場面緘黙症の子供が社会人になるまで
大人になって知ったのだが私は子供の頃場面緘黙症という不安障害をもっていた。
普段は話せるのに、特定の場面で話せなくなったり声が出せなくなってしまう。不安症の一種で幼少期に発生することが多いらしい。
現在はそういった症状はなく普通に人と話し、社会に出て働くこともできている。
それまでに至る私の奮闘記を書いてみる。
幼少期
私は何の障害もなく健康に普通に生まれた。
母によると、小さい頃はおとなしめで親を困らせることはそんななかったらしい。
幼稚園に入園したのだが、そこで場面緘黙症は既に発症していた。
私の場合は、女の子の友達とは普通に話せるが、男の子や先生とは一切話すことができなかった。
理由はもちろんわからない。
幼稚園はそんな状態で過ごしていた記憶がある。
厳しい先生には泣かされることもあった。
とはいえ、普段は普通に話し、笑い、おふざけもし、園内でも孤立することもなく女の子の友達と楽しくやっていた。
むしろ今当時の写真を見ると、満面の笑みで行事を楽しむ自分がたくさん写っており笑えるほどである。
楽しそう~と口から言葉で出てくるほど楽しそうだ。
不思議である。
性格は面白いことが好きな方だったからそういう面でも周囲とうまくやってこれたのかと思う。
小学生時代
小学校に入学した。
場面緘黙症はまだ治らなかった。
小学校6年間、友達の女の子以外話すことができなかった。
クラスの男子、先生とは一切話せなかった。
理由は分からない。
どうやってその状態で授業を受けていたというと、普通に一緒に授業もするが音読など声を発するものは特別にとばしてもらったり、代わりに読んでもらったりしていた。
音楽などは小さな声で歌っていた気はする。
小学校に入学すると同時に、校内に設けられていた特別支援クラス?に1時間ほど授業を抜け出して通っていた。
母が先生に相談して決めたのだろう。
私のように少し普通とは違う生徒が専門の先生とマンツーマンで向き合いコミュニケーションをとったりする時間だった。
私の場合、工作や簡単なクッキング、縫物、ゲーム、運動遊びをしたりしていた。
そのような触れ合いを通じて心のケアを目的としていた。
私はその時間が大嫌いだった。
その先生も大嫌いだった。
先生自体は全然悪くない。
ただ私はみんなとは違うその特別な対応が嫌で嫌で苦痛だった。
嫌だ、みんなと一緒に授業受けたい、なんで普通に接してくれないの?
その時間を近づく度に行きたくないなと憂鬱になりながら過ごしていた。
通った意味があったのかも分からない。
その先生とも結局話すことができず卒業した。
そんな小学生時代だったが、これまた不思議で私は友達には不自由なく楽しく輪に入れてもらって交友関係を築いていた。
むしろ今でいう、スクールカースト上位の女の子とニコイチで仲良くしていた。
私が平和主義者でもあったからか、どっちつかずの私の取り合いもあった。
こんな普通ではない私を好いてくれる理由は何だったんだろうと今でも思う。
6年間無事に卒業した。
中学生時代
中学校に入学した。
場面緘黙症は中学3年間もずっと治らなかった。
同じく、女の子とは普通に話せるが男の子と先生とは話せない状態だった。
授業は小学校の頃と同じで、音読などはとばしてもらっていた。
ただ中学生になって少し変化もあった。
仲の良い女の子とクラスの男子が楽しく会話している場に私も一緒にいたときのこと。
会話の中で、私の興味のあるテーマを話し始めた。
その時私は思わず友達と男子の会話に入ろうと声を出そうとした瞬間があった。ぼんやりとだが今でも覚えている。
自分が場面緘黙症ということを忘れて、本能のまま興味のある話に参加したかったのかもしれない。
だがその時私は、「あ!」と思い口をつぐんだ。
今でこそわかるが、おそらくその頃から私は話せる状態に少しずつなっていたのかもしれない。
だが、「自分は場面緘黙症だから話せないんだ」と自分でコントロールしていた瞬間であった。
また、その成長を自ら行動に移せる場面も増えてきた。
ある日、英語の授業で先生の前で暗記してきた文章を披露するテストがあった。
テストは廊下で行われるため先生と二人きり。
