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大好きだよと伝えることで、欲しかった親になっていくのかもしれない

「ただいま!!」

そろそろ17時を回る頃、玄関から張りのある声がした。
4歳の息子、保育園からお戻りである。
毎日プールに入っているからか、日に日にその肌は浅黒くなってきている。

家で留守番をしていた1歳の娘が、「おにいちゃん!おかえり!!まってたわよ!!」と言わんばかりにハイハイで玄関に向かった。

「まず手ぇ洗おうね〜」
迎えに行ってくれた夫の同じセリフが、何度か聞こえた。
でも息子はなかなか手を洗おうとしない。

「いもうとーー!!」と1歳の娘に駆け寄って羽交い締めにして、玄関からリビングまで運んだり。
朝、家を出る前に作っていたブロックのことを思い出し、制作を再開したり。
手を洗うまでには、膨大な行程があるようだ。

何度目かの声掛けで、ようやく台所にやってきて、手を洗おうと踏み台を登った息子。
そこで息子の目に入ったのは、シンクの縁に置いてあった小さなザルだった。中にはしらすが入っている。
数分前に、私が1歳の娘も食べられるようにと塩抜きをして、そのままにしていた。

息子はすかさずつまみ食いをした。
保育園で砂遊びをしたままの手を、ザルに突っ込んで。

「ちょ、汚い手でつまみ食いせんといてって言うてるやん!!!!」


横にいた私は、反射的に声のボリュームを上げてしまった。

(何度も言われてたやん。それに、しらす、娘にも食べさせるつもりやってんけど)

小さな『おいなんでやねん』が重なって、少し言い方がキツくなった。

途端に息子の口がへの字に曲がる。

「おこるのはいやや!!!」

そう言い捨てると、踏み台から降りて台所の床にどてっと寝そべった。
身長約95センチ。年中組のクラスで一番背が低い息子とはいえ、我が家の狭い台所に転がられると、その床面積は余計に狭くなる。

「おこるのはいやや!かーちゃんがわるい!!!」

どうやら先ほどの私の一言が、息子の大不機嫌スイッチをオンにしてしまったらしい。

「だって手洗ってって何回も言ったのに洗わんからやん」
「いやだ!かーちゃんがわるい!!」

帰ってきた時の元気な声はどこへやら。
息子のスネスネタイム、幕開けである。
私はため息をついた。

私としては、自分の言い分が間違っているとは思わない。
けれど、こういう時私はいつも、反射的に「ごめんね」と言ってしまっていた。

言い方が悪かったね。
そんなこと、イライラするほどのことじゃないね。
キツく言われると嫌やったね。

そう言えば、ある程度息子の大不機嫌は改善される。
しばらく「かーちゃんまだおはなしして!(=謝罪して、俺の機嫌を取りたまえ)」と不貞腐れることがあるとはいえ、そのうちなんとなく機嫌を直してくれる。

でも、それでいいのだろうか。
これまで何度も、こういうときにモヤモヤしていた。

何があっても、かーちゃんが悪い。だから先に謝るのはかーちゃんだ。
自分は悪くない。

親に対しての甘えもあるのだろうけれど、それを繰り返していたら、息子はどうなってしまうのだろう。
いつしか親にとどまらず、どんな時でも誰かが謝ってくれるもの、自分は謝らないもの、と思い込むのではないだろうか。
そうなると、いろいろな場面で、生きるのに苦労するのではないだろうか。

そんな思いが駆け巡り、その時私は「ごめんね」を飲み込んだ。

いつも「あ、ごめんね、あのさ…」と言う私が「ごめんね」を言わない。
息子は普段と違う風の吹き回しに、烈火の如く怒り出した。

「かーちゃんごめんねいってよ!!!!!!!!!」

息子はヒートアップし、あっという間に他の会話が成立しなくなった。

「そりゃ言い方が嫌やったんかもしれんけどさ、元はというとなんで怒られたん?」
「かーちゃんごめんねっていってよ!!!!!!!」
「しらす食べたからやろ?何回も手洗ってって言われたやろ?」
「かーちゃんごめんねっていってよ!!!!!!!」
「言われてることはわかりますか?」
「かーちゃんごめんねっていってよ!!!!!!!」


エンドレスかーちゃんごめんねっていってよマシーンの誕生である。


こういうとき、どうすればいいのだろう。いつも迷う。

「そんなわがままばっかり言うなら外に出すよ!!!」と怒って威圧するのが楽なのだろうか。

いや、それは通じない。

息子は、私が怒ると「おこるのいやや💢💢💢💢💢💢」と私以上に怒り返してくる。
外に出されないよう私に足にしがみつき、ふりほどかれれば服を引っ張る。
次第に私の方が「この子になめられてるんやろか、私は」なんて被害妄想を膨らまして悲しくなるのが顛末だ。

