趣味のいい人の楽しい悪趣味――『マーズ・アタック!』における破壊の祝祭
1996年、かの「インデペンデンス・デイ」のB面として折りよく製作されたかのような『マーズ・アタック!』は、SF大作が巨大予算とリアリズムに向かって制度化されていった90年代半ばに、あえて時代を逆走した作品である。監督はティム・バートン。彼は、VFXが俳優の身体性を凌駕し始めたパラダイム転換期に、「SFは本来チープで、悪趣味で、悪戯的な見世物だった」という原点を、過剰なまでに再現した。
わざとちゃちな光線銃。撃たれれば鮮やかな緑色の骸骨。円盤も宇宙人も安っぽい。だがそれは技術不足ではなく、1950年代B級SFへの明確なオマージュである。とりわけ『地球の静止する日』的な「友好的来訪」フォーマットを導入しつつ、交渉は一瞬で崩壊、首脳陣は蒸発する。この転倒こそが、本作の倫理破壊の起点だ。
オールスター・キャストという悪趣味の祝宴
キャスティングは、監督の趣味が透けて見える。
• 一人二役をアクセル全開で演じるジャック・ニコルソン。
胡散臭すぎる不動産王と、権力志向の大統領。・・・某大統領の台頭を予見していた?
前者は拝金主義の権化、後者は「自由と平和」を口にしながら立法府壊滅に内心ほくそ笑む権力中毒者。いずれも倫理的空洞を体現する。
• ボンド像をさらに胡散臭く脱構築するピアース・ブロスナン。
理知的科学者のはずが生首だけになり、ラスト崩れ落ちるUFOの中で同じく生首だけになった恋人とキスする、即物的ギャグに回収される。
• 丸刈りにしても善人感を隠せないジャック・ブラック。
勇ましく突撃し、弾切れと同時に白旗を掲げる。英雄像の崩壊が秒単位で描かれる。
• 美少女としてのナタリー・ポートマンは、政治エリートの無力を象徴する装置にすぎない。
• 可憐すぎる老女を演じるシルヴィア・シドニー。
ハリウッド黄金期の記憶を背負った存在を、破壊と再生の媒介に置く構造は、きわめてメタ的だ。
• 美しすぎる人妻としてのパム・グリア。
70年代ブラックスプロイテーションのアイコンを、終末劇に接続する大胆さ。
この「敬意ある悪ふざけ」は、単なるパロディではない。ハリウッドの歴史そのものを玩具箱に詰め込み、爆発させる祝祭である。
倫理破綻の構造
本作の倫理破綻は三層構造を持つ。
1. 国家権力の空洞化
大統領は交渉を演出するが、実質的統治能力はゼロ。制度は一撃で蒸発する。
2. 英雄神話の否定
科学者も軍人も即死。勇敢さはギャグに変換される。
3. 侵略者の軽薄さ
火星人は裸体に近い滑稽な身体、甲高い笑い声、幼児的残虐性。悪意に崇高さがない。だからこそ、世界崩壊はブラックジョークに堕ちる。
とりわけホワイトハウス潜入スパイのショック・ホラー演出は、音楽も含めて「あまりにわかりやすい」。恐怖すら演出の記号に過ぎないと宣言している。
チープ回帰という批評性
90年代SFはリアリズムを志向し、特殊効果俳優という新しいスター体系を構築しつつあった。
本作はその流れに冷笑を浴びせる。「本来はこんなものだ」と言わんばかりに、頭部爆発、緑の骸骨、斜めに降りてくる円盤階段といった“おもちゃ感”を徹底する。
つまり本作の倫理破綻とは、ハリウッド的ヒロイズムと制度的秩序を、意図的に無効化する行為である
結語
『マーズ・アタック!』は、悪趣味を装った映画史へのラブレターだ。
世界はかろうじて救われたが、そこに「アメリカすごい!」「全米NO1!」な英雄は成立しない。
だが、その破壊の過程にこそ、映画という見世物の原初的快楽がある。
趣味のいい人が、本気で楽しむ悪趣味。
それが本作の到達点である。
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