ルーツの旅クイズ|今昔地図でたどる「中島」さんのルーツはここ!?
はじめに
「中島」は全国第28位の名字です。
「中島」という名字は、全国各地にある「中島」という地名から生まれた、地名由来の名字とされています。
そもそも「中島」という地名は、川や海などに囲まれた土地や、水辺にある島状の土地を表す地名として、全国各地に残っています。
そのため、「中島」という名字にも、さまざまなルーツがあります。
今回は、その中から、古くから「中島」という名が残る一つの土地を訪ねてみます。
名字から地名へ。
そして、その土地に残された古い記録や地図へ。「中島」という名前をたどると、どんな場所に行き着くのでしょうか。
ルーツの旅クイズ
問題
全国第28位の名字「中島」さん。
名字のルーツをたどっていくと、「中島」という名前が今も残る土地があります。
その土地があるのは、どこでしょう?
A 愛知県一宮市
B 福岡県久留米市
C 群馬県前橋市
ヒント
今回の舞台は、かつて尾張国中島郡と呼ばれた地域。
ここには、
「中島」という地名
中島氏ゆかりの城
古代の寺院跡
中島氏ゆかりの寺や神社
などが残っています。そして、さらに興味深いことに、「中島」という名前は、鎌倉時代の古い記録にも登場します。

正解は…
A 愛知県一宮市です。
今回訪ねるのは、愛知県一宮市萩原町中島。
ここには、古代から現在まで続く「中島」という土地の記憶が残っています。
古代には寺院があり、中世には中島氏がこの地に勢力を持ち、その後も城、寺、神社などに歴史が受け継がれてきました。
さらに、「中島」という名前は、鎌倉時代の記録にも登場します。一つの地名をたどっていくと、一つの地名をたどっていくと、古代から鎌倉時代、中世、近世・近代、そして現在へと、何世代もの歴史がつながって見えてきます。
今回の「ルーツの旅」は、そこを地図と古い記録からたどってみます。

「中島」という名字と土地
まず、「中島」という名字そのものを見てみましょう。「中島」は全国各地にある地名から生まれた名字とされています。
ただし、「中島」という名字がすべて同じ一つの家系につながっているわけではありません。全国各地に「中島」という土地があり、そこからそれぞれの名字が生まれた可能性があります。
その中の一つとして、今回注目したいのが、尾張国中島郡の中島氏です。この中島氏について興味深いのは、後世の伝承だけではなく、鎌倉時代の史料にその名前が残っていることです。
鎌倉幕府の公式記録として知られる『吾妻鏡』を開いてみると、そこには「中島」という土地と、そこに暮らしていた人物の姿が見えてきます。
『吾妻鏡』に残る「中島」
ここで、少し古い記録を開いてみます。
『吾妻鏡』です。

文治2年(1186年)3月18日条には、尾張国中島郡をめぐる所領問題が記されています。そして、さらに時代が下った延応元年(1239年)9月21日条には、
「尾張国住人 中島左衛門尉宣長」
という人物が登場します。
宣長は、承久の乱の際に朝廷方についたことで、一時所領を失ったとされます。その後、幕府に訴え出て、屋敷や田畑の返還を認められたことが記されています。
ここで注目したいのは、「中島」という土地だけでなく、そこに暮らす「中島」という人物の名前まで、鎌倉時代の記録に残っていることです。
「中島」という名前が、800年近く前の史料に登場していることを確認できます。
「中島」を別の古典資料でも確かめる
ここで、もう一つ資料を見てみます。

