ルーツの旅クイズ|今昔地図でたどる「山田さん」の故郷はここ!?
いつもお読みいただきありがとうございます!
ルーツの旅好き山田です。
「山田」と聞いて、
あなたは何を思い浮かべますか?
実は、私自身この名字、
学生の頃はちょっと苦手でした。
教科書やテストの
例文によく出てくる
「山田さん」。
どこか“地味”で
“普通”な印象があり、
いじられることも
多かったからです。
でも、ルーツを調べ始めた今は、
まったく逆の気持ちを抱いています。
「山田さん」は、
驚くほど深い歴史と
ドラマが詰まった名字でした。
今回のルーツの旅は、
日本で12番目に多い名字――
そう、「山田さん」の物語です。
気軽に読めて、
ふと自分の名前にも
想いを馳せたくなる。
そんな時間になれば
嬉しいです。
それでは、
ルーツの旅へ行ってらっしゃい!
「山田さん」の由来とは?|自然とともに生きた稲作の暮らしから
「山田さん」は、
日本に数多く存在する
地形に由来した名字の中でも、
とくに代表的なものです。
日本列島の多くは
山地が占めており、
平らな土地は貴重でした。
そのため、
昔の人々は山のふもとや
谷間にわずかに広がる
土地を切り拓き、
田んぼにしていきました。
こうした暮らしの中で
生まれたのが「山田」
という名字です。
「山」と「田」――
自然の地形と人の営みを
そのまま名前にしたような
この姓には、
土地とともに生きてきた
人々の知恵や努力が
にじんでいます。
「山田」さんは全国に
広く分布しており、
名字の多さランキングでは
常に上位(全国15府県でトップテン入り)
に位置しています。
学校の教科書でもおなじみの、
まさに“ザ・日本”の姓とも
いえるかもしれませんね。
さて、ここで...
ルーツの旅クイズ!
日本全国にある
山田さんのルーツ。
なかでも「山田」姓には、
由緒ある一族が存在していました。
源氏の流れをくみ、
鎌倉時代には御家人として
活躍したその家系。
歴史書『吾妻鏡』にも
名が記されるほどの名家です。
さて、ここで問題!
Q. 鎌倉時代の史書『吾妻鏡』にも登場する、
山田氏のルーツとされる地域はどこでしょう?
A. 宮城県
B. 福岡県
C. 愛知県
「うーん…🤔」と悩んでいる方
のために、ヒントです!
お馴染みのやつ、、、もちろん出します!!
この地図は100年以上前のものです!

これは、選択肢にある都道府県の
「ある地域」の1888(明治21年)
~1898年(明治31年)
の様子を描いた地図です。
色が濃い部分の中心はお城なんですね。
なんのお城なんでしょうか?
...
今回は追加ヒント
欲しいと思っている方
いらっしゃるでしょう。
このお城は、
明治時代に軍の基地として
使われていた時期がありました。
天守が、兵舎になったこともあるんです。
ヒントになっていたでしょうか?
お城好きなあなたなら
ピン!と来たはず。
✅ 正解は… C. 愛知県!
「山田」という名字は
全国にルーツがありますが、
中でもよく知られるのが
愛知県(旧・尾張)出身
の山田一族です。
この家系は、
平安時代の武将・源満政や
源満快の流れをくむ
「尾張源氏」の一族とされ、
鎌倉時代には幕府に仕えた
御家人として活躍しました。
幕府の公式記録『吾妻鏡』
にも名が残されており、
現在でも自らをその子孫とする
家が各地に伝わっています。
実は、かつて名古屋市の一部には、
「山田村」という地名があり、
そこに暮らしていた人々が
「山田さん」と名乗るように
なったとも伝えられています。
現在もその名残として、
「山田天満宮」や「山田町」
といった地名が残り、
地域の歴史を今に伝えています。
「山田さん」のお話をしてきましたが、
もしかしたらあなたの名字にも、
こんなふうに土地の地名と結びついた
物語があるかもしれません。
そんな“自分だけのルーツの旅”を
【ルーツの旅のしおり】を片手に
体験してみませんか?
ちなみに、先ほどの地図は
「名古屋市周辺」のもの です!
では、今の名古屋市周辺を
見てみましょう!

