変わる社会と「モラル」の限界
日本社会は古来より、法律よりもモラルによって秩序が保たれてきた。島国という地理的要因と、300年以上にわたる徳川家による安定した統一国家が、その基盤を築いたのかもしれない。すべてを法律で細かく定める必要はなく、モラルを破れば「村八分」のような形で共同体から排除される、という暗黙のルールが機能していたのだ。つまり、他人の目を意識する文化が、社会の安定を支えてきたのである。
その証拠に、数十年前までは当たり前だった、路上でのポイ捨てや歩きタバコは、今ではほとんど見かけない。条例による規制もあるが、それ以上に人々のモラル意識が変化したことが大きいだろう。
ところが近年、このモラルに頼った社会のあり方が限界を迎えているように感じる。
法律による統制の必要性
訪日外国人が増え、多様な文化や習慣が持ち込まれるようになった。もちろん、日本の文化に敬意を払う人も多いが、それでも自国のマナーや習慣を優先する傾向も見られる。これは、長年日本社会を支えてきた「モラルによる社会的安定」が、もはや機能しなくなりつつあることを示しているのではないだろうか。
このような、多様化が進む社会を安定させるには、法律による明確なルールが不可欠だ。歴史を振り返ると、その成功例が見つかる。
古代と近代に見る、多民族社会の統治
古代の秦
紀元前の秦で、宰相の商鞅が推し進めた変法は、その代表的な例である。彼は、貴族と庶民の身分の区別なく、すべての人を公平に裁く法治国家を確立した。これにより、秦は強固な国となり、後の中華統一の大きな原動力となった。
近代のシンガポール
公用語が4つもある多民族国家であるシンガポールも、同様に法律による統制が徹底されている。日本では「マナー」として扱われるようなことまで、厳しい法律によって管理されているのだ。
民族が違えば、生活習慣や考え方も異なる。そうした違いから生まれる摩擦をなくすには、国家が法律で統一されたルールを定めるしかない。
これからの日本のあり方
多様な価値観が混在するようになった現代の日本。私たちが安心して暮らしていくためには、もはやモラルに頼るだけでなく、先に挙げた例のように、厳格な法律で社会を統制していくことが求められているのかもしれない。
皆は、この変化をどう捉えるだろうか?
