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人生は「楽しもう」と決めた瞬間から楽しくなる



昨日、久しぶりに商業施設の中にあるゲームセンターへ立ち寄りました。
いつもの私なら、
「私はいいから、娘がやっているのを見ているだけでいい」
そう言って、自分はほとんど遊ばなかったと思います。
ゲームにお金を使うなんて、もったいない。
取れるかどうか分からないものに、何百円も使うなんて。
そんなふうに、自分の中にある「もったいない」という物差しで、楽しむ前から答えを決めていたのです。
でも昨日は、少し違いました。
「今日は、私も楽しんでみよう」
「何も考えずに、ただ遊んでみよう」
そう思ったのです。

ゲームセンターの中には、大きくてかわいいぬいぐるみが、たくさん並んでいました。
その中のひとつを見て、
「かわいい。取ってみたいな」
素直にそう思いました。
両替機でお金を100円玉に替えて、UFOキャッチャーの前に立ちました。
いつもなら、ここでも考えてしまいます。
「取れなかったら無駄になる」
「いくら使うことになるんだろう」
「お店で買ったほうが安いんじゃない?」
けれど、その日は考えることを少しやめました。
今は、取れるか取れないかではなく、やってみることを楽しもう。
そう思って挑戦したら――
なんと、大きなぬいぐるみが取れたのです。
うれしかった。
本当に、うれしかった。
「ああ、こうやって楽しむんだなあ」
忘れていた感覚を、思い出したような気がしました。

もちろん、ぬいぐるみが取れたこともうれしかったのです。
でも、私が受け取ったのは、ぬいぐるみだけではありませんでした。
取れるかもしれないというワクワク。
アームが動いていくときのドキドキ。
ぬいぐるみが落ちそうになったときのハラハラ。
そして、取れた瞬間の大きな喜び。
私は、その全部を楽しんでいました。
ぬいぐるみを抱えてゲームセンターの中を歩いているときも、なんだかうれしくて、少し誇らしいような気持ちになりました。
大人なのに、大きなぬいぐるみを抱えて歩いている。
少し前の私なら、周りの目を気にしていたかもしれません。
でも、そのときは、そんなことよりも、ただうれしかったのです。
ぬいぐるみを入れるための大きなビニール袋を買い、娘も一緒になって手伝ってくれました。
気づけば娘も参戦して、親子で夢中になっていました。
いつもは娘が楽しんでいる姿を見ていただけの私が、その日は同じ場所に立ち、一緒に笑い、一緒に楽しんでいたのです。

そのとき、ふと思いました。
楽しみとは、特別な場所にあるものではないのかもしれない。
旅行に行かなければ楽しめないわけでもない。
高価なものを手に入れなければ、幸せになれないわけでもない。
どんなことでも、
「楽しんでみよう」
と自分が決めた瞬間に、楽しみに変わることがあるのです。
反対に、どんなに楽しい場所にいても、
「お金がもったいない」
「失敗したら嫌だ」
「私には似合わない」
「大人がこんなことをするなんて」
そんなことばかり考えていたら、目の前にある楽しみを受け取ることができません。
楽しみがなかったのではありません。
私が、自分で楽しみに条件をつけていただけだったのです。

もちろん、お金は大切です。
使える金額を決めることも必要ですし、何でも無計画に使えばいいということではありません。
けれど、お金を使わないことだけが、「大切にする」ということなのでしょうか。
数百円を失わないために、ワクワクする気持ちを諦める。
失敗したくないから、やってみたい気持ちを引っ込める。
人の目が気になるから、うれしさを小さくする。
それもまた、別の意味で「もったいない」ことなのかもしれません。
お金は、物と交換するだけのものではありません。
体験や、笑顔や、思い出と交換することもできます。
昨日、私が使った100円玉は、ただ消えてしまったのではありません。
ワクワクに変わり、笑顔に変わり、娘との楽しい時間に変わりました。
そして今も、温かな思い出として心に残っています。

