中まで読んでいたな」

そんな小さな再発見が勝手に起こる。

デジタルデータでは、それが起こりにくい。

デジタルデータに「実体がない」ということ

もちろん、厳密にはデジタルデータにも実体はある。SSDなら電荷として、HDDなら磁気状態として記録されている。

だから「データには実体がない」という表現は、物理学的には正しくない。

ただ、人間から見たときには、ほとんど実体がないように振る舞う。

1冊の本を保存しても、1000冊保存しても、iPadの見た目はほぼ変わらない。

10枚のPDFが10000枚になっても、机の上が狭くなることはない。

つまりデジタル化によって、情報量と、情報が生活空間の中で占める存在感が切り離されたのである。

紙なら情報が増えれば増えるほど場所を取る。

場所を取るから邪魔でもある。しかし、邪魔だからこそ目に入る。

デジタルでは、その邪魔さをほとんど完全に消せる。

そして私は、この「邪魔ではない」という長所の中に、「思い出せない」という短所が潜んでいるのではないかと思う。

40年以上前から「机の上の紙」には別の役割があると分かっていた

面白いことに、この問題にかなり近い研究が1983年にすでに存在する。

Thomas W. Maloneは、オフィスで働く人々が机や棚、書類などをどのように整理しているのかを観察・インタビューによって調べた。

そこで示されたのが、机上に資料を置いておくことには、あとから資料を探しやすくするだけではなく、未処理の仕事や情報の存在を本人に思い出させる働きもある、という点だった[1]。

つまり、物理的な配置そのものが一種の記憶補助装置になっていたのである。

これはかなり重要な区別だと思う。

現代のコンピューターは「探して見つけること」にはものすごく強い。

ファイル名を検索できる。全文検索もできる。日付でも絞れる。クラウドなら別の端末からでも呼び出せる。

しかし検索には一つ致命的な前提がある。

検索しようと思わなければならない。

存在自体を忘れた資料について、人間は検索窓に文字を入力できない。

検索技術がどれだけ進歩しても、「そういえば、あれがあった」という最初の一歩までは自動的には生まれないのである。

整理すれば解決する、とは限らない

では、フォルダをきれいに整理すればいいのだろうか。

ある程度はその通りだと思う。

個人が自分の情報を保存し、整理し、あとから再び利用する行為は、Personal Information Management(PIM)という研究領域で長く扱われてきた。William Jonesの著書『Keeping Found Things Found』も、いったん手に入れた情報を将来再び利用できるようにするという問題を中心に扱っている[2]。

ただし、今回考えている問題は少し違う。

「必要になった資料を見つけられない」のではない。

必要になる可能性があった資料を、存在ごと忘れてしまうのである。

むしろ完璧に整理して奥深いフォルダへ収納すると、余計に目に触れなくなることさえある。

フォルダ方式とタグ方式を比較した研究では、両者にはそれぞれ異なる長所と短所があることが報告されている。タグ方式では一つの情報に複数のラベルを付け、異なる経路から再びアクセスできるほか、複数のラベルを通じて情報同士の予期しなかった関連性に気づく場合がある[3]。一方、フォルダに移して情報を視界から外すことは散らかりを減らす反面、その情報を忘れることにもつながりうると参加者は報告している[3]。

つまり「きれいに収納されていること」と「思い出しやすいこと」は、必ずしも同じではない。

これは部屋でも同じだ。

押し入れの中が完璧に整理されていても、10年間一度も開けなければ、中身は本人の意識からほとんど消えてしまう。

保存コストが下がりすぎた問題もある

もう一つ、デジタル特有の問題がある。

とりあえず保存することが、あまりにも簡単になった。

紙なら100冊の資料を残そうとすれば置き場所を考える。

デジタルなら「一応取っておこう」で終わる。

近年は、デジタルデータを大量に蓄積し、整理や削除が難しくなる現象を「digital hoarding」として研究する動きもある。

2026年に発表されたスコーピングレビューでは、メール、写真、動画、文書などのデジタル情報が大量に蓄積される現象について、それに関係する心理的・技術的・社会的要因や、削除の難しさなどを含めた研究状況が整理されている[4]。

もちろん、ファイルを大量に保存している人を一律に「デジタルホーダー」と呼ぶべきではない。研究分野そのものがまだ発展途上であり、定義にも幅がある[4]。

一方、167人を対象に個人利用のデジタルデータについて調べた別の研究では、デジタルホーディング傾向の高さと、保存した情報を探し出す難しさとの間に関連が確認されている[5]。

