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【SNK】功罪【餓狼】

 ここ1年くらいずっと考えていた(大袈裟?)。
 あ、ギースとか、BIGとかに対するいろんなアレな。

 たぶん『CotW』のストーリーとか設定面でモヤモヤしてきたのは、ぼくのようなおっさん、もしくはジジイばかりで、若い人たちはそういう感じ方をしていないと思う。そもそも若い人たちは、20年以上前のシリーズ作品のことをよく知らないだろうし、ゲームそのものを含めたあの日々の思い出というかノスタルジーというか、要するに思い入れがないだろうから、それも当然なのかもしれない。

 で、ぼくのような厄介な古参ファンがいろいろとモヤってしまう一番の原因は何なのか? ということを考えに考えて、ようやく到達したひとつの答えが、

 天獅子ギースが悪いとゆうほかはない!

 である。
 何をいっているかよく判らないかもしれないが、少なくともぼくにとっては間違いなくこれが原因。以下にその理由を解説するッ!

これ。これがもともとのギースさんの姿。今じゃ絶対にこんなこといわないよな。

 1990年代格ゲーブーム全盛期、SNKはカプコンとともに業界をリードしていた。SNKとカプコンでは、同じ格ゲーでもかなりおもむきが違っていたわけだが、ゲーム部分以外の大きな違いのひとつに、登場キャラクターの設定量の差がある。
 単純にいえば、カプコンキャラが比較的ふわっとした味つけだったのに対し、SNKキャラはとにかく濃い。味が濃い。ゲーム中の演出だけにとどまらず、プロフィールやストーリー面でもその味つけをぐいぐい押しつけてくるのがSNK。庵なんかはその最たるもので、それが当時のゲームをしない女性層にもぐさぐさ刺さりまくったのだろう。
 とはいえ、その傾向が加速していくのは『KOF』オロチ編が盛り上がる90年代なかば以降で、それ以前にリリースされていた初期の『餓狼』シリーズや『龍虎』などでは、もちろん他社キャラ以上のたくさんの設定がすでに用意されてはいたものの、ゲーム内でのテキスト演出の貧弱さもあって、まだそこまで濃くはなかった。特に『餓狼』に注視していうなら、
「これからはゲーム内でどんどんストーリーを語っていくぞ!」
 という意気込みが見えたのは『3』あたりだった(そしてこれが最初で最後となった)。

 一方、天獅子コミカライズが世に出てきたのは初代『龍虎』からである。その後、『龍虎2』、『龍虎外伝』、そしてギースを主人公とした『餓狼』と続く。
 格ゲーでもムービーやボイスによるストーリーテリングが当たり前の昨今と違い、90年代の前半はひどくあっさりしていた。おそらく当時のSNKは、そこをおぎなうためにキャラ設定をモリモリしていたのではないかと思う。NEOGEOの隆盛を見れば判るように、それは一定の効果をあげた。
 そこにほいっと投下されたのが天獅子コミックである。ゲーム中では描かれない、設定だけでも語り尽くせないキャラの魅力を、情報に餓えていた当時のファンに、これでもかと浴びせかけてきたのが天獅子コミックなのである。
 そして、ぼくが思う天獅子コミックの功罪がここにある。

 天獅子ギースはとてもかっこいい。『3』のゲーム中でもかなりかっこいいギースが描かれていたが、もし天獅子コミックがなければ、「やっぱギースってかっけぇ⋯⋯」とみんなが溜息をつくようなギース像は完成しなかっただろう(断言)。
 以降、『KOF』などのほかのタイトルも含めて、ギースは孤高の悪のカリスマ、みたいなイメージで描かれてきた。ほとんどのファンもそう思ってきただろうし、ぼく自身、『MI』シリーズに登場するギースをそういう人物として描いた。
 が、冷静に考えてみると、

「⋯⋯これ、ゲームの『餓狼』のギースじゃなくて、天獅子『餓狼』のギースじゃね⋯⋯?」

 という疑問が湧いてきた。

 これだ! これだよ! 『CotW』の各キャラのエンディングから伝わってくるギース像と、ぼくが四半世紀にわたってずっと脳内で醸成してきたギース像の間に横たわるギャップの原因がこれ!
 要するに、ぼくが「ギースはかっこいい」と思っている要素のかなりの部分が、ゲームではなく天獅子ギースに由来するものなのである。
 だって、ゲーム中のギースの一番有名なセリフって「ゆるるさーん!」じゃん? 逆にコミック版のギースは口にするセリフのほとんどがカッコいいわけで、そりゃああの時代にあれ読んだらギース=ちょうカッコいい、ってなるのは当然のありさま。ぼくは知らず知らずのうちに、ギースはただひたすら野望のために邁進する孤高の男であり、支配者はただ君臨するのみであとには何も残さない、みたいな印象を持ってだけなのだろう。ゲームのほうのギースはそんなことひと言もいってないのにな。
 もちろんそれは、ゲームのギースがカッコよくないという意味ではない。天獅子ギースが盛られすぎているだけの話である。ただ、それがあまりに強烈すぎて、ぼくだけでなく、大なり小なりこういう呪縛におちいっている人はいると思う。
 そしてあらためて思った。やはりぼくのモヤモヤは見当違いだったと。勝手に「ギースとはこういうもの!」と思い込み、勝手に「違う!」と困惑しただけなのだ。

 なんてことをあれこれ考えているうちに、ゲームのほうではついにマリーが配信される。後頭部を刈り上げ、ダイナマイトスウィング中の髪の毛「ふぁさ⋯⋯っ」を捨てた三十路のマリーに、ぼくはまた何かしらのギャップを感じるのかもしれないが、だとしても、それはすべて天獅子ギースのせいなのである。

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