【仕事を考える①】なぜ、日本人は仕事を「やりたくないもの」と考えるようになったのか?:真面目だからこそ、意味を失った仕事に耐えられなくなった。
「仕事は、できればやりたくないもの」
この感覚は、いまの日本では驚くほど当たり前になっています。しかし、少し立ち止まって考えてみると、不思議な話です。なぜなら、日本では本来、仕事とは「奉仕」であり、「人の役に立つ行為」であり、「自らの判断で行う誇りある営み」だったからです。
では、いつから仕事は「やらされるもの」へと変わってしまったのでしょうか。
仕事=奉仕だった日本
日本語の「仕事」という言葉は、「事(こと)」に「仕(つか)える」と書きます。本来は、誰かや何かに仕える、つまり世の中の役に立つことを意味していました。
農業、漁業、林業、職人仕事。どれも自然と向き合い、地域や人を支える行為です。そこには「誰かに言われたからやる」という感覚は、ほとんどありません。
田植えをしなければ秋に米は実らない。
船を出さなければ村は食べていけない。
目の前の現実とつながった仕事は、自分の判断でやるものでした。
働くことは生きることそのものであり、誇りであり、感謝の対象でもあったのです。
転換点は「組織化」と「効率化」
この感覚が大きく変わったのは、明治以降、特に戦後の高度経済成長期です。大量生産・大量消費の時代。工場、会社、組織が巨大化し、仕事は細分化されました。
・全体の意味は知らされない
・自分の仕事が誰の役に立っているか見えない
・決めるのは上、従うのが下
こうして仕事は、「考えるもの」から「こなすもの」へと変わっていきます。
効率は上がりました。しかし、その代償として、人は仕事の意味を奪われたのです。
「評価」と「管理」が、仕事を苦役にした
さらに追い打ちをかけたのが、評価制度と管理です。成果は数字で測られ、比較され、順位がつけられる。失敗すれば減点、ミスすれば責任追及。
すると、人はこう考えるようになります。
「余計なことはしない方がいい」
「言われたことだけやっておこう」
こうして仕事は、自らの判断で行うものではなく、
「怒られないためにやるもの」
「生活費を得るために我慢するもの」
へと変質していきました。
気がつけば、仕事は「人生の時間を切り売りする行為」になってしまったのです。
日本人が怠け者になったわけではない
ここで誤解してはいけません。日本人が仕事を嫌うようになったのは、怠け者になったからではありません。むしろ逆です。真面目だからこそ、意味を失った仕事に心が耐えられなくなったのです。
本来、日本人は
・人の役に立ちたい
・感謝されたい
・役割を全うしたい
そういう感性を強く持っています。
だからこそ、「やらされ感」の強い仕事は、魂とズレてしまう。そのズレが、「仕事=つらいもの」という感覚を生み出したのです。
仕事を取り戻すとは、意味を取り戻すこと
では、どうすれば仕事は再び「やりたいもの」になるのでしょうか。答えはシンプルです。
仕事の意味を、心に取り戻すことです。
・誰の役に立っているのか
・なぜ、この仕事が必要なのか
・自分なりにどう工夫できるのか
これらを考える余白があるだけで、仕事はまったく違う顔を見せます。
仕事を「与えられるもの」から「引き受けるもの」へ。
仕事を「義務」から「奉仕」へ。
そのとき、日本人の中に眠っていた、本来の働く喜びが静かに目を覚ますはずです。
仕事は、人生をすり減らすものではありません。本来は、人生を深める営みなのです。少なくとも、日本では、そうだったのです。
今日も、読んで頂きありがとうございました。
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第2章 仕事
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