見出し画像

人の性格は、ぬか床に似ている。

ぬか床をかき混ぜていると、ふと手が止まることがあります。

表面は毎日同じように見えても、その底には、何年も前に仕込んだ塩と水、そして棲みついた菌たちの営みが静かに息づいています。

今日の味は、今日入れた野菜だけでできているわけではありません。

昨日までの手入れも、一年前の季節も、その前の時間も、すべてが重なり合って、今の味をつくっています。

そんなぬか床を見ていると、人の性格もよく似ているのではないかと思うことがあります。

最近、身近なところで、何か問題が起きるたびに、決して自分を振り返らず、いつも誰かのせいにする人を見ていました。

悪気があるわけではないのでしょう。

むしろ本人は、自分がそういう考え方をしていることにさえ気づいていないように見えます。

そして、その方のお子さんもまた、行く先々で似たようなつまずきを繰り返している、という話を耳にしました。

もちろん、人は親だけで決まるものではありません。

それでも、毎日の暮らしの中で交わされる言葉や、物事への向き合い方は、子どもの心に少しずつ染み込んでいくのだと思います。

子どもは、親の話を聞いて育つというより、親の背中を見て育ちます。

困難に出会ったとき、愚痴をこぼすのか。

誰かを責めるのか。

笑い飛ばすのか。

それとも、一度立ち止まり、「自分には何ができるだろう」と問い直すのか。

そんな小さな選択の積み重ねが、ぬか床の底に眠る菌のように、静かに次の世代へ受け継がれていくのかもしれません。

仏教には「業(ごう)」という教えがあります。

自分の行いは、めぐりめぐって自分に返ってくる。

私はこの教えは、誰かを裁くためのものではなく、自分自身への問いかけなのだと思っています。

今日の自分の言葉や行動は、思っている以上に遠くまで響いていく。

その響きは、自分だけでなく、家族や子ども、そして周りの人にも少しずつ伝わっていくのかもしれません。

私も、誰かを責めたくなる日はあります。

理不尽だと思うこともあります。

それでも、そのたびに「今、この姿を子どもが見ていたら、何を受け取るだろう」と考えるようにしています。

誰かのせいにする背中を見せるのか。

それとも、痛みを抱えながらも、自分の足で次の一歩を選ぶ背中を見せるのか。

その違いは、きっと小さなようでいて、大きいのでしょう。

ぬか床は、放っておけば腐ります。

毎日少しずつ手を入れ、底まで混ぜ続けることで、おいしい発酵が続いていきます。

人との関わりも、家庭の空気も、きっと同じです。

誠実であろうとする日々の小さな手入れは、すぐに結果が見えるものではありません。

けれど、その積み重ねは、いつか子どもの心のどこかに根を張り、その人らしい生き方を支える土台になっていくのだと思います。

今日も私は、ぬか床に手を入れます。

底のほうまで、ゆっくりとかき混ぜながら。

目には見えないものほど、丁寧に育てていきたいと思うのです。


もし「ぬか床を始めてみたい」と思われた方がいたら、私が普段使っているぬか床セットをご紹介しています。初心者でも始めやすく、毎日の暮らしに発酵の楽しみを取り入れられるお気に入りです。
➡︎ グルメ大賞受賞ぬか床セット

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集