「本日も完売しました」を観て──よくある韓ドラのラブコメが、10年手放せなかった安定剤と重なった夜
※この文章には、韓国ドラマ『本日も完売しました』の中盤までの内容に触れる記述(ネタバレ)が含まれます。物語の行方や結末には触れていません。
Netflixで配信中の韓国ドラマ『本日も完売しました』を、まだ最終話までは観終わっていない。
いまはちょうど、中盤を越えて物語が少しずつ深まってきたあたりだ。
物語だけを切り取れば、韓ドラ好きにはおなじみの「よくあるラブコメ」に見えるかもしれない。
けれど、パニック障害と鬱で10年近く安定剤を手放せなかった自分にとっては、すでにここまでのエピソードだけでも、驚くほどリアルに心の傷と重なって見えた。
いまはもう薬を飲んではいない。
それでも、このドラマを観ているあいだだけは、ポケットの中に安定剤を入れていた頃の自分が、すぐそばに戻ってきた。
「よくあるラブコメ」に見える物語
通販番組のカリスマMC・ダム・イェジンと、田舎町で農場を営む完璧主義のマシュー・リー。
都会と田舎、テレビスタジオと畑、鋭いトークと不器用な沈黙──コントラストの効いた設定、テンポのいい掛け合い、胸キュンなシチュエーション。どれを取っても、「韓ドラの定番ラブコメ」の枠から大きく外れてはいない。
だからこそ油断していた。
軽い気持ちで再生ボタンを押したのに、気がつけば、それは「よくあるラブコメ」と「よくある心の傷」が静かに重なっていく物語として、胸に刺さっていた。
まだラストまでは辿りついていないけれど、すでにここまでの時点で、「ただのラブコメ」以上のものを受け取ってしまっている。
「完売主義」と、止まれない自分
イェジンは、何よりも“完売”にこだわる通販番組のMCだ。
数字がすべてで、売れれば称賛され、売れなければ責められる。視聴率、売上、ブランド価値──そういった指標に自分の存在価値を預けてしまう姿は、医療・製薬業界の営業として30年近く走ってきた自分にとって、決して他人事ではなかった。
かつての自分も同じように、「売上」「シェア」「表彰」といったわかりやすい“完売”を追いかけていた。
心拍数が上がっても、眠れない夜が増えても、「まだいける」「もっとやらなきゃ」とブレーキを踏めない。
気づいたときには、パニック発作と鬱で心も身体も追い詰められていた。
華やかなスタジオで笑顔を作り続けるイェジンの姿は、スーツにネクタイで「大丈夫です」と笑いながら、内側ではギリギリで立っていたあの頃の自分によく似ていた。
彼女がどこかで限界を抱えながらも、「完売」にしがみついてしまう感じが、痛いほどわかってしまう。
田舎の農場と、旭川の空
ドラマの舞台は、イェジンの働く都会的なスタジオと、マシューが暮らす田舎町の農場の対比が鮮やかだ。
土の匂いがする畑、静かな夜、遠くに見える山のライン。
その風景は、今の自分が単身赴任で暮らす北海道・旭川の景色と自然に重なって見えた。
東京や神奈川、愛知で働いていたころは、朝から晩まで人も情報も多く、常に何かに追い立てられていた。
電車の人混み、ビルの谷間の空、夜遅くまで灯りの消えないオフィス。
そこから離れ、雪道を車で走りながら、白い息を吐いてコンビニの明かりを見る今の生活には、あの頃にはなかった「余白」が確かにある。
イェジンが田舎の空気の中で少しずつ自分のペースを取り戻していく姿を、中盤まで観てきた今、
「自分にとっての農場って、今の旭川での暮らしと、音楽や文章をつくる時間なんだろうな」
と、自然にそう思えるようになってきた。
夢遊病のダムと、お守り代わりの安定剤
ここまで観てきた中で、もっとも目をそらせなかったのが、ダムの夢遊病のシーンだ。
夢遊病の状態で、彼女は本当は母親に伝えたかった想いを、電話の向こうにいるマシューに向かって涙ながらに語ってしまう。
相手がマシューだと知らないまま、長い年月のうちに押し込めてきた「お母さんへの本音」があふれ出していく。
その言葉を、ほとんど何も言わず静かに受け止めるマシューの沈黙に、胸をぎゅっとつかまれた。
さらに、会社を解雇されたあと、夢遊病のまま会社に向かってしまう場面。
もう自分の居場所ではないはずのその場所へ、無意識に足が向かうタム。
正面から近づいてきたマシューが、他の社員に顔がわからないように、そっとその身体を抱きしめて隠す。
その近い距離感だからこそ伝わってくる、タムの無防備さとマシューの必死のやさしさに、思わず涙がこぼれた。
この二つのシーンを見ていて、ふと自分のポケットやカバンの中にいつも入っていた安定剤のことを思い出した。