しかし冷静に話そうとしても、エンドレスマシーンは簡単にはスイッチオフにしてくれない。

膠着状態で、時間ばかりが過ぎていく。
多分、私が謝れば大体のことは終わる。
でもそれをすると、同じことが以後何度でも繰り返される。

「まあいっか」と折れながらも、頭の片隅では「この子はこのままやとどうなるんやろう」と不安が渦巻く。
ちゃんと言って聞かせられない自分を、情けないなと思う。
そんな日々が。

「手洗ってから触ってって言ったことに関しては、かーちゃん間違ってると思わんからごめんねって言わない」
私が静かに言うと、息子は叫んだ。

「かーちゃんがごめんねっていわないからわるい!!!!!」

ごめんねと伝えるのは簡単だ。
でも、それで息子は満たされるのだろうか。

そもそも、この子は心から、自分が悪くないと思っているのだろうか。
本当は自分に落ち度があることを、ちゃんとわかっているのではないだろうか。

一旦外に出ようよ、もイヤ。
とーちゃんと話そうよ、と夫が仲裁に入っても、イヤ。

息子は怒っているというよりは、もはや引っ込みがつかなくなっているように見えた。
ギャンギャンと泣いたその顔は、涙でぐちゃぐちゃで、瞼もパンパンだ。
その表情を見ていると、なんだか深く悲しんでいるように見えた。

もしかすると、私が「ごめんね」と言わないことで、息子は「かーちゃんにみすてられた、きらわれた」と思っているのではないだろうか。
怒りながらも「ぼくをきらいにならないで」と泣いているのではないだろうか。

「あのさ、かーちゃん手洗ってって怒ったけど、だからといって息子くんを嫌いになったりしないよ。とーちゃんもかーちゃんもいもうとも、君が大好きだよ。怒ってもそれは変わらないよ。そんなことは怖がらなくていいんだよ。」

息子に視線を合わせ、そう伝えた。
すると、エンドレスマシーンは一旦稼働を止めた。
ひっくひっくと泣き顔ながらも、話を聞く耳は持ったようだ。
そして、しばらくすると、気まずそうに小さな声でつぶやいた。

「しらす、さわってごめんね…」

「うん、これからは手を先に洗ってね。かーちゃんもきつい言い方してごめんね」

やり取りから30分は経っていただろうか。無事和解成立である。

ああ、お疲れ様、私。
もう時計は18時が近づいている。
長かったなぁ、今日の癇癪も。

けれど、その後の息子は、少しほっとした表情をしていた。

「ごめんねって言って」は、やはり「ぼくを嫌いにならないで」を意味していたのだろうか。
そういえば、「大好きだよ」って最近伝えていなかったな、と思った。

そしてよく考えると、親に嫌われるのが怖いのは、私も同じだった。

幼い頃、私は母のことをなんとなくいつも心配していた。
いや、特段そういう意識はなかったけれど、頭の片隅では常に「しんどそうな母がどうすれば喜ぶか」を考えていた。

もともと子どもと遊ぶのが苦手だったり、父が育児のパートナーとしては頼りなかったり、いろいろな原因があったのだろう。
側から見て、母が育児を楽しんでいるようには見えなかった。

2人の兄と私、3人の子を育てることになった自身の人生を、後悔しているのではないか。子どもがいなければ、勉強が得意な母は仕事に励み、もっと別の人生を送ったのかもしれない。
小学校高学年くらいから、私はそんな思いをどこかに抱いていた。

だから、私は勉強や部活をできる限り頑張った。

母に喜んでもらうために。
自分を好きでいてもらうために。
(もちろん頑張ったのは他の理由もあるけれど)

私がそんなふうなので、母は私を好きでいてくれたと思う。
そのことを疑ってはいなかったけれど、「大好きだよ」とか「生まれてきてくれてありがとう」とか、そういうストレートな言葉で存在を肯定された経験はない。

もしかしたら私も、「大好きだよ」「生まれてきてくれてありがとう」そんな言葉が欲しかったのかもしれない。

子育てをする中で、「親は、自分が欲しかった親になっていく」という考え方を、何度か耳にした。
息子とのやりとりをしながら、最近よく、そうかもしれないなと思う。

大好きだよとちゃんと言葉にして伝えることも。
時間がかかっても対話をして落とし所を見つけることも。

多分、どちらもかつての小さい私が望んでいたことなのだ。

息子に「大好きだよ」と伝えた時、不思議な安心感があったから。
長い時間をかけて落ち着きを取り戻した息子を見て、諦めなくてよかったなと、ほっとしたから。

私は、自分が欲しかった親になっているのだろうか。
そしてそれは、我が子を満たすことにつながるのだろうか。
答えは誰も持っていない。

でも、私はこれからも「大好きだよ」と伝え続けたい。
我が子にも、我が子に会えた自分の人生にも、誇りを持てるように。


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