ここで、もう一つ資料を開いてみます。
『姓氏家系大辞典』です。
この資料にも、中島左衛門尉宣長についての記載があります。『吾妻鏡』という鎌倉時代の史料と、後世に編まれた姓氏研究資料。
時代も性格も違う資料を見比べることで、同じ人物についてどのように記録が残されているのかを確認できます。
家系図や名字を調べていると、ついインターネット上の情報だけで完結させたくなります。でも、こうした古い資料を実際に開いてみると、
「本当に、昔の資料にこの名前が書かれている」というところまで、自分の目で確かめることができます。
ルーツを調べる面白さは、こうした「資料を開いて確かめること」にもあります。
古代から続く「中島」
では、さらに時間をさかのぼってみましょう。一宮市萩原町中島には、中島廃寺があります。
奈良・平安時代の寺院跡とされ、発掘調査では軒丸瓦や鬼瓦などが出土しています。つまり、この土地には少なくとも古代から人々の営みがあり、寺院が置かれるほどの地域だったことが分かります。
現在の風景だけを見ていると、そこに古代の寺院があったとは想像しにくいかもしれません。でも、土地を調べていくと、現在の中島の下に、古代の中島が見えてきます。
そして、その土地はやがて中島氏の歴史へとつながっていきます。
中世の中島|中島氏と中嶋城
鎌倉時代の史料に登場した中島氏。
この地域には、中島氏の居城と伝えられる中嶋城もあります。
「中島」という地名
↓
「中島」という名字
↓
中島左衛門尉宣長という人物
↓
中島氏ゆかりの中嶋城
と、一つの名前を手がかりに、土地と人物の関係が少しずつ見えてくることです。もちろん、現在の中嶋城址に立ったからといって、800年前の風景がそのまま見えるわけではありません。
それでも、「ここに中島氏の歴史があった」
ということを、地図や史料と重ねながら想像することができます。名字から始めた旅が、地名だけではなく、歴史上の人物とその居城にまでつながっていきます。
中島氏の記憶を伝える|長隆寺と中嶋宮
中島氏の歴史をさらにたどると、興味深い場所が見えてきます。それが、長隆寺と中嶋宮です。
長隆寺は、中島氏の菩提寺とされる寺。そして、その隣には現在の中嶋宮があります。この神社は、もともとは八劔社と呼ばれていました。
大正時代の神社合祀によって周辺の神社が合祀され、その中には「元伊勢・中嶋宮」の伝承を持つ丸宮神明社も含まれていました。その後、「中嶋宮」の歴史を受け継ぐ形で、現在の社名につながったとされています。
ここで興味深いのは、単に神社の名前が変わったということではありません。
神社の名前をたどっていくだけでも、中島という土地の信仰が、時代を越えて受け継がれてきたことが見えてきます。
城には一族の歴史が残り、
寺には一族を弔う記憶が残り、
神社には地域の信仰が残る。
同じ「中島」という土地の中に、さまざまな記憶が重なっています。
古絵図から見る「中島村」
ここで、さらに時代を巻き戻してみましょう。今回、国立国会図書館デジタルコレクションで見つけた古い資料には、「中島村」
という文字とともに、長隆寺が描かれています。
そして、そこには人々の暮らしや、地域に関わる人物の名前も記されています。現代の地図だけを見れば、「中島」は一つの地名です。
しかし古い資料を開いてみると、
中島村という村があり、
そこに寺があり、
人々が暮らし、
中島氏の歴史があった。
そんな土地の姿が浮かび上がってきます。
古絵図を見る面白さは、現在の地図では見えなくなった「土地の記憶」を拾えることです。

今昔マップで「昔」と「今」を重ねる
ただし、古絵図だけでは一つ問題があります。「それが現在のどこなのか」が分かりにくいこと。
そこで、今昔マップを使って現在の地図と重ねてみます。すると、
昔の道は現在も残っているのか
集落はどのように変化したのか
昔から続く水路はあるのか
寺や神社の位置は変わっているのか
といったことが見えてきます。古地図 × 今昔マップ、この二つを組み合わせることで、「昔の中島」と「現在の中島」を、同じ土地として見ることができます。
地図を重ねてみると、ただの地名だった「中島」が、何百年もの時間が積み重なった一つの土地として立ち上がってきます。

YAMA散歩|中島という土地を歩いてみよう
ここまで資料と地図で見てきた「中島」を、実際に歩いてみます。
① 中島廃寺
まずは、古代の中島。
奈良・平安時代の寺院跡とされる場所です。
ここで感じたいのは、「この土地には、古代から人の営みがあった」という時間です。

