社会的に振る舞おうとすると「ビターチョコデコレーション」になってしまう
やあ、こんにちは。突然、夏がやって来て、暑さのあまり頭がゆで卵になっちゃいそうだ。帽子はかぶっているけれど、それくらいじゃ防ぎきれないほどの太陽の熱が僕らをやく。こんなんじゃ社会的なデコレーションも流れる汗ではがれてしまう。
さてさて、皆は人と会話する時って何を意識しているかな。私は元々、時系列に沿って話す癖があって、「説明が下手」としょっちゅう言われてきた。だから、改善するために色々読むわけだ。やれ会話術やら話し方のテクニックの本なんかを。よく聞く結論から簡潔に言うようにとか、相手が聞きたいことを考えてとか、そう、そんなやつだ。
その中でなるほどなと思ったのは、会話の目的を意識するってやつだ。自分の納得も持論も感情も関係ない。それは一回エゴのごみ箱にぶち込んで、会話のなかで通したいこと、どの結論に導きたいかを意識して話を運ぶっていうテクニックだ。
まあね、確かに本当は私の意見や一貫性なんて誰も必要としてないんだ。便利で感じが良くて物分かりがいい人間であってほしいのだろう。そんな訳で必要のない怒りや理不尽だという思いは、いったん心のダストボックスにぶち込んで、出来るだけ早く忘れるようにしている訳だけど、なんだか「ビターチョコデコレーション」みたいだなって思うんだ。
人を過度に信じないように
愛さないように期待しないように
かと言って角が立たないように
気取らぬように目立たぬように
こちらが「ビターチョコデコレーション」の出だしだ。Adoの「うっせぇわ」の作詞作曲で一躍有名になったSyudou氏が作ったボカロ曲だ。最初に聞いたときは「病み曲だな」と思っていたけど、歌詞を聞けば聞くほど身に覚えがある。
私が社会的に振る舞おうとすればする程、「ビターチョコデコレーション」がうたう状態に近付いていく気がする。うーん、これが同調圧力に屈した結果ってやつかい。無難にやっていこうとすると、どうしてもそうなっちゃうんだよな。
個性や感情やエゴを隠して、にっこり笑って量産型のモブとして生きていくのが大人になるってことじゃないのかい。まあ、他人が望むことなんて本当はさっぱり分からないんだけど。
今日は暑さのあまり塗装が剥がれたビターな感じで書いてみたけど、ブラックが過ぎたかな。なになに?ミルクとお砂糖が必要かい。さてと、それじゃあ、そろそろ失礼するよ。
