Howばかり集めて、Whyを失っていないか
AI時代になって、個人が何かしらのコンテンツを作ることはかなり簡単になった。少なくとも、形にするところまでは昔よりずっと速い。AIに投げれば、簡単なアプリやWebサービスならそれなりのものがすぐ形になる。
この変化で、いちばん大きく下がったのはHowのコストだと思う。作り方を知ること、形にすること、そのものの価値は以前より薄まった。How自体はもう、それだけでは差になりにくい。
Howは共有される。模倣される。そしてAIによって、一気に複製される。やり方そのものは、どんどん手に入りやすくなっている。
とにかく今は、Howの情報ばかり目に入る。
どう書くか。
どう作るか。
どう伸ばすか。
どうすればそれっぽく見えるか。
そうした情報は手軽で分かりやすく、すぐに使える。一方、その手軽さの裏で、Whyは後回しにされやすい。
なぜそれをやるのか?
なぜそのテーマに時間を使うのか?
なぜ自分がやる必要があるのか?
その問いを曖昧にしたままでも、今はある程度まで進めてしまうからだ。
ここが、AI時代の厄介なところだと思う。Whyが固まっていなくても、Howさえ拾えば、それなりのものが作れてしまう。
見た目も整う。最低限の形にもなる。
だから一見、前に進んでいるように見える。
けれど、Whyを置き去りにしたまま作ったものは弱い。
どれだけ手際よく作っても、結局は似たものの一つで終わる。見た目は整っていても、すぐに埋もれる。だから続かない。積み上がらない。
模倣が悪い、という話ではない。
最初は誰だって真似から入る。
それ自体は自然なことだ。
ただ、Howばかり追い続けると、いつまでも自分の仕事にならない。
流行っている型をなぞる。反応の良かった手順を真似る。効率の良い方法に次々と乗り換える。それで一時的に形になっても、軸までは手に入らない。
WhyのないHowは弱い。
流行が終われば一緒に消えるし、反応が鈍ければすぐ止まる。もっと効率の良い手順が出てくれば簡単に乗り換わる。
それは自分の意思で進めているというより、借り物の手順に動かされているだけだ。
AIは、この傾向をさらに強くした。
雑に言えば、そこそこのものは誰でも作れる時代になった。つまり、そこそこのものを作れること自体には、もはや大きな価値はない。
重要なのは、もっと別のところにある。
どんな課題に向き合うのか?
誰に価値を届けるのか?
自分は何を持ち味として出せるのか?
なぜ、それを自分がやるのか?
AI時代に強いのは、Howをたくさん知っている人ではない。Whyを持っている人だ。
Whyという「動機」がある人は、手段が変わっても残る。使うツールが変わっても、出力の形式が変わっても、軸がぶれない。
逆に、Howばかり追ってきた人は、道具が便利になるほど、自分が何をしたいのか分からなくなる。Whyを置き去りにしたまま作ったものは、たいてい途中で空洞になる。
Howがあふれている時代に必要なのは、さらにHowを集めることではない。まず「自分はなぜそれをやるのか?」を言葉にすることだ。
AIが普及した今、いちばん差が出るのは技術の量ではなくなった。
Howを集める中で、Whyを失っていないか。
その問いを持ち続けられるかどうか、だと思う。
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