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映画『冬の旅』

アニエス・ヴァルダ『冬の旅』(1985、フランス、105分)
原題: Sans toit ni loi


悲痛な内容ではあるけれど、悲惨なだけではなく清々しささえ感じられる。愚かなように見えても、最期まで妥協することなく生き切ったからだろうか?

凍てつく朝、フランスのどこか郊外。畑の溝に凍死体が発見される。まだ若い女性のようだ。彼女はどうしてこうなってしまったのか?ここに至る約1ヶ月ほどだろうか、すれ違った人々の証言をもとに、過去を巻き戻す形で話は進む。

原題を直訳すると「ホームレスであり無法者」。もっと単語を分解すると「屋根も法律もない」という意味で、英題は"Vagabond"(=放浪者)となっていてもう一つの側面をよく表している。邦題はだいぶまろやかにしてあると言えよう。

所持金も住む家も、さらには親族もない18歳のモナは、リュック一つで行く当てのない旅をしていた。ヒッチハイクを繰り返したり、その場しのぎの単純労働で小銭を稼いだり。空き家や廃墟に忍び込み、一夜を明かす。見つからなければペラペラの薄いテントで所構わず寝てしまう。

つっけんどんで向こう見ず、何もかもに反抗的な態度を崩さないが、どこか憎めないところがあり、たまたま巡り会った人たちとの交流も絶えなかった。同じように気ままに流されるようにしていた若者だったり、好奇の目で迎える自動車修理工もいたが、中には心配して親切心から接する者たちもいた。家畜を育てる一家には、土地も手も貸すから作物を育ててみないかと提案される。樹木の病気解明を研究する学者にはなぜか特に気に入られ、助手の職を世話するとまで持ちかけられるも、結局モナは束縛を嫌がり、長く留まることなく出て行ってしまう。

あることないこと口から出まかせを言うのに慣れてしまっているのか、モナの本心は掴み切れず、大学を出て秘書として働いた経験も、天涯孤独の身であることももしかしたら嘘八百なのかもしれないし、身分証のコピーも最初から持っていなかったのでは。本当のところは分からない。

予想に違わずモナの生活は破綻していくが、チーズは現物支給として拝借したものの基本的に盗みはしなかったし、献血の際も提供される食事を欲張ることはなかった。食べる分はしっかり自分で働いていたし、品性を売り渡すようなことは決してしなかった。

青臭いと一蹴されるだろうが、自由とその代償という主題を読み取ることもできるだろう。現代社会において独りであり続けることも一種の贅沢と言えるし、誰にも命令されることなく思うがままに生きようとする選択それ自体は尊いと信じたいが、当然その償いは不可避的にやってくる。
それでも、井戸の水をあげた通りすがりの人が語りかけたように、モナの自由さを羨ましく思える部分もある。一つの場所に落ち着けず、少しでも親しくなりかけたらプイッと去ってしまう癖は、私自身もそっくりそのままなところがあるので、何となく共鳴してしまう。もちろん、気持ちの上では根無草のように漂っているだけのつもりでも、責任はさすがに自覚しているのでこの世に縛りつけられてはいるのだが…。

絶えずタバコや酒を飲み、ときには"草"も嗜んでいたけど、ろくに食事も取らなければ体温も上がらないし、身を守る術もないところにつけ込まれた辺りからモナはおかしくなり始める。人間の身体は野外の冬に耐えられるほど頑丈にできていない。秋以降は風にくすぐられて、冷気が侵入してきて体を休めることなどできないのだ。凍える場面では、私はいつもこの歌を思い出す。

近ごろは眠れない 陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない ゆり起こされては眠れない
歩き疲れては草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ寝たのですが 眠れないのです

秋は 秋からは浮浪者のままでは眠れない

高田渡「生活の柄」(歌詞:山之口獏)


生きることへの拒絶だったのだろうか?
もし助けの手が適切な時期に差し伸べられていて、モナもそれを受け入れてたとしたら、その後どんな人生があったのだろうか。
私はこのところ、ほとんど全ては運だという考えに傾き始めていて、本人の努力も皆無とは言わないが、どのような時にどこにいるかでおおよその運命は決まってしまうものだと思っている。だから生き続けたはずのモナもいただろうし、私自身がモナのように若くして死んでいた可能性だって当然あるのだ。


主演のサンドリーヌ・ボネールはこのとき本当に18歳だったようで、ここでもやはり配役の奇跡が見て取れる。彼女が演じるからこそ、この作品は成立していると言っていい。
常に不機嫌そうな顔つきが、逆に凛とした儚さを際立たせている。



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