いつの間にか、少年は青年になっていた
この夏休みで、息子の雰囲気がガラッと変わりました。
いつも一緒にいるはずなのに、
「こんな顔だったっけ?」
と思う瞬間があります。
少し前まで、まだまだ子どもだと思っていたのに。
気がつけば、声が低くなっていました。
肩幅も広くなって、骨格もしっかりしてきた。
夏の間、毎日のように外で遊んでいたせいか、肌は真っ黒です。
私が仕事で家を留守にしている間に、自転車を1時間もこいで海釣りへ出かけたり、大型ショッピングモールへ友達と遊びに行ったり。
自分の世界が、少しずつ私の知らないところへ広がっています。
以前なら、
「今日はどこに行くの?」
「何時に帰ってくるの?」
と聞いていたかもしれません。
でも今は、聞かなくても自分で考えて、自分で出かけて、自分で帰ってくる。
そんな姿を見ていると、
「ああ、もう少年ではなくなってきたんだな」
と思います。
そして最近、少し驚いたことがあります。
息子が私に、
「お母さんも友達と遊びに行ってきていいんだよ」
と言うのです。
私が仕事ばかりしているのを気遣っているのかもしれません。
「自分の時間も大切にしてね」
とでも言うような、その言葉。
ついこの間まで、私がいなければ何もできなかったような子だったのに。
今では、私のことを気遣う側になっている。
子どもというのは、親が思っているよりずっと早く成長していくのかもしれません。
毎日少しずつ変わっているから、私はその変化に気づかない。
けれど、ある日ふと振り返ったとき、
「あれ?」
と気づく。
声が変わっている。
顔つきが変わっている。
身体つきが変わっている。
そして、心まで少し大人になっている。
子どもの成長は、何か大きな出来事としてやってくるのではなく、そんな小さな変化の積み重ねなのかもしれません。
嬉しいです。
本当に嬉しい。
自分の足で海まで自転車を走らせ、友達と遊び、自分の世界を楽しんでいる。
親として、こんなに頼もしいことはありません。
それなのに、ときどき少し寂しくもなります。
ついこの間まで赤ちゃんだったのに。
抱っこをして、寝かしつけて、手をつないで歩いていたのに。
あの小さな手は、もう私の手よりずっと大きくなっています。
「お母さん」と呼ぶ声も、いつの間にか少年の声ではなくなっていました。
成長してほしい。
でも、成長してしまうのが少し寂しい。
その二つの気持ちは、矛盾しているようで、実は同じところから生まれているのだと思います。
大切だからこそ、嬉しくて。
大切だからこそ、寂しい。
子育てというのは、子どもを自分のもとに置いておくことではなく、少しずつ自分の手から離していくことなのかもしれません。
いつか息子は、私が知らない場所へ行き、私が知らない人たちと出会い、私の知らない人生を歩いていく。
そのときに、
「お母さんがいないと何もできない」
のではなく、
「お母さんがいなくても、自分の人生を歩いていける」
人になっていてくれたら、それでいい。
この夏、真っ黒に日焼けした息子を見ながら、そんなことを思いました。
そして私はきっと、これからも何度も、
「いつの間に、こんなに大きくなったんだろう」
と思うのでしょう。
嬉しいやら、切ないやら。
でも、その両方を感じられること自体が、とても幸せなことなのだと思います。
子どもが成長していくということは、
親の手から少しずつ離れていくこと。
そして同時に、
親の心の中に、一生消えない時間が増えていくことなのかもしれません。
この夏の、真っ黒に焼けた息子の姿も。
少し低くなった声も。
「お母さんも友達と遊びに行ってきていいんだよ」
と言ってくれたことも。
きっと私は、ずっと覚えていると思います。
少年だった息子が、青年になりはじめた、この夏を。
📕今日の一冊
『子どもはみんな問題児。』中川李枝子