今昔地図から時代の変化を読み解こう!
あなたなら、どんなところに
着目するでしょうか?
お馴染みの地図を眺めながら
妄想タイム!!をお楽しみください。

個人的には鉄道も気になりますが、
やはりお城も気になるんですよね!!
よく見ると、
名古屋城周辺は
何かの建物が建っているようです。
ズームしてみましょう。

「練兵場」とありますね。
練兵場は、
旧日本陸軍の兵士を
訓練するための施設のことです。
現在の陸上自衛隊では
「駐屯地」や「演習場」と
呼ばれていますよね。
ちょっと聞きなれない言葉です。
簡潔に言えば、
「戦前の軍隊が訓練していた広い場所」です。
名古屋城はかつて陸軍の拠点だった!?
明治維新後、
名古屋城は軍事施設としての
役割を担うようになります。
1872年(明治5)には、
本丸に東京鎮台第三分営
(後の名古屋鎮台)が置かれ、
天守は仮兵舎、
本丸御殿は鎮台本部として
使用されました。
さらに、
二之丸や三之丸も
陸軍の管理下に入り、
兵舎や予備弾薬庫
(現在も残る「乃木倉庫」)
などが建てられ、
多くの建物が撤去されていきます。
その後、
名古屋城の文化的価値を
見直す声が高まり、
1891年には一部が
宮内省に移管され、
最終的に「名古屋離宮」として
皇室の施設になりますが、
明治初期の名古屋城は
まさに“軍の城”だったのです。
1888(明治21年)~1898年(明治31年)
の後の地図(1920年)見てみましょう。

