クラゲの恍惚
─────のびやかに揺らぐ視野、
子供のように、大人のように──
朝、クロワッサンをかじりながらテレビを眺めていると、レジャー特集が始まった。
水族館が映し出され、水槽の中を大きなエイがゆっ……たりと泳いでゆく。
豊かな水のゆらぎ、優雅なエイの動き。
たゆらかな自分の心も、画面から感じるリズムに共鳴して穏やかに整ってゆく。
「ああ……エイが見たい。生で見たい」
思わずこぼれた独り言に、ベーコンエッグにケチャップをかけていた彼が顔を上げた。
「水族館か。俺も久々かも。行く?」
「うん」
「いつがいい?今日?」
「今日は買い出しと、友達に残暑お見舞い書くの。明日がいい」
「じゃ、決まり。俺は今日のうちにやること片付けるか」
思い立ったら、すぐ決める。
そういうところが、この人らしい。
∞∞∞
お盆は過ぎても、子供はまだ夏休みだからか、思った以上に人が多い。
ライトが控えめの館内で、はぐれないように彼の腕を掴む。
最初に遭遇したのは、色鮮やかな熱帯魚たち。
水族館気分が一気に盛り上がった。
「うぁ、カラフル!クマノミって、ほんと、オレンジジュースみたいだよなあ」
彼が子供みたいに声を弾ませる。
珊瑚の間を行き来する小さな魚たちを熱心に追っては、
「ほら、青いやつが隠れた」「え、どこ行った?」「あ、右だ。ほら、出てきた。ほんと、ちっさいよなあ!」
と、小さな魚の動きにいちいち嬉しそうな顔をする。
小魚たちを楽しんでから、お目当てのエイがいる大きな水中トンネルへ向かった。
頭上いっぱいに広がる海。
「お!来た!」
声を上げた彼の視線の先でエイが揺らぐ。
念願の姿に、わたしも声を上げ、溜め息を漏らした。
「やっぱりきれい……」
「泳いでるのに、飛んでるみたいだな」
本当にそう見える。
羽ばたいてはいないのに、ただ海を飛ぶようにエイは横切ってゆく。
夢中でスマホのシャッターを切る。
何枚も撮り、人の邪魔にならないように場所を変えてはまた撮る。
どれも綺麗に撮れているのに、撮り足りない。
そんなわたしを、彼は魚たちをぼうっと見上げながら待っていてくれた。
その後、イルカショーのプールの前を通りかかると、ショーが始まる5分前だった。タイミングが良すぎる。せっかくだから見ていこうと、立ち見ゾーンで足を止める。
ジャンプが決まれば「すげえ」とつぶやき、ちょっと失敗すると「惜しい!」と残念そうな顔をする。
────大人になると、感動することをどこか恥ずかしがる人がいる。
「すごい」と口にするより、「知ってる」という顔の方が格好いいと思って。
でも、この人は違う。
目の前にあるものへ、まっすぐ心を動かす。
この「コドモ力」が、わたしは好きだ。
こんなふうに心を動かしながら世界を楽しめる人は、きっと年齢を重ねても老けない。そんな予感しかない。
ショーの余韻が冷めないわたし達を待ち構えていたのは、クラゲの水槽だった。
レッド、ブルー、グリーン、ピンク、パープル……映えを計算された何色もの光の中、クラゲたちが漂っている。
「おもしれー。これ、ずっと見てられる」
彼は相変わらず夢中になっている。
わたしはそんな彼を横目で見ながら、クラゲを眺め続けた。
────縮んで。
ふっと、放出するように伸びて。
また、きゅっと縮む。
音もなく、
軟らかな蠢きのリピート───
見ているうちに、頭の中にひとつの連想が浮かんだ。
「……ねえ」
小声で彼を手招きすると、「何?」と180センチの身体をかがめてくれた。
耳元に手を添えて、ひそひそとささやく。
「クラゲって……わたしみたいじゃない?」
彼はわたしとクラゲを見比べ、首をひねった。
「ん?んー……どこらへんが?」
「動き」
「ふわふわ漂ってるから?梢さん、そんなに浮ついてないと思うけど?」
思わず吹き出す。
「そうじゃなくて」
言葉を選びながら、さらに声をひそめる。
「……動き方。……あなたを、締めて、ゆるめて、……みたいな」
彼は一瞬だけ固まり、
「……あ、そういうことか」
わたしの腰へ手を回し、耳元すれすれの距離で小さく笑う。
「……確かに」
急に、大人びた、低い声。
それだけで、クラゲみたいに、一瞬身体の奥が縮んだ。
出口のゲート前のお土産ショップにたどり着くと、透明なアクリルの塊にクラゲが浮かんだオブジェが目に飛び込んだ。
「わぁ!これ可愛い!」
まるで透明な水の中に何匹もクラゲを閉じ込めたようなそれは、掌に乗るほどの小さな立方体。
どこに置いてもなじんで、様になりそうだった。
「これ買う」
秒で決めて、レジに向かった。
手提げを眺めてご機嫌なわたしに、彼が尋ねる。
「どこに飾る?」
「うーん……どうしようかな。どこでも似合いそうで、逆に迷う」
少し考えていると、彼が何でもない顔で言った。
「ベッドの横のテーブルでいいじゃん」
その一言に、思わず彼の顔を見る。
「……早く、帰ろ?」
と、再び腰を抱き寄せられた。
「……疲れたから、どっか寄ってから帰りたい」
「えぇ?待てない。じゃ、久々にホテルとか行っちゃう?」
「えー?カフェがいい。お腹空いたし」
「えぇ?梢さんが煽ったのに。ひっでぇなあ」
素直な不満で口を尖らせる彼の顔は子供みたいなのに、腰に触れる手は、熱っぽいままだった。
~世田谷Days~
#眠れない夜に
#ご覧くださりありがとう
#またお会いしましょう
