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【愛知】愛知平和祈念館 | 戦争遺跡 | 愛知県名古屋市


愛知県護国神社横の桜華会館に設立されている記念館で、遺族会から寄付されたものや、サイパン・レイテ島の遺骨収集時に発掘された遺物が展示されている。必要以上に過大な説明がされているわけでもなく、客観的事実が簡単に説明されてあるだけだったが、それだけに妙に生々しく感じられた。この日3階では遺骨収集時のパネル展示と戦争に関するビデオ放映も行われていた。


建設の由来

入口付近から撮影した館内。面積としてはそんなに広くはないが、展示品数は思ったよりも多い。
この日は遺族会の会合があったらしく、団体さんがやってきていた。

奥から入口方面を撮影。遺品の持ち主たちの写真も並べられている。子どもが生まれたばかりだった人、まだ未成年だった人の姿も見られる。


南警察の新庁舎建築の際に発見された250キロ爆弾。信管と爆薬は取り除かれていたらしい。

上の250キロ爆弾。
外殻は想像以上に厚い。これだけの質量と炸薬量を考えると、ひとたび炸裂すれば相当な破壊力になるだろう。


伊号第363潜水艦遺品。
回天を積載できるよう改造された潜水艦。終戦後、佐世保への回航中に残存機雷に触れ沈没した。写真はおよそ20年後の昭和41年に引き上げられた際の遺材で、防毒面、軍靴の破片等が展示されている。


旧陸軍九二式重機関銃。

この重機は、フィリピンレイテ島で、郷土部隊である泉兵団(第26師団)が、同島アルベラ地区で米軍第7師団と昭和19年(1944年)11月23日18時30分より12月10日にかけて激闘、文字通り刀折れ矢つき玉砕した時に使用された重機の残骸である。この戦いに散られた数多くの英霊のご心情を察し、戦争の悲惨さを識り、更めて不戦の決意を新たにして頂くよう、之を展示します。


貫通弾痕の残る鉄帽。


中央部が血で染まっている腰巻。


戦死報、腕時計、拳銃嚢、従軍手帳等。上記腰巻の人物と同一。


遺骨収集の際に発見された飯盒で弾痕が残る。「ウチダ」と記名あり。


昭和50年度遺骨収集の際に発見された軍刀と銃剣。


防毒マスク。


武運長久を記念した日の丸。現在では色が変わってしまっているが、中央部の赤丸は血で染められたもの。


右側に「新高山登レ一二〇八」、左側に「トラ・トラ・トラ」の文字が見られる。


戦時中の金属不足により、鉄の代替として陶器が用いられた手榴弾
現在の岐阜県多治見市(笠原町)で製造されたもの。


遺骨収集の際に発見された拳銃。


同じく遺骨収集で発見された鉄帽軍刀
ルソンでは約50万人の戦死者をだしたが、多くの遺骨はまだ埋もれたままだという。


特攻隊員の時世の句。左端は「オバサン御機嫌ヨウ」。


飛行手袋。
「伊401潜 信号長」との表記あり。
伊401は、航空機を搭載し水中から発進させるという、他に例の少ない特殊潜水艦(潜水空母)。昭和20年に竣工し、敵地へ密かに接近して奇襲攻撃を行う構想のもとに建造されたが、本格的な実戦に用いられることはなかった。
戦後は米軍の調査を経て、海中に没せられている。


昭和56年にガタルカナルで収集された帯剣。なぜかこの剣だけ箱入りだったとのこと。


海軍の水上特攻兵器「震洋」
薄いベニア製の船体に自動車用の中古エンジン。神風回天ほどの知名度はないが、特攻兵器の一種である。

子供用の船のおもちゃチック

兄に出した手紙。達筆。

パネルを見ていると、ビデオコーナーで高齢の男性が画面に背を向けるように立ち、静かに涙をぬぐっているのを見かけた。
何に対する涙なのか想像もつかないが、なにか忘れがたい記憶があるのだろう。丸まった背中が、妙に印象に残った。


中国で戦死した陸軍中尉の軍服。胸部に弾痕と血の跡が残る。この傷で戦死した。


海軍ラッパ
近くに陸軍ラッパも展示されていたが、外見上の違いはほとんど見られない。号令や合図に用いられ、起床や集合、戦闘時の指示などを音で伝えるための装備。
構造は共通しているが、用いられる信号や吹奏法には違いがあったとされる。


サイパンの集団埋葬地で発見された雑品類。
スプーンや剃刀などの日用品が多く、兵士たちの日常の気配を感じさせる。
それだけに、これらが持ち主の最期とともに埋められたものであることを思うと、重く感じられる。


鉄帽
陸軍三八年式歩兵銃。
平成3年慰霊巡拝の際、発見された。


3階のパネル地図に記載されてあったフィリピン・ルソン付近の地図。赤文字の498,600は戦死者、青の23,000は愛知県出身の戦死者。


中学生の頃から、自分が年を取る頃には戦争体験者がいなくなってしまうのではないかと、漠然と危惧していた。そして、当然ながら時代はその通りに進んでいる。

30代の頃に、美浜町で河和海軍航空隊の出身者の方々から直接話を聞く機会があったが、いまでは、そのときお会いした方々の多くが鬼籍に入られた。

先日も、最後の零戦搭乗員の方が亡くなったという記事を目にした。戦争を直接知る人々が少なくなっていることを、あらためて実感する。

<おわり>

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