映画『インターステラー』感想 愛は時空を越えて、起こりうる未来を現実にする
公開当時に『インターステラー』を観たときは、ブラックホールや相対性理論、時間の遅れといった物理設定に目を奪われた。
しかし、ノーラン作品を続けて観た今、気になったのは別の問いだった。
「起こりうることは起こる」としても、その可能性を現実にするものは何なのか。
来てほしい未来は可能性として存在するだけでは実現しない。
人が誰かを愛し、そのつながりを信じて、自分の役割を果たしたとき、初めて「起こりうる未来」は「起きた未来」になる。
空を見上げることをやめた人類
映画は、老人たちが過去を証言するドキュメンタリーのような映像から始まる。

主人公のクーパーが生きる時代の地球は、食糧不足によって社会が発展から生存の段階へと後退していた。
つまり、社会が求めているのはエンジニアではなく農家である。

学校では、月面着陸さえソ連を破産させるための捏造だったと教えられている。
科学は不要になったのではない。人々の希望ではなく、地下に隠された脱出計画になっていた。
かつて空を飛ぶために訓練されたクーパーが、今は地面を耕している。
その姿には、人類の視線が空から地へ落ちたことが表れている。
そんな中、クーパーはマーフの部屋に現れた重力の異常を座標として読み取り、NASAの極秘施設へとたどり着く。
人類が空を見上げることをやめた世界で、彼は再び宇宙へ導かれる。

消えゆく光に人はどう抗うのか
クーパー達が宇宙に向けて出発する時、ブランド教授はディラン・トマスの詩を読む。
Rage, rage against the dying of the light.
消えゆく光に抗って、怒れ、怒れ。
これは、滅亡を静かに受け入れず、宇宙へ飛び出す人類の意志を表しているようにも思える。
しかし、死に抗うのはクーパーたちだけではない。
「人類最高の人物」と紹介されたマン博士もまた、自分の死を受け入れられなかった。

孤独に耐えられなくなった彼は、救助を呼ぶために偽のデータを送る。そして自分が生き残るため、クーパーまで殺そうとする。
同じ「消えゆく光への抵抗」でも、クーパーは誰かを生かすために自分を犠牲にし、マンは自分を生かすために他者を犠牲にする。
氷原で取っ組み合う二人を、カメラは極端な引きの画で見せる。人類を救うために宇宙の果てまで来た人間同士が、何もない氷の上で取っ組み合っている。その光景には、滑稽さと悲しさが同時にあった。
正しい論理も情報が偽物なら意味をなさない
ミラーの惑星を出た後、残された燃料では、マンとエドマンズのどちらか一つの惑星にしか行けなくなる。
アメリアは愛の力を信じ、エドマンズの惑星を推す。

しかし、クーパーとロミリーは現在も有望な信号を送り続けているマンの惑星を選ぶ。
その時点での判断は合理的だった。
間違っていたのは論理ではなく、入力されたデータだった。
マンの信号は、自分を救わせるための偽物だった。
一方、信号が途絶えたエドマンズの惑星こそ、人類が暮らせる場所だった。
客観的に見えるデータにも嘘は混ざる。
反対に、主観的な感情にも、まだ説明されていない情報が含まれているかもしれない。
これは『TENET』にも通じる。
どれほど優れた作戦や合理的な判断でも、情報にフェイクが混ざっていれば、望む未来には到達できない。
愛は送り手と受け手を結ぶ重力
ガルガンチュアへ落ちたTARSは、特異点の量子データを取得する。
そして、クーパーは重力が時空を越えられることに気づく。
しかし、データを過去へ送れるだけでは人類を救えない。
無数の人間と時間の中から、誰に、どのような形で情報を届けるのか。
そこでクーパーが選ぶのが、マーフに別れ際に渡した腕時計だった。

重力が通信回線で、モールス信号が言語なら、愛は送り手と受け手を結ぶアドレスである。
別の人が秒針の異常に気づいても、ただ時計が壊れているで終わったかもしれない。
しかし、マーフには本棚の幽霊や父との記憶がある。

だから秒針の動きをノイズではなく、父からのメッセージとして読むことができた。
愛は量子データを生み出さない。
方程式を解く代わりにもならない。
それでも「ここには何かある」と信じ、科学を始動させる力になる。
科学には客観的な検証が必要だ。
しかし、何を疑い、どこを見るのかを決める最初の仮説には、人間の経験や直感、信じる力が入り込む。
過去を変えずに、未来を成立させる
4次元空間の中で、クーパーは過去の自分を止めようとする。
本棚を使ってマーフに伝えた言葉は、STAYだった。

しかし、クーパーが宇宙へ出発した事実は変えられない。
マーフと過ごせなかった時間も取り戻せない。
そこでクーパーは、過去を変えるのではなく、過去へ必要な情報を送ることに目的を変える。
ここで、“They”は“Us”へ反転する。
未知の存在に選ばれたと思っていたクーパーは、未来の人類が過去の自分たちを導いていたと知る。
そして、本当に選ばれたのは自分ではなくマーフだったと気づく。
クーパーは世界を直接救う英雄ではない。
TARSが得た情報を、世界を救える娘へ届ける橋だった。
『インターステラー』のマーフィーの法則は次のようになる。
Whatever can happen will happen.
起こりうることは起こる。
そして、後の『TENET』ではこう語られる。
What’s happened, happened.
起きたことは変えられない。
一方は可能性から未来を見て、もう一方は結果から過去を見る。
しかし、どちらも人間の行動を否定する運命論ではない。
起きる未来が決まっているから、何もしなくてよいのではない。
その未来が存在するのは、それを成立させるために誰かが行動したからだ。
世界の主人公は、自分ではなかった
ラストでクーパーは「クーパー・ステーション」という名前を聞き、自分にちなんで名づけられたと思う。

しかし、実際に称えられていたのは、人類を救った娘のマーフ・クーパーだった。
映画はクーパーの視点で進む。だから観客も、彼こそが選ばれた救世主だと思いやすい。
しかし、人類を救ったのは一人の英雄ではない。
TARSがデータを取得し、クーパーが情報を送り、マーフがそれを解読して方程式を完成させた。
さらに未来の人類が、クーパーとマーフを結ぶ場所を用意した。
クーパーは物語の主人公ではあるが、人類史の主人公ではなかった。
誰もが自分の人生では主人公だ。
しかし、誰かの人生では、その人が未来へ進むための橋渡し役なのかもしれない。
帰ってきても、失った時間は戻らない
クーパーは約束どおり、マーフのもとへ生きて帰る。
しかし、父親として帰るべき時間には間に合わなかった。
若い姿の父と、死を迎えようとする老いた娘が向き合う場面には、再会の喜びと、取り戻せない時間の残酷さが同時に存在している。

幼いマーフは父に STAY と願った。
ところが老いたマーフは、宇宙で一人になったアメリアのもとへ行くよう、父を送り出す。
つまり、ここにもSTAYからGOへの反転がある。
クーパーの旅は、家へ帰るための宇宙版『オデュッセイア』だった。
しかし、ようやく帰り着いた家に、彼の居場所は残されていない。
それでもクーパーには、まだ役割がある。
起きたことを受け入れたうえで、次の未来へ進んでいく。
その姿は、『TENET』の主人公のラストとも重なった。
起こりうる未来は、可能性として存在するだけでは現実にならない。
クーパー、マーフ、TARS、アメリアたちが、それぞれの意思で自分の役割を果たしたことで、人類が生き残る未来は成立した。
変えられない運命の中でも、愛に導かれた意志が人を行動させるとき、起こりうる未来は人類を救う現実になる。