デジタル化によって私たちは「捨てなくていい世界」を手に入れた。

しかし、その結果として、

持っているものを把握しなくても困らない世界

まで一緒に作ってしまったのかもしれない。

では、どうすればいいのか

私は、すべてのファイルを完璧に分類することが答えではないと思う。

必要なのは、保存する仕組みとは別に、思い出す仕組みを作ることではないだろうか。

紙の本棚が自然にやっていたことを、デジタルでは意識的に再現する。

例えば、資料を「保管庫」と「目につく棚」に分ける。

何年保存しておきたいPDFは保管庫へ入れる。一方、今後もう一度読みたい本、考え方に影響を与えた資料、いつか使いたいメモなどは、数十個程度の「目につく棚」に置く。

Goodnotesならお気に入りや専用フォルダでもいいし、PCならショートカットを集めたフォルダでもいい。

重要なのは階層構造そのものではない。

普段使う場所を開いたとき、目的がなくてもタイトルやサムネイルが目に入ることである。

さらに、一か月に一度くらい「昔保存したものを見る日」を作ってもいい。

全部整理する必要はない。

最近開いていないファイルを20個だけ眺める。

昔の写真をランダムに表示するアプリのように、過去の資料をランダムに1つ出してくれてもいい。

情報探索の研究には、最初から探そうとしていたわけではない情報に偶然出会う「information encountering」という考え方がある。オンライン上でのこうした情報との遭遇を調べた研究では、情報の見えやすさやインターフェースなども、偶然の発見に関係する要因として挙げられている[6]。

ならば、自分自身が昔保存した情報についても、意図的に偶然を発生させるという発想があっていい。

「探すための検索」だけでなく、「忘れていたものに再会するための機能」である。

デジタルの本棚には、もっと「散らかる能力」が必要なのかもしれない

考えてみれば、現在のデジタル機器は整理することには熱心だ。

フォルダに入れる。検索する。同期する。アーカイブする。

しかし現実の机には、デジタルにはあまりない機能がある。

机の端に置いた本が目に入る。

別の本を取ろうとして昔の本を見つける。

書類を動かしたら、その下から半年前のメモが出てくる。

効率だけ考えれば、これはノイズである。

だが人間の記憶にとっては、そのノイズが役に立っている可能性がある。

デジタル化によって私たちは、情報の「場所」をほぼ無限に手に入れた。

その代わり、場所が持っていた「存在を主張する力」を失った。

紙の本は読まれていない間も、本棚からこちらを見ている。

PDFはフォルダを閉じた瞬間、ほとんど完全に沈黙する。

だからこれからのデジタル環境に必要なのは、さらに巨大なストレージだけではないのかもしれない。

たまには、忘れていた情報のほうからこちらを訪ねてくる仕組み。

保存したものを永久に忘れないためには、デジタルデータにも少しくらい「邪魔になる能力」を与えたほうがいいのではないだろうか。


参考文献

[1]Malone, Thomas W. (1983). “How Do People Organize Their Desks? Implications for the Design of Office Information Systems.” ACM Transactions on Office Information Systems, 1(1), 99–112. DOI: 10.1145/357423.357430.

[2]Jones, William (2008). Keeping Found Things Found: The Study and Practice of Personal Information Management. Morgan Kaufmann. DOI: 10.1016/B978-0-12-370866-3.X5001-2.

[3]Civan, Andrea, William Jones, Predrag Klasnja, and Harry Bruce (2008). “Better to Organize Personal Information by Folders or by Tags?: The Devil Is in the Details.” Proceedings of the American Society for Information Science and Technology, 45(1), 1–13. DOI: 10.1002/meet.2008.1450450214.

[4]Bravo-Adasme, Natalia, Alejandro Cataldo, and Elizabeth Grandón (2026). “Understanding Digital Hoarding: Conceptual Framework and Future Research Based on a Scoping Review.” Humanities and Social Sciences Communications, 13, Article 1046. DOI: 10.1057/s41599-026-07263-3.

[5]Sillence, Elizabeth, Jordan A. Dawson, Richard D. Brown, Kerry McKellar, and Nick Neave. “Digital Hoarding and Personal Use Digital Data.” Human–Computer Interaction. Published online December 21, 2023. DOI: 10.1080/07370024.2023.2293001.

[6]Jiang, Tingting, Fang Liu, and Yu Chi (2015). “Online Information Encountering: Modeling the Process and Influencing Factors.” Journal of Documentation, 71(6), 1135–1157. DOI: 10.1108/JD-07-2014-0100.

※本文中の研究紹介は、上記文献の文章を転載・翻訳したものではなく、各研究で報告されている内容を参照したうえで、本記事の論旨に必要な範囲を筆者の言葉で要約したものです。

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