母が立てなくなった日、その後。『私は初めて母を叱った』
「母が立てなくなった日」の記事を書いてから、多くの温かいコメントをいただいた。本当にありがとうございます。
あの日、やっとの思いで入院できてから、まもなく一か月が経とうとしている。
その後、母はどうなったのか。
結論から言えば、驚くほど回復していた。
毎日のリハビリにも意欲的に取り組み、四人部屋では早くも友達ができ、持ち前の”鬼のコミュ力”も健在。脊柱管狭窄症の痛みも奇跡的にコントロールできるようになり、「これなら家へ帰れるかもしれない」と思えるほどであった。
いや、そのはずだった…。
人生は、そう簡単にはいかない。
痛みは落ち着いても、貧血だけは一向に改善せず、ふらつきが続いていた。病院でも原因を探りながら、薬を止めたり種類を変えたりと、あの手この手を尽くしてくださっていた。
そんなある朝。
病院から電話が鳴った。
朝一番の病院からの電話ほど、心臓に悪いものはない。
恐る恐る電話に出ると、
「お母様がトイレでふらついて転倒されました。お尻から転ばれましたが、頭は打っておられません」
とのことだった。
まずは大事に至らなかったことに胸をなで下ろした。
その一方で、「トイレの最中…とのこと、色んな意味で看護師さんにご迷惑をおかけしたのだろう」と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
これが一度目である。
その後、母は再び順調に回復し、リハビリの先生、ソーシャルワーカーさん、ケアマネジャーさんとの面談も行われた。
「ここまで回復されたので、退院を目指して緩和ケア病棟へ移ります」
そう説明を受け、一週間ぶりに会った母は、以前あれほど苦労していた立ち上がりもスムーズになり、歩行器で歩く姿もずいぶん安定していた。
私はすっかり安心しきっていた。
ところが、である。
また朝一番の病院から電話が鳴った。
嫌な予感しかしない。
「歩行器につかまろうとした際にふらつき、軽く頭を打ち、膝も擦りむかれました」
デジャブだ。
「またか……。」
心配と疲労感が一気に押し寄せた。
翌日、仕事の予定を変更し、二時間かけて病院へ向かった。
病室へ入ると、母は私の顔を見るなり大粒の涙を流し、嗚咽していた。
そんなに心細かったのか、痛かったのか…。
そう思ったのも束の間だった。
「なんでこんな監獄みたいな所におらんなんが!」
突然、ものすごい剣幕で怒り始めたのである。
えっ〜?
監獄?
話を聞くと、二度も転倒したため、病院ではベッドの横にセンサー付きマットを設置し、立ち上がるとナースステーションへ知らせが入るようになっていた。
トイレへ行く時も、立ち上がる時も付き添い。
もちろん、すべて転倒を防ぐためである。
しかし母にとっては、それまで自由にできていたことが急にできなくなった。病室が変わり話す人も誰もいない。
それが何より耐え難いストレスだったようだ。
さらに、
「朝、看護師さんに腹が立って、言いたいこと全部言ってやったわ!」
と、なぜか得意げに話す母。
その瞬間、とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。
「看護師さんは一つも悪くないよ。」
「お母さんを守るためにやってくれているんだよ。」
「元はと言えば、お母さんが無理をして転んだからでしょう?」
「勝手に怒って、勝手に泣いて、私は物凄く恥ずかしいよ!」
静かな病室に、私の声だけが響いた。
母も私の勢いに驚いたのか、何も言わず黙っていた。
私も少し言い過ぎたかなと反省しながら、落ち着いてから「なぜこうなったのか」「これからどうしたらいいのか」を、一つひとつゆっくり話した。
そこへ看護師さんが来られた。
私は立ち上がり、いつもの感謝とともに、母の態度をお詫びした。
すると看護師さんは少し苦笑いを浮かべながら、
「お母様もストレスなんですよね。お気持ちは分かります。」
と優しく笑ってくださった。
さらに、
「塗り絵や手作業がお好きでしたら、病棟にあるものをお持ちしますね。」
と提案までしてくださった。
母が塗り絵や細かい作業が大好きだと伝えるとすぐに用意してくださった。
その間に私は、「ふりかけが欲しい」「梅干しも食べたい」という母のわがままリクエストを聞き、病院近くのスーパーへ買い出しに向かった。
買い物を終えて病室へ戻ると、驚きの光景が待っていた。
さっきまで涙を流し、「監獄だ!」と怒っていた母が、夢中で塗り絵をしているのである。
「ねぇ、この魚なんて名前?エンゼルフィッシュの縞って何色?」
そう聞きながら、一心不乱に色を塗っていた。
なんとまぁ、切り替え、早っ。
思わず笑ってしまった。
そこへ様子を見に来られた看護師さんが、
「お上手ですね。」
と声をかける。
その一言で母はすっかりご満悦。
ほんの少し前まで泣いて怒っていた人と、本当に同じ人物なのだろうか。
認知症とは、つくづく不思議である。
帰る前に声をかけると、
「暑かったやろ。実家でシャワーでも浴びて帰れば。」
そんな気遣いまでしてくれた。
その姿は、紛れもなく、いつもの母だった。
しかし私の心は複雑だった。
立てなくなった母。
そして、認知症が進み、自分が置かれている状況を理解することが難しくなってきた母。
この先、本当に一人暮らしへ戻れるのだろうか。
帰り道、その不安に押しつぶされそうになった。
それでも、今の私にできることは一つしかない。
まだ来てもいない未来を心配し続けるより、その時が来たら、その時に考える。
最近は、そう思えるようになった。
人生は思い通りにならないことの連続である。
だからこそ、目の前の一日を積み重ねるしかない。
そう自分に言い聞かせながら、静かに家路についた。
