5億円当たったならば
ここ数日、宝くじの高額当選についてばかり考えている。
高額当選とは一般的に1,000万円以上の当選を指すらしい。みずほ銀行が1,000万円以上の当選者に対して特別な冊子を配ることからこの金額がボーダーとなっているようだ。
近所のスーパーマーケットに小さいチャンスセンター(宝くじ売り場)がある。一畳程度のスペースに宝くじ売りのおばさんが押し込められているあの小屋である。
のぼりには「高額当選続々!」と書いてある。
人口はそこそこいるものの、ほとんど郊外といっても差し支えないこの街で、何が「高額当選続々!」だよ、と思わないでもないが、何年か前にこのチャンスセンターから1億円の当選者が出たらしい。この、様々な年代のヤンキーが集う郊外の街で、である。(余談だが、当駅にはとにかくマイルドなヤンキーたちが多い。それは年配の方にも当てあまり、先日は80代くらいのご夫婦がニケツ[いわゆる二人乗り]をしているのにも遭遇した。)
つまり、この近所に億万長者がいる…
自転車を漕いでいるあのおばさんや、缶チューハイ片手に昼間からぶらつくタンクトップのあのおじさんは、きっと違うだろう。流石に風格がない。
しかし、この街に宝くじから成り上がった億万長者が紛れている。宝くじを買う金すら惜しむ小心者の自分にとってもその事実が大事なのだ。
さて、ドリームジャンボは一等と前後賞合わせて5億円が当たるらしい。
誰しも考えたことがあるだろう。
もしも5億円が当たったなら。
私の手には宝くじはないが、現実逃避に考えてみよう。(この記事を書いていたのは、会計士試験の1週間前である。あまりにも現実逃避だ。)
一旦マンションを買うと思う。低層の庭付きマンション。やたら窓が大きいやつ。庭が完全に植栽に覆われていて、外から何も覗けないやつ。
平屋みたいな広さで、リビングは大きなソファを置いてもまだランドクルーザーを駐車できそうなくらい広いやつ。
大阪だと2億円くらいするんだろうか。もっとするだろうか。
残3億円。
小型ロケットみたいなジャックラッセルテリアを2頭飼って、庭を走らせよう。
1頭30万円くらいだろう。世話代は年間で20万円くらいとみて、寿命15年で1頭300万円。予備費も合わせて1頭400万円とみておこうか。
年数があると割引計算をしたくなるのは会計士受験生のサガだろう。ここは敢えて、割引前将来キャッシュアウトフローで計算させていただく。
(ちなみに先日の簿記1級試験、減損会計で5年とカウントすべき単純な年数計算を6年と間違えた馬鹿者は私である。)
2頭分合わせて800万円。
残2億9,200万円。
大学に入り直そうか。
私は名ばかり神学部だったから、真面目に文献を読んでフィールドワークするような勉強をやってみたい。考古学とか。子どもの頃のロマンであった邪馬台国について知りたい。
結局文系にしか行けない悲しい人間である。
大学費用は大学院も合わせて1,000万円くらいあれば十分だろう。
残2億8,200万円。
資金ショートが怖いから、1億円で投資信託を買おうか。オルカン?何がいいの?知らんけど、chat gptなら教えてくれるね?私はみずほ銀行(高額当選者はみずほ銀行の小部屋で手続きをするらしい)で勧められる、やたら手数料の割高な株や投資信託はやらないことを誓う。
残1億8,200万円。
5億円当たったら、毎日どうやって暇を潰そう。
独り身の自分が、5億円を持った後に結婚できるとは思えない。持ち物だけ金のかかった、たいして育ちの良くなさそうなアラサーに市場価値なんてないのである。
ここで私は今挑戦している会計士試験をやめるだろうか。
自分の能力には大きすぎるこの目標も、暇つぶしにはちょうど良いだろうか。
いや、結局大金を手にした後も続けたいと思うほど、熱意は感じていないので辞めてしまうだろう。
いやしかし、今も別に会計士になりたいわけではない。つまるところ、何かに向かってガムシャラになる、という経験がしたいのだ。
となると、宝くじが当たったからといって辞めてしまうと結局モヤモヤしてしまうのだろう。
お金の問題ではないのだ。苦行とも感じる勉強の日々は、自分自身のコンプレックスから来るものなのである。
最近は毎日自習室と自宅の往復で、ここに行きたい、これが欲しい、という感情が湧かなくなってしまった。
久しぶりに会う友人たちを見ていると、お金の話や彼氏の話ばかりで、自分がどんどん浮世離れしていくのを感じる。令和の時代に金髪の修行僧である。
5億円当たってもこのモヤモヤは解消しないだろう。結局は自分の問題だ。
さあ、そんなことを考えていても、結局は私の手元には宝くじが一枚もない。
サマージャンボ買ってみちゃおうか。
そんなことを考える5月の私であった。
写真はランニング前にセルフィーを取りまくる私。これは画角が難しいことを初めて知った。
