≪みちのくを往く:S2≫ ~3.11、東北の来し方~
地震があったり、颱風がデュアルだったり
多端なものです。暦はもう≪文月≫ですね。
現在、東北地方というと“米どころ”でもあり、
一面に続く穀倉地帯のイメージだと思います。
かつて、中央から≪まつろわぬ民≫と見做されて
いた頃の東北の人びとは狩猟採集による生活が
普通のことでした。

東北は馬の産地。蝦夷の漢たちは馬術に長け
刀槍よりは弓、それも強弓を引くのが強さの証し
でした・・・。
辺境にあるという地理的条件もさることながら、
蝦夷が中央から討伐対象と見做される理由の
ひとつには“稲作を積極的に導入しなかった”
からでもあったんでしょうね。
稲というのはもちろん南方の植物です。
寒冷で豪雪の東北で栽培することは難儀だった
でしょう。今と違って品種改良や農薬の技術も
満足にないわけです。1年の半分ほどが雪に
覆われれば、≪二毛作≫も出来ないということ。
江戸時代の頃に、この事は大きな痛手を東北に
与えることになるのです。

天変地異が続いた天保・安政年間。冷害による
米の不作で東北の特に貧しい農民たちは飢えに
苦しみました。江戸時代ともなれば、東北は
“米どころ・・・”となっていたわけですが
当時、東北の諸藩は米の物成を換金し借金の
返済にあて、あるいは米相場に介入したりして
先ごろ話題に上った「備蓄米」などは殆どない
状態だったのです。
≪給与は相場のある米で払って、
商品は貨幣で決済する・・≫
江戸時代の大いなる矛盾とはこういうことです。
そういう意味では東北の農民は毎年が綱渡り
だったと思うし、現在これだけの農産物が東北で
生産されていることに、目を瞠るべきでしょう。
米沢藩の「上杉鷹山公」に代表される先人たちの
知恵と苦労が文字通り実を結んでいるという事。

【3.11】を考える時、東北日本と西南日本が
別々の歴史をもってきたことの認識がまず
前提となり、そして今後も別々な歴史を
育むことを東北自身が選択するのか、どうか?
多分、この辺が肝だと思うんです。

≪みちのくを往く・S2≫
最後までおつきあい、ありがとうございました。
— Hikaru
