ショートショート「指先の秩序」
犯罪が急に増えたわけではなかった。
ただ、社会全体が「人の内面のほころび」というものに、やけに敏感になっていた。
「爪規制法」が施行されるまでに至ったきっかけは、ある心理学者の講演だ。会場で彼は、前置きもほとんどなく言った。
「人は、“変化するもの”をどれだけ管理できているかで、周囲への配慮、社会性が分かります」
聴衆の一人が尋ねた。
「変化するもの、とは?」
学者は少し間を置いて答えた。
「一番分かりやすいのは、爪です」
ざわめきが起きた。
「爪は毎日、ほんのわずかずつ伸び続けます。それを切るという行為は、変化を観察し、必要なところで手を入れるという基本的な自己管理行動です」
誰かが笑いながら言った。
「じゃあ、爪を切らない人は問題があるってことですか」
学者は首を振った。
「問題そのものではありません。ただ、放置する精神は、他者への無自覚な侵害につながりやすい」
そして続けた。
「人は、ゆっくり変わるものほど見落とします。
腐るゴミ、摩耗するブレーキ、溜まっていく怒り。どれも、気づいたときには自分だけの問題ではなくなっている」
この言葉が、妙に受けた。
その頃、未読メールを溜め込んだ社員の判断ミスで大口の取引が流れたり、冷蔵庫の賞味期限を放置した家庭から害虫が出たという話題が続いていたからだ。
ワイドショーで司会者が言う。
「つまり、“管理できない人”が問題なのでは?」
コメンテーターが頷いた。
「ええ。爪は、目に見える管理能力の象徴です」
話はいつの間にか、こう整理された。
「自分の爪すら管理できない者は、日常のほころびを放置する。その無頓着さが、社会秩序を壊す可能性がある」
SNSでは、こういった声が増えた。
「仕事できない人、だいたい爪長くない?」
「営業先で指先見る癖ついた」
フォロワー数、タスク完了率、健康診断の数値。
数字で人を評価する社会に、次の指標として新たに爪が加わり、レッテルを背負わされた。
「爪切ってるから信用できるわけじゃないけど」
「切ってない人は、ちょっと不安になるよね」
そんな会話が、普通に交わされた。
朝のニュースでは専門家が言う。
「爪の伸びを放置する精神は、他者への無関心の初期段階です」
通勤電車では、互いの指先を一瞬だけ確認する視線が交差した。見ていないふりをするのが、礼儀になった。
会社では朝礼に爪チェックが入った。
「では、確認します」
若手社員が小声で言う。
「昨日の資料、かなり詰めたんですけど……」
「それより、親指が少し伸びてるね」
もはや爪はあいさつのようなものだ。そして、関心はを集めたのは爪だけではなかった。
冷蔵庫の賞味期限。
靴紐のほつれ。
歯ブラシの広がり。
カーテンの開き具合。
未読メールの数。
放置はすべて、精神の怠慢と呼ばれた。
役所の「日常変化管理窓口」では市民が写真を出している。
「この隙間、問題ですか」
「靴紐がよく緩むんですが」
「観葉植物の葉が一枚だけ枯れていて」
職員は落ち着いた声で答える。
「放置はおすすめできません。
無自覚な加害につながる恐れがあります」
しかし制度の運用には、問題点もあった。
「例外は認められるのか」
「どこに通報すればよいのか」
現場からの問い合わせが相次ぎ、基準が必要になった。そこで基準を定める文書が作られ、文書同士の食い違いを調整する必要が生じた。
結果として、「法律管理法 調整法」が追加された。
街は静かになった。皆が自分の生活のほころびに神経を尖らせている。
ある日、役所の相談窓口で、市民が職員に尋ねた。
「この制度は……ちゃんと手入れされているんでしょうか」
職員は一瞬だけ言葉を探し、それから答えた。
「ご安心ください。
現在、法律が過度に複雑化しないよう、新たな法整備を検討しています」
市民は少し考えてから聞いた。
「それは、また更に法律が増えるということですか」
職員は迷いなく頷いた。
「はい。変化を放置するわけにはいきませんから」
減らすのではなく、増やすらしい。市民はそれ以上何も言わず、自分の指先を見た。
爪だけは短く切られ、きれいに整えられていた。
