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人類史を紐解くと、バッタが群れて飛んでいた【生物学×社会学エッセイ】

この記事は、最初期の真面目な記事を書いていた時代にボツにしたものをブラッシュアップしたものなので、普段と書きぶりが全然違います!!許してください🥺


サバクトビバッタなどの、ある種のバッタの仲間は2つの顔を持つ。

一方の顔は低密度で生息している時に現れる、穏やかな草食昆虫としての顔である。

孤独相のサバクトビバッタ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140115/380086/?P=4 より引用

この時、彼らは草むらに溶け込む黄緑色の体を持ち、飛翔よりも大きな後肢での跳躍を好み、群れず、争いを好まず、静かに草原に隠れて草を食んでいる。このような姿は「孤独相」と呼ばれる。

しかし、環境の変化によりひとたび彼らが集合すると、世代を経るごとにその姿と性質は大きな変貌を遂げ、「群生相」となる。

群生相のサバクトビバッタ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140115/380086/?P=4より引用

特に大きく変化するのは、その食欲と増殖性、そして移動性だ。彼らは旺盛な食欲で今まで食べていた植物のみならず、見向きもしなかったような植物、そして小さな虫までも、なんでも貪る。

そうして得た栄養で子を増やす速度は加速度的に増加し、増えた彼らはその物量でその地の食えるものはなんでも食いつくす。黄緑色から茶褐色へと変化した体色も、草原を貪り尽くして荒野にしてしまうことを予告しているかのようだ。

そして、生息地を荒野にした後、彼らは孤独相の時よりも大きく発達させた翅で集団での大移動を行う。この大移動は時に仲間の屍さえ踏み台とし、大陸をも超えて各地の食物を食い尽くす。

この大移動は飛蝗と呼ばれ、その過程で農作物が食い荒らされれば蝗害と呼ばれる災害となり、今も人々を苦しめている。

 さて、このような、個体の密度の変化によって起こる性質の変化は「相変異」と呼ばれるのだが、ここまで劇的なものはバッタ以外の生物種ではそう見られるものではない。他にこのような例があるとすると……

……ヒトくらいだろうか。

 ヒトに相変異が見られる……これには生物を齧っている人は異議を唱えたくなるだろう。これは、ある意味ではただのレトリックであるし、ある意味では本気の主張である。

ヒトの相変異は遺伝子レベルの話ではない。しかし、社会という一つの「超有機体(スーパーオーガニズム)」として見た時、人類は確かに相変異を起こしているといえるのだ、と私は主張したいのだ。

どういうことか。

バッタは群生相においては、孤独相よりも大きな卵を少数だけ産む。その理由はコロニー内での同種間の競争に勝つためである。

生まれてきた子供が小さければ、同じコロニーの同種との競争に敗れて、子孫が残せなくなる。これを避けるために、競争が激しい高密度環境では、競争に勝てるようにするため、より一人の子供に多くの資源を割くのだ。

これは、現代の人類にも同じことが言えるのではないか、と私は思うのである。

少子化と、一人の子供にかける教育費用の増加。
どの親も、できる限りの文化資本を子に投入していい大学へと行かせようとする。

受験戦争は、まさに競争化社会の象徴だ。

これは、人間がより高密度の激しい競争環境に適応した結果なのではないか。現代の我々は、まさに群生相にあるのである。

いつ群生相になったのかと言えば……産業革命ごろだろうか。

産業革命を経て、人々は生産力を高め、密集して暮らすようになり、富を蓄え、そして……蒸気機関という大きな翼を得た。蒸気機関を得た彼らにとって、もはや大陸を隔てる海は大きな障壁では無くなったのだ。

そして群生相を極めた先に行き着くのは……飛蝗だ。

群生の果てに、資源を使い尽くし飢えた彼らは手に入れた蒸気機関という翼を使って、世界中の資源を喰らい尽くすため、旅立って行ったのだ。

それが帝国主義の台頭である。

彼らは手付かずだった世界に、蒸気機関の力で降り立っては、支配・統治。美しい自然、地下に眠る資源から、そこに住む人々の文化や、自由に至るまで、全てを喰らい尽くして行った。

そして、喰らい尽くした先に彼らを待っているのは、自壊による飛蝗の終焉だ。

バッタに話を戻そう。彼らは、餌を喰らい尽くしたり、環境が変化したりして、移動しても十分に餌を得られない状態になったら、自らの同胞を喰らい始める。

そして、その後に集団の密度はだんだんと低下。しだいに散らばってゆき、また元の平和な孤独相へと戻るのである。

人間においても、まさに同じことが起こったのだ。

人々は、帝国主義時代に途上国の陣取りゲームを行った結果、状況が煮詰まってしまった。

そうして始まったのが、盛大な共食い。二度の世界大戦なのである。

そして、世界大戦により疲弊し、世界はもう元の勢力を保てなくなったことにより帝国主義は終焉。長かった飛蝗も終わりを告げたのである。

実はこのような飛蝗が起こったのは一度や二度ではない。

早くは先史時代の人類のアフリカ脱出から、ゲルマンの大移動、大航海時代に至るまで、何度も何度も飛蝗は起こっている。

さて、ここで我々に目を向けてみよう。

我々は、今日本にいる限りは平和を享受しているが、果たして孤独相にいるのだろうか。

……違う。我々はまさに過密していく都市の中で、激しい競争に晒される群生相だ。

現代の社会は、飛蝗の時に向けてその内圧を高めている。

これまでの人類史における飛蝗のトリガーは、技術革新であった。

大航海時代ならば羅針盤、帝国主義時代ならば蒸気機関。それらが、人類が新たな世界へと飛び立つための翼となった。

さて、現代の我々において、もはや飛蝗のために必要なものは翼だけである。動機づけは十分だ。

だって、どうにもならない環境問題。枯渇する地下資源。人口爆発による食料問題。あらゆる現代社会の諸問題が、我々に飛蝗を促しているのだから。

では、今度は何が我々の翼となるのだろうか。

一つは、宇宙船かもしれない。
あるいは、インターネットの発達により世界の隔たりが失われ、人々が世界の裏側とノータイムでやり取りできるようになった状態こそが翼なのかもしれない。
あるいは、AIのシンギュラリティ到来による、人智を超えたテクノロジーが翼となるかもしれない。

私には、何が翼となるかはわからない。
だが、一つだけ断言できることがある。

飛蝗の時は近い。

5年後かも知れないし、100年後かも知れないが、我々を待つのは屍を踏み越え、仲間すら喰らいながら進み続けるような、そんな未来である。そんか予感がしてならない。

いつの時代も、ヒトもムシも、飛蝗を制すのは強いものだけだ。喰らえるものだけだ。

備えよ。

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