希死念慮、卒業したいけど
先日の診察で主治医に、私の希死念慮について相談すると、「☓☓になると、死にたくなるのはなぜ?」「死にたいと、☓☓は直接関係ないよね」「飛躍してるように思える」「よくないループに入って、死にたいところから抜け出せていないよ」と、改めて言われた。
そうかもな。
私の「死にたい」が発動するきっかけは、世の中の誰しもが経験することで、私が死にたくなるのは、客観的にみたら飛躍しているのかも。
どうして死にたいんだろう。
疲れると死にたい。
家の外での、人との摩擦、小さな失敗、ミス、勘違い、いき違いが、夕方家に帰ってくると、自分の無価値感となって重くのしかかる。気がつけば、なんだかもう、すべてがどうでもいい。
居場所が見つからなくて、右往左往した1日。疲弊して、ペランペランなのに、嵐のような強風で煽られまくっている、今にも破れそうなティッシュみたい。
そうなると、すぐに死にたいルート一直線。
日記に、色々考えたことを殴り書きする。
私が死にたいのは、自分が無価値で、生きている理由や、道理が分からなくなるから。生きていいいと思えないから。
生きることに対する、喜びも、欲望も、悲しみも、後悔もまとめて、人生を真っ白に漂白してしまいたくなる。
私は信仰している宗教は特にないけど、死ぬことは無だと思っている。
輪廻とか来世とか、あるかもしれないけど、大抵の人が前世について覚えていないように、私も知らない。
知らないものは感じようもないし、信じようもない。
だから、死んだら無になっておしまい。
死んでしまうことで、自分の無価値が精算されるなら、それでいい。
無価値で、生きている理由もない人間が一人、この世の中に生かされているこの現実が、申し訳なく、肩身が狭い。
私の死生観は、簡単に言えばそんなふう。
死にたい。
それを、逃げだとか、責任放棄だとか、情けないことだとか。周りの人の悲しみとか、善意とか、後悔とかを踏みにじる行為だと言われたこともある。
でも、死にたくてたまらないのは事実で、私が自らすすんで、望んで、「死にたくてたまらない」状態になっているわけではない。
不意に、ぼうっとした幽霊みたいに、不安みたいに、「死にたい」の波は私を包み込むようにやってくる。
そもそも、なぜ死にたいかというと、自分に価値が見つからないから。
生きていていいと思えないから。
生きている理由がないから。
さらに、その根底にあるのは、私の人や世界とのつながりの薄さだ。
友だちがいても、今で言ういじられキャラだったからか、何かの拍子にからかいの的になったり、仲間外れにされることは、ずっとだった。
安心して、この人となら友だちができると思ったことが、人生の中で一度もない。ソウルメイトなんてものは、一次的な錯覚や、妄想なのじゃないかと(失礼ながら)思ってもいる。
友だちの定義や考え方が、硬直しすぎていると思われるかもしれないけど、小さな子どもの私には、「友だちだと思ってたのに、なんで?」という、悲しみと恐怖と不安しか残らなかった。
今も、友だちと呼べる人は数人いるけど、この人たちを友だちと呼ぶことにためらいがある。大丈夫なんだろうか、すぐに何かのきっかけで消えてしまうのではと、不安と恐怖と、失ったらどうしようと、びくびくしながら付き合っている。
いくら信頼できる人でも、失ってもそれまで、と思えない。
人間関係には、賞味期限がある。
執着しても、その人は自分ではないから、過剰に期待しても仕方がないのだと分かっていても、全信頼を賭けてしまう。
どこかでつながりを一つ一つ見つけていって、その薄くて、弱いつながりを、信頼しすぎないけど、否定もしない。
一つ一つ実験して、経験を積んで、自分の居場所や価値を「まあ、そこまで真剣に考えすぎなくてもいいでしょ」と思えるようになれば、「死にたい」は、きっと薄れていく。
人として生きていくのに、そんな大層な理由も道理も必要ないよ。
言われずとも。
価値があるなしを問えるほど、自分がそんな偉い人間でないことはよくよく知っているし。
私の「希死念慮」は、きっと寂しさから生まれている。
友だち、ほしいな。
【今日の英作文】
外国語の学習には長年の努力が必要です。でも一歩一歩積み重ねていけます。
Learning a foreign laguage requires long-term effort. But we can build our skills step by step.
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