ごめんと、すきと、
とある俳優さんの、撮影現場でのハラスメントが話題になっている。
渦中の男優さんも、女優さんも、個人的には大好きな方々で、これまでドラマや映画に出演されるたび、私は好んでそれぞれの作品を見てきた。
ことに男優さんは、個性派、実力派俳優として人気が高い。
アドリブに長けていて、共演者が必死で笑いを堪えるコメディも、シリアスでゾッとするような表情の悪役もこなす。
過日に、ご自身の強迫性障害を公表されていて、きっとこれまで並外れた努力を積み重ねてこられたんだろうな、と素人目にも推察する。
一方で当該の、まだ年若い女優さんは、過去のトラウマを抱えながら(おそらくは、医療者のもとで長らく治療を進めつつ)それでもなお、俳優という仕事を続けてこられたとのこと。
ネットニュースなどの報道を見ていると、無関係な一視聴者に過ぎない私でさえ、とても胸が痛む。
「過去の心の傷は最大限、尊重されるべき社会だと心から思うが、トラウマがあって夫婦役を演じるなら先に状況を相手に共有すべきである事、その状況が続くなら俳優を続けるべきではないのではないかと僕個人は思います、と伝えました」
共演者やスタッフに配慮を求めることで、個人の権利と尊厳を守りつつ、女優という仕事に向き合おうとしている人。
配慮を求めなければならない状況が続くなら、俳優を続けるべきではないのではないか、という厳しい持論を、自他ともに対して課すべきと考える人。
……たぶん、どちらも正しい。
間違った人も、悪い人もいないのに、どちらも傷付いてしまった構図がとても悲しい。
ただ一つ、親子ほどの年齢差で俳優キャリアも長い男性は、もうそれだけで相手の女性に、威圧感や恐怖感を与えてしまうのだ、という視点が欠けていたのではないか、と思う。
これまでの人生で私が、女性に生まれたことを、辛い、苦しいと感じた経験は数知れない。
でも、だからと言って「男性に生まれたかった」と考えたことは、不思議と一度もなかった。
それはたぶん、どちらの性が損か、得か、という問題ではなく、女性であれ男性であれ、生き方を狭められ、強制、制約される社会の構造に、私がずっと腹を立ててきたからなのだろう。
いつだって勝てない闘いを、私はずっと挑み続けてきたのだと思う。
親に、地域に、学校に、企業に、業界に、社会に。
そして
「黙って従え!」
という、目には見えない強大な同調圧力に。
たくさんのトラウマを抱えて生きてきた私は、これまでの人生で、心苦しく思いつつも幾たびか、周りの人たちに配慮をお願いしたことがあった。
私は今でも、たくさんの人が集まる場所が苦手で、特に壇上から大勢に話しかける司会進行などは、たちまち気分が悪くなり、酷い動悸がして、過呼吸発作を起こしてしまう。
「事情があって、お引き受けすることができません」
そう伝えると、それはやはり、大抵の場面で軋轢を生んだ。
私が配慮を願い、免除された事柄は、すなわち他の誰かに、物心両面での負担を強いることになるからだ。
それでは、トラウマやPTSDを負った人は、社会生活に制限をかけられるべきなのだろうか。
傷付いた人が生き辛い社会は、誰にも変えられないのか。
私は、そうは思わない。
たとえ人生で躓いても、転んでも、あるいはとても辛い被害に合ってしまったとしても、私たちには何度でも、立ち上がって生き直す権利がある。
そうしてきっと、視線の先には必ず、広く開けた道が続いているのだ。
進化したテクノロジーが、一つ一つの不自由や不便を解消してきたように。
足の不自由な人が運転できる自動車があるように。
目の不自由な人を、盲導犬が手助けするように。
痛みを知っている人たちが、より強く、生き直すことのできる未来。
私たちは今、その端緒にいる。
私はそう、信じている。
明菜ちゃんが、笑っている。
もう、それだけで、私の心の雲が晴れる。
人はどこからでも、何度でも、やり直せると教えてくれた、私の永遠のアイドルだから。
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