地方が正しく「縮む」ことについて
昨日は「楽天大学ラボ」で宮崎雅人さんと入山章栄さんとの対談の司会をした。例によって何週間か後に動画が公開されると思うのだけど、今回は収録後に考えたことをこちらに記しておきたい。
今回僕たちが議論したのは「地方」についてだ。僕自身が東北地方の片田舎出身だし、同じく東北出身の両親の実家はどちらもいわゆる「山村」的なところにあり、親戚もほとんど東北地方のそういう土地に暮らしている。なので、このテーマはそれなりに当事者とまでは言わないけれど他人事だと割り切れるほど無関係ではなく、個人的な興味を強く持って取り組んできた。
動画を見ると、おそらく地方創生のキラキラした成功例に憧れてる人はがっかりすると思う。どちらかと言えば、そういった成功例が残念ながらどれも再現性があまりないケースであることを確認した上で、僕たちは、シビアで現実的な話をしているからだ。特に宮崎さんの語り口は穏やかだけれど、主張はかなりシビアで、彼の見解は田中角栄的な国土均等開発モデルが破綻した時点で日本の地方(究極的には、東京以外すべて)は縮小フェイズに入っており、福祉産業もインバウンドも経済規模的にその穴を埋めることは不可能だというものだ。
ではどうなるか。宮崎さんの、そしてその考えに基本的に同意する入山さんの考えは「縮む」しかないというものだ。そして僕もまた、彼らの意見に基本的に同意する。過疎のムラがこのままでは保たない、と誰もが口を揃えて言う。確かにその通りだと思う。何らかの対策は必要だと思う。しかし地球人類そのものが人口減少フェーズに入りつつあるいま、かつてのように人口が回復し、戦後の「良かった時期」を取り戻すシナリオなどそもそもあり得ないという前提ーー実際に職業的にこうすた問題に直面している人は誰もが理解していると思うがーーの上で考えないとあらゆる議論は無意味だろう。
比喩的に言えば、人口は1/10になってもよい。地方が生き残るとは、その土地の自然や文化がリスペクトを持って維持されることであり、箱物行政や工場誘致で人口が維持されることでもなければ、地方創生の大義名分を振りかざして実質的に国からせしめた税金で意識の高い文化的なイベントを行ってSNS上の注目を集めることでもないのだ。
では、どうするか。この日僕たちが議論したのは、本当に守らなくてはいけないその土地の自然や文化を維持しながら、どう地方を畳み、縮小していくのかということだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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