小説を書きたくない人が、文学賞を欲しがる時代
小説の公募がAI小説だらけになってるらしいです。何年も前から容易に予測できたことなのに、対応はこれから議論されるらしく、僕が批判してきたAI楽観主義者たちは今何を思っているのか頭の中をのぞいてみたいものです。
そもそも不思議なのですが、小説をAIに書かせて文学賞を狙うその過程に楽しさや面白さってありますかね。
小説を書くことは楽しい。この延長線上に文学賞があるという状態が普通なのに、AIに小説を書かせている人は小説を自分の手で書きたいとすら思っていない。
そんな人がどうAIを駆使しようと、文学性や作家性がそこに生まれるとは思えません。
偽物だらけ。
最近では、小説――活字を読むことが娯楽ではないどころか、読めない、と一蹴してしまう人を見たりします。
頑張らないと読めない――と言われるのを危惧してか、活字を読めない病気なんですと言う人すらいる。そういう人がいないとまでは言わないが、病気ってことにすれば蔑まれることも非難されることもないある種の免罪符にしているケースが多いと思います。
読むこと、書くことは本来楽しいことなんです。それを娯楽にしない人として生きるなら、楽しく書いてる人の邪魔をしない、くらいの節度を持ってほしい。
文学賞サイドは、文化を守るための対策を考えてください。
※AIを活用すること自体を否定しているわけではありません
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