思考することをやめないということ―ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)
監督: Margarethe von Trotta(マルガレーテ・フォン・トロッタ)
制作年:2012年
原題:Hannah Arendt
邦題:ハンナ・アーレント
世の中には、観終わったあとも長く考え続けてしまう映画がある。
物語の展開や映像の迫力ではなく、ひとつの「思考」が観る者の中に残り続けるような作品だ。
映画『ハンナ・アーレント』は、まさにそのような一本である。
「思考することをやめたとき、人はどこまで悪に加担してしまうのか。」
この問いは、20世紀の政治思想の中でも、もっとも不穏で、そして重要なもののひとつかもしれない。
映画『ハンナ・アーレント』は、哲学者 ハンナ・アーレント が1961年の アイヒマン裁判 を取材し、後に「悪の凡庸さ」という概念に至るまでの時間を描いた作品である。
ナチス・ドイツのもとでユダヤ人の移送計画に関わったアドルフ・アイヒマン。
彼は長く、巨大な悪の象徴のように語られてきた。
しかし、裁判でアーレントが見たのは、想像していたような怪物ではなかった。
そこにいたのは、驚くほど平凡な男だった。
彼は狂信的な思想家でもなく、残虐な怪物でもない。
自分はただ命令に従い、職務を果たしただけだと語る官僚だった。
この光景を前にして、アーレントはある考えに辿り着く。
悪は必ずしも特別な人間によって行われるとは限りない。
思考することをやめたとき、誰もがその一部になり得る。
彼女はこれを「悪の凡庸さ」と呼んだ。
この言葉は、世界に衝撃を与えることになる。
多くの人々にとって、ホロコーストの加害者が「平凡な人間」であるという指摘は受け入れがたいものだったからだ。
アーレントは激しい批判を浴び、友人たちからも非難される。
彼女は次第に孤立していく。
この映画の興味深いところは、思想の解説ではなく、「思考する」という行為そのものだ。
アーレントは煙草を吸いながら机に向かい、沈黙の中で考え続ける。
世論に迎合することなく、見たものと考えたことに忠実であろうとする。
その姿は、劇的というよりも、むしろ静かだ。
だが、その静けさの中には、強い緊張がある。
思考することは、時に孤独を引き受けることでもあるからだ。
アーレントはこう語ったとされる。
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。
人間であることを拒絶した者なのです。」
アーレントの思想を要約するとこうなる。
悪に深さはない。
思考することをやめた瞬間に、悪は静かに生まれる。
この問いは、過去の歴史だけに向けられたものではないだろう。
現代は、情報が溢れ、判断が急がれる時代だ。
SNSでは瞬時に意見が拡散し、立場が決められ、議論が終わってしまうことも多い。
その速さの中で、私たちはどれだけ立ち止まり、考えているのだろうか。
映画『ハンナ・アーレント』 は、歴史映画でも伝記映画でもあるが、同時に現在に向けた映画でもある。
観終わったあと、すぐに感想を言葉にすることが難しい。
むしろ、少し沈黙したくなる。
そして、ゆっくりと考え始める。
思考することをやめないということ。
それが、もしかすると、この映画が静かに伝えようとしていることなのかもしれない。
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