② 中嶋城址
次に、中島氏ゆかりの中嶋城址。中島左衛門尉宣長が居城したと伝えられる場所です。大規模な城跡が、そのまま残っているわけではありません。
だからこそ、史料や地図を頭に置きながら、「この場所に中島氏の歴史があった」と想像しながら歩いてみます。

③ 長隆寺
続いて、中島氏の菩提寺とされる長隆寺へ。ここでは、中島氏という一族が、この土地とどのように関わってきたのかを考えてみます。
古代の寺院跡から、中世の城。
そして一族の菩提寺。
同じ「中島」という土地の中に、異なる時代の痕跡が残っています。

④ 中嶋宮
最後は、中嶋宮。
かつては八劔社と呼ばれていた神社です。
現在の社名に至るまでには、神社の合祀や「元伊勢・中嶋宮」の伝承など、地域の信仰の歴史が重なっています。神社を訪ねてみると、城や寺だけでは分からない「人々の祈り」も見えてきます。

ルーツの視点|「中島」を800年前までたどる
今回、「中島」という名字を手がかりに、一つの土地を訪ねてみました。
すると、
古代には寺院があり、鎌倉時代には『吾妻鏡』に中島左衛門尉宣長の名が登場し、中世には中島氏ゆかりの城があり、その一族の菩提寺が残り、神社には地域の信仰が受け継がれ、
そして現在も、「中島」という地名が残っています。ここが、今回の旅で一番面白いところでした。
名字を調べることは、単に「先祖の名前」を調べることではありません。その名前が残る土地を調べ、古い地図を開き、史料を読み、実際に歩いてみる。
すると、
人 → 一族 → 土地 → 歴史
というつながりが見えてくることがあります。「中島」という名前を入り口にすると、800年近く前の人物の記録と、現在の町が一本の線でつながって見えてきます。
名字は、土地への入り口にもなる。今回の「中島」は、そんなことを感じさせてくれる土地でした。
おわりに
今回の旅では、
「中島」という名字
尾張国中島郡
『吾妻鏡』に登場する中島左衛門尉宣長
中島廃寺
中嶋城址
長隆寺
中嶋宮
古地図に残る中島村
今昔マップから見る現在の中島
をたどってきました。
一つの名字から始まった旅が、
古代の寺院、
鎌倉時代の記録、
中世の城、
一族の菩提寺、
地域の神社、
そして現在の町へとつながっていきました。
同じ土地の上に、何世代もの人々の暮らしが積み重なっている。それを地図から読み取り、古い記録から確かめ、実際に歩いてみる。
それが、ルーツの旅の面白さです。
あなたの名字は、どんな景色につながっているでしょうか。
あなたも「ルーツの旅」に出てみませんか?
今回の旅では、「中島」という名字を手がかりに、愛知県一宮市萩原町中島を訪ねました。
古地図を開き、今昔マップで現在と重ね、さらに寺や神社、城跡、そして古い記録を調べていく。
すると、名字だけでは見えなかった土地の歴史が、少しずつ浮かび上がってきます。
あなたの名字にも、そんな「名前の残された土地」があるかもしれません。
「ルーツの旅」は、名字・戸籍・古地図・郷土史などを組み合わせ、その土地ならではの物語をたどる旅です。
まずは、「ルーツの旅」とはどんな旅なのかをご覧ください。
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一つひとつの名字から、日本各地の風景と歴史をたどる「ルーツの旅」を、これからも続けていきます。
【参考文献・資料】
📖 太田亮『姓氏家系大辞典』
📖 高澤等・森岡浩『決定版 面白いほどよくわかる!家紋と名字』
📖 森岡浩『ルーツがわかる名字の辞典』
📖 『吾妻鏡』延応元年(1239年)9月21日条
(『国史大系』第5巻所収/国立国会図書館デジタルコレクション)
📖 今昔地図は、今昔マップ on the webより作成
📖 古絵図:岡田啓・野口道直『尾張名所図会』後編巻2/国立国会図書館デジタルコレクション
※「中島」姓の順位・分布については、森岡浩氏による各地域の電話帳をもとにした独自集計による。
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