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カビの生えたメロンにも需要がある

先日、セカンドライフを家庭菜園で充実させている祖父から、メロンをもらった。

祖父は専らスイカを育てる事に家庭菜園の比重が偏るほど、一年を通してスイカのことばかり考えながら生きている人だ。
スイカ以外にも野菜や果物を作っては、会う度に何かしら季節の野菜や果物をくれる。
毎年納得のできるスイカを目指し、まだまだ至高の逸品には出会えていないんだとか、語られる。

そんなスイカは、今年も一番成りをいただいて、例年通りお店で買うのと大差ない美味しさだった。

しかし、メロンはというと、見た目は紫の風呂敷に包んでありそうな立派な容姿をしているのだか、味に関して正直に言うと、甘みと香りが欠けているのだ。メロン100%のジュースを半分 水道水で割ったような味である。
母親曰く、祖父は追熟の概念がなく腐る直前まで収穫しないらしい。

私も育てたことすらないので原因は知りえないが、母親がそれを指摘したところで、曰く典型的なB型の血液が流れる祖父は、聞く耳も持たず我流にこだわり続けているらしい。
プロのメロン農家の助言なら聞くだろうが、実の娘の助言なんて参考にすらしていないのだと思う。

失敗しながら研究し続け いつか満足のいく逸品ができることを生きがいとしているのなら、それもありなのかな と 味の薄いメロンを食べながら思う。

そういえば、あの頃は腐ったメロンも カビの生えたメロンも、ありがたい季節の風物詩のような感覚で食べていたっけ。

たった数年前の出来事ではあるが、随分前の事のように感じるのは、私が今の生活スタイルに馴染んで順応しているからなのかと、嬉しく感じたりもする。


その数年前とは、布教所で住み込みで生活をしていた時のこと。
そこでは、信者の協力により、季節毎に旬のものが沢山集まる。


厨房に広がるメロンの甘く芳醇な香りが、今晩の夕食にメロンが出ることを知らせてくれる。

私の他にも手の空いた女性は皆、メロンをカットする要員に回される。

近づくと甘い香りに混ざって、カビを感じる匂いに変わる。
包丁を握る。
まな板の上にのせられた その両端には、触れるのも躊躇するような ふわふわとした胞子がネット模様を覆っていた。
包丁を入れるたび、柔らかく崩れた果肉が刃にまとわりつく。
種はスプーンで取り除き、カビの部分を切り落とし、残った果肉を小さく切って口に運ぶ。

これをその日の分が終わるまで、ひたすら続ける。
そのせいもあって、夕食で出されるメロンを食べる気が失せてしまうほどだ。
口内に広がったメロンの味は消えても、カビの残り香と味はなかなか消えず、舌がしっかりと記憶していた。

夕食の際「1人2個まで!」とかの表記で番重に並べられたメロンとは別で、味見という名目で 半ば毒味役のように永遠にメロンの欠片を食べ続けられる作業は、初めのうちは嬉しかったが次第に舌も痺れてくるものだ。

この作業はメロンに限らず、今でも後遺症のように少量食べただけで痺れを起こすようになってしまったのが パイナップルだ。

元々パイナップルは食べすぎると舌が切れたり痺れたりする果物ではあるが、私はあの日々で果物が好きなだけ食べれるタイミングというものは、大量に入ってきた時の味見に限られるため、ここぞとばかりに、美味しさを食い溜めをしたかった。

多少舌が痺れても舌が痺れたからと言って、作業を中断するような人はいない。それに、そんなことぐらいは時間が経過すれば治るものだと心得ていたが、口にした総量や時間がものをいったのだろう。
まる三日間舌のしびれは飲食時のみならず、常に消えなかった。舌に入った無数の赤い亀裂は、鏡を見て毎日観察したが 鮮やかな赤色と痛みは少なくとも1週間はそのままだった。

自分でも これは身を張って頑張りすぎた。と反省したけれど、そんなのは後の祭り状態で、次からはカット要員に回されないように無理やり別の仕事探したり用事を入れたりして回避するようにした。

今でもパイナップルは好きだけれど、あの一件以来沢山は食べれない。一度キャパを超えてしまったからか、身体が舌を通じて強く拒絶反応を起こすようになってしまい、以前より痺れやすくなってしまった。美味しくいただけるのは、せいぜい ふた切れほどだ。

メロンでは痺れるまではいかなかったにしても、これらの経験が原因かは断定できないが、カビの匂いに対して随分と敏感になった気がする。
食べ物以外にも家具や空間など、カビを感じる匂いが他の人は気にならないと言っているレベルでも、あの日々を思い出す匂いはしっかりと鼻の奥に刻まれているのだと確信する。 

これらはもちろん、体質による個人差はあるけれど過剰に表現している訳ではなく、実際に私以外にも切れた舌がしばらく治らなかった人や、カビの匂いに敏感な人がいたことは事実である。


カビの生えたメロンは、本来なら捨てられるものだ。

それでも、あの場所では捨てるという選択肢はほとんど存在しなかった。
信者さんの誠だから。と、
「もったいない」の一言では片付けられない事情がそこにはあった。
腐りかけたメロンにも役割があり、食べる人がいて、味見をする人がいる。
あの場所では、カビの生えたメロンにも確かに需要があった。

不思議なのは、その頃の私はそれを異常だとは思っていなかったことだ。
むしろ、
「今日の午後にメロンが届くらしいよ!」
とかいう 誰かが発した確信のある噂が耳にはいると、それらが腐っていたりカビにまみれている事は大前提であるのに、嬉しくて楽しみに感じたほどだった。それは私だけでなく周りの皆がそのような雰囲気で楽しそうに毒味をしていたから、布教所に来る前の常識なんてものは環境にもみ消され、簡単にバグってしまうのだ。
「1人何個かなぁ〜」とか
「この時期がやってきたって感じがするねぇ〜」と言っていた人達の声が思い出された。

今はもちろん、カビなんて見つけようものなら捨てるし、「中を見て食べれるところがあるかもしれないから確認してみよう!」とすらならないのだ。

「カビの部分だけ切り落としてしまえば食べれる!」という布教所で言い伝えられてきた魔法の言葉は、実際、カビには通用しないことを今は知っている。菌というのは目に見えない部分にも深く広がっているのだと、布教所を出てから自分なりに学び直した。


メロンの香りを嗅ぐたびに思い出すのは、甘さだけではない。

甘い香りの奥に混ざる、あのわずかなカビの匂いだ。


匂いは不思議で、何年経っても、忘れたと思っていた景色を簡単に連れてくる。

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