可愛いMVで有名!歌詞をちゃんと読んだら、意味深だった。───すりぃ feat. 鏡音レン「テレキャスタービーボーイ」
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私が最初にこの曲と出会ったとき、ただ「かわいいノリノリソング」と思っていた。
MVに登場するキャラクターたちのポップな動き、明るい色使い、どこかユーモラスな空気感。
movieデザインは、PEOPLE1の「常夜灯」や、チェーンソーマン人気OP(パワーちゃんが踊るヤツ)を書き下ろしたcoalowlさんが担当している。
ハマりすぎて気づいたら何度もリピートした頃もあった。
ずっと好きな曲だと思っていた。
ただ、私は歌詞をちゃんと読んだことは、一度もなかった。
改めてこの曲に向き合ったとき、まず引っかかったのが冒頭の一文字だ。
曲は「ま」という言葉から始まる。たった一文字。
それには、深い意味があった。
最初はただのリズムの取り方だと思っていた。
でも、ある考察を読んでから、その見方が変わった。
「ま」は本来「○」(まる)、つまり肯定の丸になるはずだった言葉なのかもしれない、と。
自分を肯定しようとした瞬間に、周囲の圧力によって押し潰されて、一文字しか声に出せなかった。そういう読み方だ。
その解釈が正しいかどうかは、私にはわからない。
でも、そう聞こえてしまったら最後、もうその一文字が以前とは全く違う重さで耳に届くようになってしまった。
たった一文字に、これだけの文脈が込められているとしたら、この曲はかなり恐ろしい。
すりぃが2019年にリリースしたこの曲には、鏡音レンのボーカルが乗っている。
リリース当時、すりぃ自身がこんな言葉を添えていた。「息苦しい社会だけれど好きに生きていこう」と。
その一文を知ったとき、私はしばらく画面から目が離せなかった。
何年も聴いてきた曲が、急に別の顔をして目の前に現れたような感覚だった。
MVに登場するのは、黒髪の子と金髪の子の二人だ。
一つの読み方として、黒髪の子は「女の子として生きたい」存在で、金髪の子は「男の子として生きたい」存在なのではないか、という解釈がある。
でも世間はそれを認めてくれない。
周囲からは、あるべき姿を強要され続けてきた。
MVの中で、鳥の子たちが登場する場面がある。
あの子たちは「違うでしょ」と否定しているのではなく、むしろ逆で、「居たい姿でいいんだよ」と肯定しているように見える、という読み方が私にはしっくりきた。
ずっと否定されてきた二人にとって、それは驚きだったはずだ。
だからこそ、素の姿で踊るシーンの二人があんなに楽しそうに見えるのかもしれない。
強要されてきた姿、俳優のように演じ続けてきた自分を、最後には押しのける。そのときに出てくるのが「テレキャスタービーボーイ」という言葉だ。
「テレキャスター」はギターの名前でもあるが、「テレビキャスター」、つまりテレビの出演者という意味にも読める。
「ビーボーイ」はヒップホップ文化における若い男性を指す言葉で、穿った見方をすれば「身も心も男性である人」とも取れる。
「ジーガール」はその対になる存在、つまり「身も心も女性である人」を指しているのかもしれない。
そう読むと、サビの「うざったいんだジーガール」という言葉の意味が一気に変わってくる。
テレビ越しに当事者でもないのに語ってくる人たち。
知りもしないのに、外側から「あなたはこうあるべきだ」と決めつけてくる声たち。
そういう存在に向かって、「お前たちの言うことなんて知るか」と突き放す言葉として読めるのだ。
私を知らない人間が、私を語るな。
そのメッセージが、あのポップなメロディーの裏側に、ずっと静かに流れていたのだと思う。
歌詞の中で「愛情を」という言葉が繰り返されながら、その愛情は「嘘で固められたもの」として描かれている。
求めているのに、届かない。届いたとしても、それが本物かどうかわからない。
上辺だけの理解、綺麗事だけの共感、そういうものへの苛立ちが「うざったいんだ」という直接的な言葉に結晶している。
感情を爆発させているわけではないけど、叫び伝える歌い方。
そのじれったさが、この曲のどこか噛み合わないようなグルーヴ感と重なって、奇妙なほどしっくりくる。
MVの最後で、うさぎの子たちも含めて全員が一緒に踊るシーンがある。
最初は敵対していたように見えた存在たちが、最終的には「それが君たちなんだね」と認め合う。
そういう着地点として読めるとしたら、この曲はただの抵抗の歌ではなく、理解し合える世界への願いを込めた曲でもあるのだと思う。
息苦しい社会だけれど、好きに生きていこう。
すりぃのその言葉が、MVのあの楽しそうな踊りと重なって、今は以前とは全く違う温度で聞こえてくる。
何年も聴いてきた。かわいいと思って、ただ繰り返してきた。
でも、知ったうえで好きになった今の方が、この曲との距離が縮まった気がしている。
表面の明るさだけを愛でていた自分が、少し恥ずかしいような、でもそれでよかったような、そういう複雑な気持ちが残る。
知っているつもりの曲が、全然知らない曲になる瞬間がある。
この曲は、そういう曲だった。
