人生は「楽しもう」と決めた瞬間から楽しくなる

昨日、久しぶりに商業施設の中にあるゲームセンターへ立ち寄りました。
いつもの私なら、
「私はいいから、娘がやっているのを見ているだけでいい」
そう言って、自分はほとんど遊ばなかったと思います。
ゲームにお金を使うなんて、もったいない。
取れるかどうか分からないものに、何百円も使うなんて。
そんなふうに、自分の中にある「もったいない」という物差しで、楽しむ前から答えを決めていたのです。
でも昨日は、少し違いました。
「今日は、私も楽しんでみよう」
「何も考えずに、ただ遊んでみよう」
そう思ったのです。
◇
ゲームセンターの中には、大きくてかわいいぬいぐるみが、たくさん並んでいました。
その中のひとつを見て、
「かわいい。取ってみたいな」
素直にそう思いました。
両替機でお金を100円玉に替えて、UFOキャッチャーの前に立ちました。
いつもなら、ここでも考えてしまいます。
「取れなかったら無駄になる」
「いくら使うことになるんだろう」
「お店で買ったほうが安いんじゃない?」
けれど、その日は考えることを少しやめました。
今は、取れるか取れないかではなく、やってみることを楽しもう。
そう思って挑戦したら――
なんと、大きなぬいぐるみが取れたのです。
うれしかった。
本当に、うれしかった。
「ああ、こうやって楽しむんだなあ」
忘れていた感覚を、思い出したような気がしました。
◇
もちろん、ぬいぐるみが取れたこともうれしかったのです。
でも、私が受け取ったのは、ぬいぐるみだけではありませんでした。
取れるかもしれないというワクワク。
アームが動いていくときのドキドキ。
ぬいぐるみが落ちそうになったときのハラハラ。
そして、取れた瞬間の大きな喜び。
私は、その全部を楽しんでいました。
ぬいぐるみを抱えてゲームセンターの中を歩いているときも、なんだかうれしくて、少し誇らしいような気持ちになりました。
大人なのに、大きなぬいぐるみを抱えて歩いている。
少し前の私なら、周りの目を気にしていたかもしれません。
でも、そのときは、そんなことよりも、ただうれしかったのです。
ぬいぐるみを入れるための大きなビニール袋を買い、娘も一緒になって手伝ってくれました。
気づけば娘も参戦して、親子で夢中になっていました。
いつもは娘が楽しんでいる姿を見ていただけの私が、その日は同じ場所に立ち、一緒に笑い、一緒に楽しんでいたのです。
◇
そのとき、ふと思いました。
楽しみとは、特別な場所にあるものではないのかもしれない。
旅行に行かなければ楽しめないわけでもない。
高価なものを手に入れなければ、幸せになれないわけでもない。
どんなことでも、
「楽しんでみよう」
と自分が決めた瞬間に、楽しみに変わることがあるのです。
反対に、どんなに楽しい場所にいても、
「お金がもったいない」
「失敗したら嫌だ」
「私には似合わない」
「大人がこんなことをするなんて」
そんなことばかり考えていたら、目の前にある楽しみを受け取ることができません。
楽しみがなかったのではありません。
私が、自分で楽しみに条件をつけていただけだったのです。
◇
もちろん、お金は大切です。
使える金額を決めることも必要ですし、何でも無計画に使えばいいということではありません。
けれど、お金を使わないことだけが、「大切にする」ということなのでしょうか。
数百円を失わないために、ワクワクする気持ちを諦める。
失敗したくないから、やってみたい気持ちを引っ込める。
人の目が気になるから、うれしさを小さくする。
それもまた、別の意味で「もったいない」ことなのかもしれません。
お金は、物と交換するだけのものではありません。
体験や、笑顔や、思い出と交換することもできます。
昨日、私が使った100円玉は、ただ消えてしまったのではありません。
ワクワクに変わり、笑顔に変わり、娘との楽しい時間に変わりました。
そして今も、温かな思い出として心に残っています。
◇
UFOキャッチャーは、必ず取れるものではありません。
取れなければ、やはり少しがっかりします。
でも、
