ケガの功名心
昨日の記事の、梁の武帝は、在位47年間の後半、仏教への傾斜が甚だしくなった。


江南の春
(春たけなわの江南は)千里四方もの間一面に、至るところで鶯は鳴き、緑の栁は、紅の桃に映えて、絢爛たる春景色を現出している。
そして、水辺の村や山かげの里には、酒屋の目印の旗が春風にはためいている。
思えばその昔、この地方は南朝の都したところで、(当時仏教が盛んであったため)四百八十もの寺々が栄えたが、
(今もそのなごりを示すかのように)多くの堂塔が、けぶるような春雨の中にかすんで見える。
達磨大師には、功名心が見え透いて「無功徳!」と瞬殺されてしまったが、三百年ほど後の杜牧さんの詩作には役に立ったようだ😁。
宗教目的?で建てた訳ではないが、ノイシュバンシュタイン城も、当時は「血税でこんなもの建てやがって😡💢」と怨嗟の声が溢れていたが、今では立派な観光資源に😁。
『碧巌録』の第一則の、達磨大師と梁の武帝の話のあとに、「頌(しょう)」という、詩の形式で徳を賛美する部分があるが、それによると、達磨さんはどこへ行ったわけでもなく、誰でも達磨であるということらしい😅。
禅問答って、難しいね😅😂。
🐻
