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乳がん手術翌日~放射線治療まで①

手術翌日
沢山の管に繋がれたまま朝を迎えました。

手術を終えた胸はじんわりと鈍い痛み。
寝返りはおろか、身体を動かすこともできないので
そろそろ、寝たままの腰も痛いです。

看護師さんが体温や脈拍を測るためにやってきました。


「とっこさ〜ん、今日のお昼には管も抜けて、ご飯食べられますからね〜」


この一言に、心の中で静かに万歳をしました。
そこに手術をしてくださった主治医が現れます。

「とっこさーん、手術終わってどうですか?
気持ち悪いとかない?キレイに取って、
キレイに縫合してありますからね〜
順調なら予定通り退院できますよ〜」


「…ありがとうございます」


明るい口調で勢いよく言われて気圧されてしまいましたが、退院の言葉に安堵します。


順調に管が抜けて、手術着のままだった私は
着替えを済ませました。

衣服をちゃんと着るとホッとします。

そして待ちに待ったお昼ご飯!

普通食を出していただいたのですが、
これがまた美味しかったです!
温かい白ご飯がこんなにも美味しいとは…!

しみじみ味わってしっかり完食。


午後はベッドから起き上がり、点滴の管をプラプラさせながら病院内を散歩。

併設されているコンビニでカフェラテのカップを購入し、休憩スペースで読書をして静かに過ごしました。

陽が暮れるまで本を読んで腰を上げると、
ガラス張りの外は赤くて、綺麗な夕焼け空が広がっています。



私、生きていて良い…?







いよいよ、退院の日。

手術後、ずっと貼り付けていたままの
圧迫止血用スポンジをはがします。
縫合した箇所を保護するテープはそのままです。
お風呂など入っているうちに、自然に取れるのを待つのだそう。


身支度を終え、五日間の入院生活に別れを告げて帰宅の途に着きました。

迎えにきてくれた夫に、車内で不在時の様子について訊ねると義実家の協力もあり、食事はしっかり摂っていたようです。

ひとしきり、互いの過ごし方について話し終えると、窓の外の景色に目を向けました。


次は放射線治療かぁ…



治療にしっかり通えるのか。
仕事と両立できるのか。

また不安が頭の中をよぎります。




翌日、私は会社の産業医の元を訪れていました。

「…手術して、5日で働きたいって言う人は初めてですよ」

産業医から半ば呆れられながら、
術後の様子や体調など細かく問診されます。


私が早く復帰したい理由は二つありました。

休んでいる間に仕事場に負担をかけてしまっていることへの申し訳なさ。

そして何よりも、人事考課への影響が出ることを恐れていました。




実は一年前に会社からの指示で私は
子会社へ出向していました。

大きなミスもなく、無事にもとの会社に戻れると
思っていた矢先、人事考課を一気に落とされてしまったのです。


何故、評価が下がったのか。

何故、評価を下げずに済む方法や、自分に不足している能力や仕事量を事前に教えてもらえなかったのか。


当時の私はとても焦りました。
何しろ、手取りで六万円ほども給与が下がったからです。

ですから、治療を続けながら生活をしていくためには早く仕事に復帰しなくてはと思ったのです。

私は産業医に食い下がります。


「主治医からも、普段通りの生活をして構わない、
との言葉をもらっています。最短で職場復帰したいです」


産業医はうんうん唸りながら、
どうにか条件付き(時短勤務)で復帰することを了承してくれました。


職場復帰を果たした数日後、いよいよ始まる放射線治療のために再び大学病院を訪れます。

主治医から放射線治療の説明と、
採取した組織を遺伝子検査のために
アメリカへ送ることを話されます。

この遺伝子検査によって、
使用する抗がん剤が判明するのだそうです。

…海外に行ったことのない私の代わりに、
行ってらっしゃい、私の細胞…!


続いて、放射線治療室で胸への照射位置を綿密に決める調整が行われました。
大きな機械に囲まれ、グルグル回るのを見ているうちに

…寝ました…。

看護師さんに起こされて恥ずかしいです。

放射線治療は全20回。
約一ヶ月、平日のみ病院へ通うこととなります。
位置決めを終えた私は、病院と職場への通いルートを検索しながら帰路につくのでした。





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