ネガテイブケイパビリティ的な
フォローさせていただいているクリエーターさんの言葉が引っかかった。(嫌な意味ではなく、悪しからず!)
わたしの頭の中、普段は興味があることに対しエンドレスで考える。
しかし、人と会話している最中に、不謹慎ながら、いろんな横つながりのものにリンクしてしまう。
今日はそれで自爆して、寝落ち寸前にフラッシュバック、幻聴ではないものの大声での叫び声で眠れず、一日再起不能状態だった。
大好きな叔母の訃報を、電話に出れず、電話を夫に掛け直してもらい、聞いた。
息子もたくさん可愛がってくれて、息子だけではなく、わたしも彼女への思い出はたくさんある。
ここ数ヶ月で、大親友のお母様の事故死、義理父の突然の病、闘病からの死、そして大好きな叔母訃報は堪えた。
本題に戻す。
なぜなぜ、どうしてが止まらないわたしの鬱陶しい頭。時々、誰か止めてくれと発狂したくなる。
そのクリエーターさんは、今、注目されているネガティブケイパビリティに似ている感覚をお持ちだった。
なぜ、の先を結果をだす必要はないのではないか、という考えである。
なかったことにする、ではなく、その苦しい状態を苦しい状態のままに置いておくということだ。
なるほどな、と思った。
わたし自身、5年と書いたけれど(記憶のバグ)2年、多分今年の夏で3年間、封印してきたものが爆発し、発狂寸前になりコリンに救われた。
なぜ、あれは起きたのだろうか。
わたしに原因はあるのか。
これに関してはとにかく関連書籍を読み漁った。
その結果、決めたのは意識的に、自分を解離させること。
「起きてなかったことにする。」
でないと、現行起きていて、落ち着いているものの、また起きるかもしれない目を逸せない問題まで手が回らない。
行政も法も無力だ。あ、教育なんてもはや笑ってしまう。これは不貞腐れているからいっているわけではない。
「そんなことないよ。」
という人に限って自分がその身に置かれたら、手のひらを返すのだ。
眠りたい。眠らなきゃ。大事なあの子が待っている。
何が言いたかったか、というと、この考えることが止まらない頭を、止めるのには、もう「なぜ」の先の結論を出すのをやめるべきなのかな、と思った。
心療内科医も、入院するか、家で隔離して寝ててくれ、といっている。
勉強に関しても午前、午後でそれぞれ20分。
SNS、noteも含めてやめた方がいいとのこと。
(本当かな、死にそう。)
とりあえずヤッシャのちっちが臭いけど、YouTubeでも流して寝ようとしてみる。
雨が降っているね。雨の音だけでも眠れる🦆しれない。
