2025年 自分的今年の漢字一文字
2023年、2024年の年末にとNOTEにも
「自分的今年の漢字一文字」
を書いていたんですね。
それを短縮再構成して載せてみました。
新しい今年2025年の記事は最後の方になります。
長いけれど読んでもらえたら嬉しいです。
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2023年今年の一文字
2023年を振り返って漢字ひと文字にする
年末恒例の行事?
ワタシも選んでみたその
「今年の一文字」
まず思い浮かんだのは
『貧』
ま、貧乏は今に始まったことではいですけど。
2023年は3月からライブハウスとかで歌う機会が増えて
それにつれてFacebookのお友だちも増えました。
それなのでワタシの2023年の漢字一語は

『縁』えん
という語になりました。
念のため言いますが『変』ではないです😅
2023年は沢山の人に出会えて、いろいろ刺激を受けました。
ちょっと?なこともありましたが、楽しい1年だったと思います。
※パレスチナ・ガザの人たちとは・・・悲しい縁でつながりました。でもワタシはこの縁を大事に、そして・・・おかしな言い方かもしれませんが・・・感謝したいのです。
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2024年今年の一文字は

『立』たつ
立ったのです。
2024年は立ったのです。
歌うだけでなく、プラカードを掲げて駅前で県庁前で立ったのです。そして歩いたのです。
コールしながらフライパンを叩きながらスタンディング、デモ、アクションいろいろ去年までは馴染みのなかった市民活動政治活動に参加して立ったのです。
だから『立』が2024年の自分的一文字なのです。
立つの 同訓異字
起つ 建つ 発つ 絶つ 裁つ 起つ 経つ 断つ
「立」という読みの中に建設的なものと否定的なものが含まれています。それもまたワタシの今年1年にふさわしいと思えます。
1年前は自分がスタンディングやプロテストや凧揚げをすることになろうとは思わなかった、人間は変化していくのですね。
でも変化していく自分をそのままで分析しようとすることは無理があるかも。クルマで走りながらそのクルマを修理するみたいな。
60年安保とか連合赤軍とか中核、革マルそして内ゲバ。ニュースや戦後の作家の小説を読んで「知っていた」言葉たち。それから、在日や、部落などの言葉と同じで聞いたことがあるけれど、なにやらその実態はよくわからない、なんとなく触れてはいけないもの(タブー)というイメージがワタシにはあったのです。
それで60歳すぎて、それらの言葉をもう一度はっきりとらえなおしていこうと思ったのです。たぶん、そこに見えるのはワタシたち日本人の鏡に映った姿なのかも知れません。
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そして今年2025年の今年の一文字はこれです。

『命』いのち/めい
今年10月5日に父親が亡くなりました。半年ほど寝たきりでした。あんなに嫌っていた父親ですが、食事やしもの世話をし続けました。でもたぶんそれが父親でなくても苦しんでいる人が眼の前にいたらワタシは同じことをしたでしょうけれど。
9月はじめくらいから、父親はせん妄という老化による意識の混乱が強くなってきました。ここにはいない人、死んだ妻などが見えているようでした。もう普通の意思疎通は無理でした。それでも痛みは訴えてくるのです。しかし痛い部分を撫でさするくらいしか家族にはできませんでした。苦痛を訴える父親の胸を夜半から朝まで撫で続けたその日の昼前に父親の最後のひと息を見届けました。
そんな事もあって命というものを強く意識した1年でした。
一人に一個だけの命、ここから色々な宗教、思想が生まれて来たのかも知れません。
ワタシは何かを強く信じることはできない人間なのですけれど唯一以下の言葉には納得したんです、何度も書いてますけれど、
⇓ のローレンス・クラウスの言葉。
『あなたは そしてワタシは 星屑なのだあなたの身体にある原子は、すべて爆発した星々からやってきたものだ。あなたの左手を構成する原子は、おそらく右手のものとは別の星からやってきたものだろう。これは私が知るうちで、物理学に関するもっとも詩的な事柄だ。あなたは星屑なのだ。』―ローレンス・クラウス

☆これも以前に投稿したことですけれど、また書きます。
ワタシたちは、たまたま意識を持つ人間という有機生命体として何十年か地球で生きて、また原子に戻って宇宙に還る。そしてまた何百億年も死んだまま。そして、何百億年たってまたワタシの原子がなんらかの知的生命体の身体を構成することになるかも知れない。そしてその同じ生物を構成する原子は以前あなたであった原子かも知れない。あるいはワタシの父親であった原子であったかも知れない。そう思うとホッとしませんか?そう思うのはわたしだけ😅
☆☆ワタシが死んでから何百万年、何十億年の後、かってワタシの身体であったものは土より微細な粒子に、さらには一個の原子まで分解され、さらに何十億年経ってやっと砂粒・・・それは石英に似ているかも・・・にまで成長する。その頃もしまだ地球が存在していたら、そこには人間が全く知らない生物たちが暮らしているだろう。ワタシは道の上の一粒の砂。その生物が通り過ぎるたびにワタシは踏まれるだろう。ワタシは踏まれ続けその小さな道の一部になるだろう。その生物は沢山の生物はワタシを踏みつけながら歩いていくだろう。そんなことを想像したらやはりホッとした気持ちになるんです。
☆☆☆ワタシが死んで原子に還った遠い未来。どこかの宇宙の惑星でワタシだった原子が糖になりセルロースになり木材になるかも知れない。そしてまったく人間とちがった外見の生物がワタシを楽器に加工するかも知れない。だとしたら、ワタシからできた楽器はどんな音がするだろう?
そして、その生物が音楽を愛する生物であることがうれしいと思いながらワタシは振動するだろう。
まあ、死生観とか哲学とか、ワタシの頭ではよくわかんないのですけど、この画像のローレンス・クラウスの考え方はすっきりしているし、狂信的なものではないと思います。
ということで2025年の漢字一文字は
『命』
でした。
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