1920年(大正9年)の地図には
練兵場の他に
「名古屋離宮」
「歩六」
「騎三」
「午砲堂」
の文字が見えますね。
歩六は、歩兵第六連隊
騎三は、騎兵第三連隊
の略でしょう。
午砲堂とは何でしょうか...
「半ドン」は午砲堂から生まれた―説ってホント!?
名古屋城の一角にある「午砲堂」。
これは、正午を知らせるための
空砲=「午砲(ごほう)」を
撃っていた場所。
明治から大正にかけ、
東京や名古屋、仙台、大阪など
全国の師団司令部で
正午ちょうどに「ドン」と
空砲が鳴らされていたのです。
時計を持つ人がまだ少なかった時代、
人々はこの音で時刻を知り、
日々の暮らしにメリハリを
つけていました。
この「ドン」という音が、
実は「半ドン」という言葉の
由来ではないかという説もあるのです。
「半ドン」とは、
明治9年に官庁などが
土曜半休になったことから
広まった言葉で、
定説ではオランダ語の
「zondag(ゾンターク=日曜日)」
が「ドンタク」となり、
半分の休日を意味する
「半ドンタク」→「半ドン」
となったとされています。
これは文明開化の時代、
長崎出島を通じてオランダ語が
日本に入ってきたことが
背景にあります。
しかし一方で、
「午砲」が正午に鳴る
=一日の半分を告げる
「ドン」から「半ドン」
という言葉が生まれた
という異説も語り継がれてきました。
軍備縮小に伴い1922年に
午砲は廃止され、
その後はサイレンに
取って代わられたそうです。
こうした説をたどっていくと、
「半ドン」とは単なる言葉以上に、
明治から昭和にかけての
日本人の生活様式や時間感覚、
異文化の受容の歴史そのものを
映し出しているように思えます。
定説か、異説か。
どちらが真実かを
決めつけるのではなく、
それぞれの言葉の背景を
たどることで、
日本の近代が
どう築かれていったのかに
思いを馳せる。
それもまた、
「ルーツの旅」の
一つなのかもしれません。
山田氏ゆかりの地を歩いてみよう!!
上菱野城(かみひしのじょう)跡 – 山田泰親の居城
現在、名古屋市守山区の
真宗高田派・本泉寺
のある場所は、
かつて「山口城」が
築かれていた地でした。
境内の南側には、
当時の土塁や堀の跡が
今も一部に残っており、
中世の面影を感じる
ことができます。
この地域は、
かつて「上菱野(かみひしの)」
と呼ばれ、上菱野城跡
としても知られています。
山田氏の中でも特に有名な
山田重忠(しげただ)は、
平安時代末から鎌倉時代初期に
かけて活躍した武将で、
承久の乱(1221年)では
後鳥羽上皇側に付き
奮戦しましたが、
敗れて京都で自害。
その後、一時は没落した
山田氏ですが、
重忠の子孫である
山田泰親(やすちか)と
その弟・親氏(ちかうじ)が
それぞれ上菱野と
下菱野の地頭として再興し、
この地に再び根を下ろしました。
泰親は晩年、
出家して「瀞顕(じょうけん)」
と名乗り、1283年(弘安6年)、
山口城の南に本泉寺を建立。
しかし1613年(慶長18年)、
大きな水害の影響で寺は
現在の地へ移転されたと
伝えられています。
下菱野城(しもひしのじょう)跡 – 山田親氏の拠点
上菱野に対して山田親氏が
地頭として拠点を
構えたとされる城跡。
詳細な遺構はあまり
残っていませんが、
地名や伝承にその
名残が見られます。
上菱野城と対をなす
一族の拠点です。
大永寺(だいえいじ) – 山田重忠の墓と伝承
曹洞宗の寺院で、
山田重忠の供養塔が
あると伝えられています。
重忠の武勇と悲運を偲ぶ場として、
地元では山田氏ゆかりの寺
として知られています。
長母寺(ちょうぼじ)– 山田氏と深いつながりをもつ古刹
長母寺(ちょうぼじ)は、
かつて尾張国山田郡にあった場所に、
治承3年(1179年)、
地元の領主・山田重忠によって
創建された寺院です。
最初は天台宗で、
亀鐘山桃尾寺(きしょうざん ももおじ)
と呼ばれていました。
まとめ|「山田さん」に隠されたルーツと、名古屋城にまつわる歴史ロマン
「山田」という名字は、日本の自然地形(山と田)に由来し、稲作を中心とした暮らしの中で生まれた非常に身近な姓。
全国で12番目に多く、教科書にも頻出する「ザ・日本の名字」と言える。
古地図を手がかりに、明治時代の名古屋城の姿を探ると、そこは軍事拠点として使われていた。「練兵場」や「歩六(歩兵第六連隊)」などの表記も確認できる。
名古屋城内には「午砲堂」があり、正午を告げる空砲が鳴らされていた。これが「半ドン」という言葉の語源の一説ともされている。
特に愛知県(旧・尾張)には、源氏の流れをくむ由緒ある山田氏の一族が存在し、鎌倉時代には御家人として活躍。名古屋市周辺には「山田村」や「山田天満宮」など、今も地名にその名残が残る。
いかがでしたでしょうか?
今回の山田さんのルーツを
たどる旅は楽しんで頂けましたか?
あなたの名字にも、
そんな深い物語があるかもしれません。
“ルーツのしおり”を片手に、
あなた自身の「ルーツの旅」
を始めてみませんか?
※本日のトップ画像は、
noteクリエイター「ばぶさん」の作品
【一人旅】春の東谷山フルーツパーク
〜桜以外も楽しむ!お花見編〜
(愛知県 名古屋市守山区)
を使わせていただきました🌿
(みんなのフォトギャラリーより)
【おまけクイズ】
はち丸 おまけクイズ 🎉
Q. 名古屋市の公式マスコットキャラクター「はち丸」が生まれたとされるのは、次のうちどの年?
A)1603年
B)1610年
C)1868年
✅ 正解は、次回の
「佐々木さん」ルーツ記事で発表します🎉
【吉田さんのルーツ・おまけクイズの答え】
奈良県マスコットキャラクターと言えばせんとくん。
せんとくんが初めて発表されたのは、
何のイベントのマスコットキャラクター
としてだったでしょう?
A. 奈良国立博物館の特別展
B. 平城遷都1300年祭
C. 東大寺の大仏開眼記念祭
✅ 正解:B. 平城遷都1300年祭
【参考文献】
📖 姓氏家系大辞典 太田亮
📖 決定版 面白いほどよくわかる!家紋と名字 高澤等・森岡浩
📖 ルーツがわかる名字の辞典 森岡浩
※1 森岡浩氏による各地域の電話帳をもとにした独自集計ランキングより。
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