私は勇気をだして暗記してきた英文を声に出した。
蚊のようにか細い声だったと思う。
記憶は曖昧だが先生は表情も変えずゆっくり聞いてくれていた。
なぜこの時話せたのかはわからない。
当時の自分の心の成長と、その先生が優しい女性の先生だったからというのもあるだろう。
いろいろな条件が一致したのかもしれない。
その先生が表情を変えず聞いてくれたのも安心感が大きかった。
話してくれた!という嬉しそうな驚いた顔を見ると、気恥ずかしい気持ちと何ともいえない感情が渦巻いて逆に出なくなるからだ。
先生という職業は難しい職業だなと感じる。
また、中学生の頃部活動にも所属していたのだが、ストレッチの時の声掛けを一人ひとり順番にするときもなぜかその時は発することができた。
この時から私は自分の状態に気づいていたのかもしれない。
高校生時代
高校生に入学した。
結論から言うと高校時代は別の意味で本当にしんどかった。
勉強もあまり得意ではなかった私は私立の女子高に行くことになった。
なんとこの高校、中学時代の同級生で進学する人が一人もいなかったのである。
私はここで決意をする。
「よし!昔の話せない自分とはおさらば!高校デビューだ!」
中学の頃を知っている友達はいない、中学生の頃に少しずつ話すリハビリはしていたしいける!と確信をしたのである。
そして入学後、最初の自己紹介の時心臓バクバクしながら自分の名前を言った。
言えた。
言えた!!!!!!!!!
多分すごく小さな声で震えていたとは思うが言えた!!!!!
多分女子高だからか!?よくわからないがなんか話せたぞ!
個人的には勝利である。
しかしここからが試練であった。
友達作りである。
元々は場面緘黙症だった人が勇気をだして声を発する姿を傍から見ると、おどおどビクビク震えながら小さな声を発する人なのだ。
第一印象がそれということである。
更に中学の友達が誰一人いない環境下でとてつもない不安を抱いていた私は本来のおふざけの姿を見せる機会もなかなかない。
分かりやすくカーストで語るが、中学までカースト中~上の中でわいわいやっていた私は、高校でもそのぐらいで友達が作れると思っていた。
だが先ほど言った、おどおどな状態ですぐにたくさん友達ができるはずがなく、最初のきっかけは忘れたがおとなしめな子と4人で過ごすことになった。
大人になった今だからこそ言えるが、そんなことどうでもいいし、友達ができただけでもイイじゃん(M!LK)とも思えるが、友達や周りの環境下で貴重なスクールライフが全て決まると言っても過言ではない学生時代はその事実に落ち込み、絶望感を抱いていた。
あれ?思い描いていた高校生活と違うな?
キラキラワイワイ、放課後街歩きの学生生活は?あれ?
そんな中また大きな出来事が起きるのである。
起こしてしまったというのが正解かもしれない。
中学時代まで自分から友達を作らずとも自然と誰とでも仲良く過ごしていた私は一から仲を深める方法や距離の縮め方をあまり知らなかったのである。
最初にできた友達3人(自分の除いて)と過ごす中で、あれ?なんか3人とも私の事避けてる?私嫌われている?あれ?と思うことが多くなった。
なにがどうなってそう感じたのかは覚えていないが、おそらく中学までの友達との距離感と、高校の友達との距離感や過ごし方の違いから自分が好かれていないと勝手に勘違いしたのだと思う。
別に仲間外れをされたり、いじめられたりした記憶もないが、心がざわつくことがあった。
結果的に私はその3人から離れた。
(ここも曖昧でどっちから距離を置いたのかは不明)
高校時代はそういう感じだったのでほぼ記憶がない。
その後、クラスの中でも少数派の子2人と無理やり過ごした。
ただ移動時やお昼の時間に一人だと周りの目がいたいので一緒にいたという感じだ。
何ともバカな結果である。
自分一人であれこれ考えず、あの時こうしておけばもっと楽しい生活が送れたのではないかと今でもふと考える。
そんなこんなで高校時代は楽しい思い出は一つもなく、親友もできず幕を閉じた。
大学生時代
大学生になった。
高校生の頃くそ真面目に過ごした私は指定校推薦をもらい大学に入学をした。
きた!次こそ!!!!!!