「絶対に取らなければ損」
「使ったお金の分だけ結果を出さなければ」
そう考え始めると、遊びだったはずのものが、いつの間にか勝負や義務に変わってしまいます。
取ることだけを目的にするのではなく、その時間を楽しむ。
取れたら、思いきり喜ぶ。
取れなかったとしても、
「ドキドキしたね」
「惜しかったね」
と笑って終わる。
それでいいのだと思います。
人生も、少し似ているのかもしれません。
何かを始めるとき、私たちはすぐに結果を求めてしまいます。
成功できるか。
得をするか。
無駄にならないか。
人から評価されるか。
でも、結果ばかりを考えていたら、その途中にある小さな喜びを見落としてしまいます。
結果だけが、すべてではありません。
挑戦しているときのドキドキも、うまくいきそうなときのワクワクも、誰かと笑い合った時間も、すべてが大切な体験なのです。
◇
私はこれまで、楽しむためにも理由を探していたのかもしれません。
頑張ったから。
誰かのためだから。
必要なことだから。
それなら、お金や時間を使ってもいい。
でも、ただ自分が楽しみたいからという理由だけでは、どこか許せなかったのだと思います。
けれど本当は、楽しむことに立派な理由なんていりません。
「やってみたい」
「かわいい」
「楽しそう」
それだけで十分なのです。
楽しむことは、怠けることでも、無駄遣いでもありません。
心を緩めて、今ここにいる自分を喜ばせること。
頑張り続けている自分に、
「今日は少し遊んでもいいよ」
と言ってあげることなのだと思います。
◇
昨日の私は、ゲームセンターで大きなぬいぐるみを取りました。
でも、それ以上に大切なものも受け取った気がします。
それは、
「私は、自分で楽しむことを選べる」
という気づきです。
同じ場所にいても、見ているだけを選ぶこともできます。
自分も一緒にやってみることもできます。
「もったいない」と引き返すこともできます。
「今日は楽しもう」と100円玉を握ることもできます。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということではありません。
ただ、自分が何を選びたいのか。
それだけなのです。
楽しみは、向こうからやってきてくれるのを待つものではなく、自分から受け取りにいくものなのかもしれません。
◇
大人になると、やらなければならないことが増えていきます。
家族のこと。
仕事のこと。
お金のこと。
これからのこと。
気づけば、心の中まで「必要なこと」ばかりになり、自分が楽しむことは後回しになってしまいます。
だからこそ、ときには、何も考えずに楽しむ時間が必要なのだと思います。
大きなことでなくてもいいのです。
気になっていたお菓子をひとつ買う。
好きな音楽を聴く。
きれいな空を眺める。
子どものように遊んでみる。
かわいいぬいぐるみを、本気で取りにいってみる。
「そんなことに意味があるの?」
と思うようなことの中に、心を生き返らせる小さな喜びが隠れていることがあります。
昨日の私が手に入れたのは、大きなぬいぐるみ。
そして、もうひとつ。
何も考えずに楽しむことを、自分に許せた時間でした。
「もったいない」と思って我慢することも、自分の選択。
「今日は楽しもう」と心を解放することも、自分の選択。
だったら、ときには、自分を笑顔にするほうを選んでもいい。
楽しみが目の前になかったのではなく、楽しむことを自分に許していなかっただけなのかもしれません。
人生は、
「楽しもう」
と決めた瞬間から、少しずつ楽しくなる。
昨日のゲームセンターで、そんなことを教えてもらった気がしました。
あなたは最近、何も考えずに夢中になったことがありますか?
もし思い浮かばなかったら、今日ひとつだけ、自分に小さな楽しみを許してあげてください。
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そっと「スキ」だけ置いていってください。
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