発作が出そうなときだけでなく、比較的落ち着いている日でさえ、「もしものとき」のために必ず持ち歩いていた薬。
飲まなくてもいい日でも、「そこにある」ことで、なんとかギリギリ立っていられる──そんなお守りのような存在だった。
薬の過剰摂取で夢遊病のダムは、自分の意思とは関係なく身体が動いてしまう。
自分にとっての安定剤は、「飲んでいなくても、心だけがすがりついてしまう」、目に見えない夢遊病のようなものだった。
そろそろ大丈夫かもしれないと頭では思っても、財布やカバンから薬を抜く勇気は、長い間どうしても出なかった。
心に穴を抱えたまま働くという、よくある現実
『本日も完売しました』は、表向きにはよくある韓ドラのロマンティックコメディだ。
けれどその裏側には、「心に穴を抱えたまま、なんとか日常を回している人たち」が静かに描かれている。
(少なくとも、ここまで観てきた範囲では、そう感じている。)
周りから見れば問題なく働いているし、むしろ優秀に見えるかもしれない。
それでも内側には、不安や孤独、説明しづらい空虚さが居座っている。
イェジンもマシューも、それぞれの過去や傷を抱えたまま、仕事や役割に自分を押し込めてなんとかやり過ごしている姿が印象的だった。
パニック障害と鬱で薬に頼りながら、それでも「会社だけは行かなきゃ」と自分を奮い立たせていた頃の自分も、まさにそういう人間だったと思う。
よくあるラブコメのようでいて、そこに描かれているのは、よくある心の疲れでもあった。
薬をやめるまでの10年と、まだ続いていくドラマの時間
自分が薬を飲み始めてから、完全に手放すまでには10年かかった。
グラフのように右肩上がりに回復していくわけではなく、良くなったと思えば落ち込み、また少し戻っては別の出来事で揺さぶられる──そんなことをずっと繰り返してきた。
ドラマの中でも、登場人物たちは一瞬で変わるわけではない。
田舎に行ったからといって心の傷がすべて癒えるわけではないし、誰かと出会ったからといって急に強くなれるわけでもない。
すれ違い、失敗し、ときには過去に引き戻されそうになりながら、それでも少しずつ変わっていく。
まだ最終話までは辿りついていないけれど、ここまで観ているだけでも、そのゆっくりとした変化の積み重ねは、10年かけて薬をやめていった自分の歩みととてもよく似ている。
残りの話数の中で、彼らがどんなふうに変わっていくのか。
自分の10年と重ねながら、最後まで見届けたいと思っている。
「完売」しなくていいものも、人生にはある
このドラマを観ながら、何度も頭に浮かんだのは、「完売しなくていいもの」のことだった。
仕事の世界では、売れ残りは失敗かもしれない。
けれど人生には、無理に売り切らなくていいものも、確かに存在している。
無理して笑う自分。
全部抱え込もうとする責任感。
「期待に応えなきゃ」と常に自分を追い込み続けるクセ。
こうしたものを、心のどこかに少しだけ「在庫」として残しておくこと。
全部捨てて“完売”してしまうのではなく、「まだここにある」と認めながら、自分なりのペースで付き合っていくこと。
それが、10年かけて薬を手放し、いまは薬を飲まない日々を送っている自分が、ようやくたどり着いた生き方だ。
イェジンが数字や評価だけではない「自分の幸せ」に少しずつ目を向けていく姿は、「薬を飲まない自分」が当たり前になりつつある今の自分の姿と、静かに重なって見えた。
おわりに──「本日も完売しました」と言えない日があってもいい
正面からダムを抱きしめるマシューのシーンを思い出すたびに、あのときの自分にも、そっと正面から支えてくれる誰かがいたら──と、少しだけ胸が痛くなる。
同時に、今の自分は、その役割を音楽や文章に託しているのかもしれないとも思う。
「本日も完売しました」と胸を張って言える日ばかりではない。
薬を飲まなくなった今でも、心がふっと不安定になる日は、正直まだある。
それでも、「今日は完売できなかったな」と肩を落としながら、それでも明日を生きていく。
そんな日々も、きっと悪くない。
よくある韓ドラのラブコメのはずなのに、そこに自分の10年が重なって見えてしまった人間が、ここに一人いる。
まだ最終話までは観ていないからこそ、この先の展開を楽しみにしながら、今の自分の途中経過として、この文章をここに置いておきたい。
そして、これを読んでいるあなたに問いかけたい。
あなたにとっての「安定剤」は、今どこにありますか。
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