座っていきませんか?
「ホッとできる場所」というのは、人それぞれだろう。
それは、意外なところで見つかることもある。
私は、会社員から小学校の教員になった。
教員になった私は「昼休みは運動場で子どもたちと遊ぶ」と決めていた。
運動場で遊ぶ子どもは、よくケガをする。
ひざをすりむいたり、たんこぶをつくったり、鼻血を出したり。
一度だけ、頭から血を流している子どもを抱っこして保健室に運んだこともある。
そんな時は、子どものすぐそばにいて良かったなと思う。
昼休みに一緒に遊ぶことで「見守り」ができた。
子どもたちとは、ドッジボールに鬼ごっこなどをして遊んだ。
40歳過ぎてから、一輪車にも乗れるようになった。
50歳を過ぎたころ、職員のバレーボール大会でアキレス腱を切った。
それからは子どもたちと一緒に走ることができなくなった。
私は、昼休みになると、運動場が見渡せる木陰を探す。
そこにゴザを敷いて、靴を脱いで座る。
その場所から子どもたちが遊ぶのを見ながら昼休みをすごした。
運動場から土埃が飛んでくるときもあるが、やっぱり外は気持ちがいい。
ここだと、子どもたちに何かあったら、すぐに駆け付けられる。
ときどき、気持ちのいい風が吹いてくると、気持ち良くなり寝ころんでしまうことあった。
私は、いつものように運動場の端にゴザを敷いて座っていた。
すると、1年生の男の子が、何も言わず私の横に腰かけて、話しかけてくることもなく、こちらから話しかけることもなく、しばらくすると、またどこかに走り去っていった。
しばらくすると、また別の子が来て、しばらく座って、またいつのまにかいなくなる。
1年生の子どもたちは、まるでスズメだ。
私は5年生の担任だった。
5・6年生の子どもたちは、あまり運動場では遊ばなくなる。
ほとんど図書室か、教室の中で仲良しの友だちと過ごしている子が多かった。
私のゴザへやってくるのは1年生から4年生までがほとんどだ。
5年生にもなって、昼休みに、先生とゴザで過ごすなんて恥ずかしいのかもしれない。
やってくる子が多くなったので、ゴザを3枚にした。
みんな、何をするでもなく、スズメのように並んで座り、だまって運動場の方を眺めては、しばらくすると走り去っていく。
靴を脱いでゴザに上がると、気持ちがホッとするようだ。
ある日、私の学級の5年性の女の子がやってきた。
Aさんだ。
Aさんは、靴を脱いでゴザに上がり、しばらく私と話していたが、いつのまにか向こうをむいて寝こんだ。
ゴザには他の子もいたが、Aさんぐっすり寝込んでしまったようだ。
Aさんは、小さい頃に病気で母親を亡くしていた。
ずっと、おばあちゃんに育てられた。
おばあちゃんの話では、Aさんは、料理や掃除など家事を手伝ってきたが、5年生になって、おばあちゃんの分までたくさん引き受けるようになったそうだ。
Aさんは、がんばりやさんだった。
家事を引き受けすぎて疲れたのかな。
ゆっくり眠ったらいい。
昼休みの終わりのチャイムが鳴ったら起こしてあげよう。

5年生からは、料理や裁縫、掃除の仕方などを習う「家庭科」という学びが始まる。
調理実習では、5人ずつの班に別れて「朝ごはん」を作る。
ご飯とお味噌汁、おかずは何にするか班で話し合う。
栄養のバランスを考えて献立を決め、それぞれ調理の役割分担をきめていく。
目玉焼きを作る班もあればスクランブル・エッグを作る班もある
班によって味噌汁の具も違ってくる。
計画がまとまったらいざ調理実習。
みんな、エプロンと三角巾、マスクをして手を洗う。
包丁やまな板、ざるなどの調理道具をテーブルに出して、いざ調理の時間。
切る、洗う、焼く、みんな計画通り、役割分担で進めていく。
私は各班の様子を見ながらメモをしていく。
Aさんだけ、他の子どもたちの動きとはちょっと違っていた。
Aさんは、ビニル袋のゴミなどをすぐに捨てたり、班で使った包丁やボール、次から次に、いらなくなった道具は、すぐに洗って布巾で拭いて元の場所に収納している。
包丁、お玉、しゃもじなど、班の誰かが次に必要な道具をそっと横から出してあげていた。
使った道具はさっと洗って元の場所にすぐに収納した。
他の子たちはみんな調理に夢中だったが、Aさんだけはニコニコしながら裏方の仕事をこなしていたのが印象に残っている。
娘の夫は調理師だが、料理をしながら使った道具を洗ってすぐに収納している。
出たゴミや切りくずはすぐに処分する。
だから、料理が出来上がったときには、洗い物が全部片付いていた。
使った後はすぐに洗う。
調理の鉄則らしい。
Aさんは、その通りのことをやっていた。
調理が終わり、配膳もできた。
すべての班がエプロンと三角巾、マスクをとって試食待ちの時間だ。
Aさんの班だけ他の班と違っていた。
他の班は、流しに使った食器や道具、ゴミなどがあったが、Aさんの班だけは、シンクに一滴の水滴もなく、きれいに拭き上げられていたのである。
私は感動して、Aさんに最高得点をつけた。
後日、Aさんのおばあちゃんとの面談があった。
私はメモを見ながら、その出来事を話した。
「立派に育ててこられましたね」
おばあちゃんは
「そうですか、そうですか」
と、嬉しそうにハンカチで目を押えて泣いていらっしゃった。
あれから10数年後、私は定年退職を迎えた。
花屋に赤いカーネーションが店頭に並ぶ5月、近所を散歩しているとナデシコの花が咲いていた。
ナデシコはカーネーションの仲間だ。
「大和撫子」(やまとなでしこ)とは、控えめで、凛とした強さを持つ女性のことらしい。
散歩から帰ると、Aさんから一通の手紙が届いていた。
「先生、わたしも小学校の先生になりました。1年生の担任です。6月に結婚します」
Aさんにも、花が咲いた。
私は、昼休みの木陰でゴザを敷き、1年生たちに囲まれてニコニコしている彼女の姿を想像した。