大学デビューだ!!!!!!
そう、またこの機会がきたのである。
高校時代の地味な自分からおさらばするぞ!
そう意気込んだ入学初日、悲劇が訪れた。
私が進んだ学部に、高校時代の同じクラスのカースト上位、上位中の上位、トップのイケイケ女子がひとりいたのだ。
あ!〇〇さ~ん!
目が合うとそう呼んでくる彼女。
わかる人には伝わるこの感じ。
同じ高校、同じクラス、だけどちゃん呼びでもあだ名でもなくさん付け。
感づくひとはいると思うが、その関係性でその人がどういう立場にいたのかわかる。
つまり入学初日から終わったのだ。
案の定イケイケな彼女はイケイケなグループでかわいい子や明るい子達を囲い込んでどんどん周辺を固めていった。
〇〇さん呼びで連呼される私は真面目な子なんだ、そういう位置づけの子なんだという目で見られる。
(自意識過剰かもしれないが当時はそう感じていた。)
私はというと、その彼女が少しこわかったので(今思うとなんだそれって感じ)ビクビクしてしまい案の定一番地味な真面目そうな子と一緒に授業を共にすることになった。
もちろん話も何もかも合わないが移動友達という感じでいた。
話が脱線してしまったが、この時点で場面緘黙症はほぼ克服できている。
大学時代は男が多い学部でほぼ男という感じだったが普通に話すことはできたし、大学の先生とも普通に会話していた。
そしてそんな大学スタートに危機感を抱いた私は大きな行動に出るのである。
そう、サークル。
大学と言えばサークル
何が何でも友達を作ってサークルに入り大学生活謳歌するんだ!と決意した私は一人でサークルに飛び込んでいった。
場面緘黙症だった人が一人で大勢いるサークルに体験入部に行くなんて。
個人的にはよく行動したなと感心する。
もちろん少し小細工はした。
体験入部の申込の際に、2人でいきますと最初は申込したが、直前になって友達が来られなくなってしまい~と一人で向かった。
扉を開けると何人か同じく体験入部の子達が男女いて、軽く説明を受けながら雰囲気を味わった。
そこからどうやって入部したか詳しいことは覚えていないのだが、4年間そのサークルに所属して大人になった今でも連絡をとる友達とも出会えた。
書きながら思うが、その勇気ある行動がなければ大学生活もむなしいものだったのかなと考えると背筋がぞっとする。
社会人になって
そこから社会人になった。
新卒ではいった会社はメンタル面できつくて退職。
2社目も同じくメンタル面できつくて退職。
3社目(現在)は1、2社目と違い派遣という働き方を初めてしてみた。
3年満期という決まりがあるため、今年で終わり、また転職活動をしなければならないという状況だ。
もう場面緘黙症の症状はなく普通に働いて遊んで過ごしているが、大人になった今自分を分析してみて思うことは、やはり心の奥どこかで人に対してこわさや不安を感じることは今でもある。
人前で挨拶するときは心臓バクバクだし緊張する。
オフィスで新しい席に移動したときは、周りの人に慣れていないのか視線が気になって首が硬直して思うように動かない時もある。(視線恐怖症かな)
仕事や生活に支障が出るほどではないが、対人恐怖症のようなものが自分にはまだある気がする。
あとよく聞くHSP気質
大学時代のアルバイトでは接客業もしたし、楽しく笑顔で対応もできる。
知らない人でも話かけてもらえれば普通に話せる(人見知りゆえに一期一会の人にはひと際わいわいコミュニケーションとれる)
むしろ社会人になってからの方が人から好かれることも多くなった気がする。
でもやっぱり昔の自分を根本的に変えることは難しいのかもしれない。
ちなみに私が転職回数が多いのは場面緘黙症とは関係ない。
メンタル面が弱いのは多少関係しているかもだが。
自分の適職、やりたいこと向いてることが不一致でうまく長続きできていないだけなのでそこはこれから考えるとする。
