私のみている世界~24時間テレビ
24時間テレビのはじめの目的は
『福祉の問題や支援の必要性を多くの人に知ってもらうこと』
『社会の中に、困っている人がいる。だけど、その事を知らない人がたくさんいる。 それをテレビで知ってもらいみんなで支えよう』という発想だった。
私は申し訳ないけれど
ひとつの企業の中の企画で社会は変わらない...と思っている。なぜなら、社会とはそこに所属している一人一人の選択だと思っていたから。
だけど私はこれまでの24時間テレビを観てきて
「耳が聞こえなくても、音楽やダンスを楽しみ、表現できることを知った」
「義足でも登山ができること」
「手足の一部を失っていても
海を泳ぐことが出来ること」
『人間の可能性』と『勇気をもって出演者となり自分の希望を貫く強さ』を、受け止め、支えてくれる番組が、続いていることにありがたいと深く心を動かされている。
私は何度も24時間テレビをみることが
出来ない時期があった。
心がゾワゾワして、頭痛や吐き気があった。
誰かに、責められているように感じた。
なぜみんなと同じように出来ないの?
なせ何回も同じようなミスするの?
甘えているんじゃないの?
もっと責任感をもって仕事をしてよ
怠けているようにみえるよ
不登校の時、無職の時、
いつも私は誰かと比べていた。
手もある。足もある。目も見える。
耳も聞こえる。生きている。
なのに、学校や仕事に行けない時
「普通」の事が当たり前に出来ないとき
辛かった。
自分がなぜこんなにも辛い思いを感じてしまうのかわからないけど消えてしまいたかった…
今だとわかる。
私が勝手に人と比べていたから。
私と貴方は違う人。
その事を言葉や意味だけではなく
感覚で、実感した今ならみれる。
きっとあの頃の私は自分の価値を「出来ること」で測ろうとしていた
学校に行ける
働ける
頑張れる
人の役に立てる
そういうものができれば
「私はちゃんと生きている」
逆にできないと
「身体は動くのにどうして出来ないの?」となる
だけど『人間の価値』はそこだけじゃない。
学校に行けない日もある、働けない時期もある何も出来ない日もある
それでも『一生懸命、生きている』
ご飯を食べる 眠る 誰かの声を聞く
空をみる 歌を歌ってみる
何かをすきになる 誰かを心配する
「どうして何だろう?」と考える
あの時の私は、手も足もあるのに、
何もできなかったのではない。
あの時の私には
どうする事も出来ない理由があった
だけど生きること自体を諦めてはいなかった
今の私ならそう言ってあげられる。
変化、成長した自分に、今なら夢をみれる。
1人では無理なように思えることでも
医療や福祉と繋がり、
なりたい自分へ1歩1歩進む強さ、
辛かった過去を話して、整理する方法を
実践していく。行動していく。
また、医療、福祉だけじゃなく、ダンサーや振り付け師・番組スタッフ・各地で活躍しているボランティアの方々・募金をした人も経験が増え、何かを学ぶことだろう。
そんなことを考えられる番組は他にないのかもしれない。
助けてほしいときは、どうすればよいのか。
そして、助けを求めても
『迷惑』・『怠け』・『弱い、弱者』のイメージが
結びついてしまう時はどうしたら…
たとえば、
「困っています」
と言ったときに、
「そんなことで人に頼るな」
と言われる社会だったら、
人は次から何も言えなくなる
だけど
「困っています」
と言ったときに、
「教えてくれてありがとう。一緒に方法を考えようか」と言ってもらえる社会だったら、助けを求めやすくなる。
困っていることを早く発見して、必要な支援につなげる社会
実は利用出来る制度や支援はある。
だけど困っている人に情報が伝わっていないことがある。
だからこそ困っている人に気付けること。
「誰かが、何かに、困っているのではないか?」
と考えられるようになると
社会は変わっていくのかもしれない。