UFOキャッチャーは、必ず取れるものではありません。
取れなければ、やはり少しがっかりします。
でも、
「絶対に取らなければ損」
「使ったお金の分だけ結果を出さなければ」
そう考え始めると、遊びだったはずのものが、いつの間にか勝負や義務に変わってしまいます。
取ることだけを目的にするのではなく、その時間を楽しむ。
取れたら、思いきり喜ぶ。
取れなかったとしても、
「ドキドキしたね」
「惜しかったね」
と笑って終わる。
それでいいのだと思います。
人生も、少し似ているのかもしれません。
何かを始めるとき、私たちはすぐに結果を求めてしまいます。
成功できるか。
得をするか。
無駄にならないか。
人から評価されるか。
でも、結果ばかりを考えていたら、その途中にある小さな喜びを見落としてしまいます。
結果だけが、すべてではありません。
挑戦しているときのドキドキも、うまくいきそうなときのワクワクも、誰かと笑い合った時間も、すべてが大切な体験なのです。

私はこれまで、楽しむためにも理由を探していたのかもしれません。
頑張ったから。
誰かのためだから。
必要なことだから。
それなら、お金や時間を使ってもいい。
でも、ただ自分が楽しみたいからという理由だけでは、どこか許せなかったのだと思います。
けれど本当は、楽しむことに立派な理由なんていりません。
「やってみたい」
「かわいい」
「楽しそう」
それだけで十分なのです。
楽しむことは、怠けることでも、無駄遣いでもありません。
心を緩めて、今ここにいる自分を喜ばせること。
頑張り続けている自分に、
「今日は少し遊んでもいいよ」
と言ってあげることなのだと思います。

昨日の私は、ゲームセンターで大きなぬいぐるみを取りました。
でも、それ以上に大切なものも受け取った気がします。
それは、
「私は、自分で楽しむことを選べる」
という気づきです。
同じ場所にいても、見ているだけを選ぶこともできます。
自分も一緒にやってみることもできます。
「もったいない」と引き返すこともできます。
「今日は楽しもう」と100円玉を握ることもできます。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということではありません。
ただ、自分が何を選びたいのか。
それだけなのです。
楽しみは、向こうからやってきてくれるのを待つものではなく、自分から受け取りにいくものなのかもしれません。

大人になると、やらなければならないことが増えていきます。
家族のこと。
仕事のこと。
お金のこと。
これからのこと。
気づけば、心の中まで「必要なこと」ばかりになり、自分が楽しむことは後回しになってしまいます。
だからこそ、ときには、何も考えずに楽しむ時間が必要なのだと思います。
大きなことでなくてもいいのです。
気になっていたお菓子をひとつ買う。
好きな音楽を聴く。
きれいな空を眺める。
子どものように遊んでみる。
かわいいぬいぐるみを、本気で取りにいってみる。
「そんなことに意味があるの?」
と思うようなことの中に、心を生き返らせる小さな喜びが隠れていることがあります。
昨日の私が手に入れたのは、大きなぬいぐるみ。
そして、もうひとつ。
何も考えずに楽しむことを、自分に許せた時間でした。
「もったいない」と思って我慢することも、自分の選択。
「今日は楽しもう」と心を解放することも、自分の選択。
だったら、ときには、自分を笑顔にするほうを選んでもいい。
楽しみが目の前になかったのではなく、楽しむことを自分に許していなかっただけなのかもしれません。
人生は、
「楽しもう」
と決めた瞬間から、少しずつ楽しくなる。
昨日のゲームセンターで、そんなことを教えてもらった気がしました。
あなたは最近、何も考えずに夢中になったことがありますか?
もし思い浮かばなかったら、今日ひとつだけ、自分に小さな楽しみを許してあげてください。
共感していただけたら、
そっと「スキ」だけ置いていってください。
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kikuyo4859 焚火古家(たきびこや)は、 心が折れた人も、歩き疲れた人も、 焚火のぬくもりの中で もう一度“自分”を取り戻せる場所を目指しています。 いただいたチップは、 古民家の再生や、安心できる空間づくりに大切に使わせていただきます。 焚火古家より、愛と感謝を込めて