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Ben Lost 来日記念インタビュー by 与田太郎


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    24th Aug 2025 R LOUNGE

    ベン・ロストが20年ぶりに来日する。彼は90年代後半にヨーロッパのダンス・シーンをリードしたレーベルhooj choonsから派生したレーベルLost LanguageのA&Rとして活躍していた。90年代のダンス・シーンはレーベルという存在がとても大きな役割を担っていた。Platipus、Additive、NEO、Xtravaganza、BLACK HOLE、POSITIVA、Manifesto、FFRR、Perfecto、Bedrockなどあげればキリがないけど、インターネットが現在のように全ての情報を検索できる以前、僕らはDJ MAG、MIXMAGやMUZIKのような海外の雑誌に掲載されたDJのプレイリストをチェックするか、信頼できるレーベルを見つけることでトラックを手に入れていた。イギリスやドイツとは違い、ダンス・ミュージック専門のラジオもなく、リアルタイムで情報が入ってこない日本では信頼できるレーベルを見つけることがいかに大事だったか、今では想像することも難しいかもしれない。なかでもhooj choonsは、90年代中旬から後半にかけて、シーンがハウスからトランスへクロスオーバーする時期に奇跡的なほど多くの名曲をリリースした。2000年を越えたころ、シーンのトレンドがプログレッシブ・ハウスやトライバルなサウンドに移行するタイミングでhoojはよりグローバルに進化し始めたトランスのアウトプットのためにサブ・レーベルとしてLost Languageを設立。どちらも多くの素晴らしいトラックをリリースしたが、2000年代半ばにトラックのリリースがデジタル中心に移行することで緩やかにその役目を終えていった。hoojとLost Languageは、90年代後半から2000年代前半にかけてのシーンがダイナミックに進化してゆく過程をリリースで時代に刻み込んでいた。特にハウスからトランスへの緩やかな変化と、トランスがさらに深みへ向かう流れを作っていく状況をリアルタイムで体験したものとして忘れることはできない。この時期は僕自身もパーティーが生活の中心だった、そこで得たものが僕の音楽観の中心にあることだけは間違いない。
    今のUKダンス・シーンのフロントラインにいるアーティスト、Bicep、Fred Again..、Jamie xx、four tet、Romy、TSHAなどの曲には明らかに90年代後半のトランスから影響を受けているであろうサウンドを見つけることが多い。インタビューでベンも語っている通りトランスとはフィーリングなんだと思う。あの熱狂がかたちを変えて、再び求められているのではないだろうか。90年代のダンス・ミュージックは、当時を体験していない今の世代のアーティストにとってもリアルに響いているのだろう。
    ベンを最初に日本に招聘したのはシーンが拡大しつつあった2003年だった。20代前半で少年のようだった彼ももう45歳、今もレーベルの運営を続けている彼に話を聞いてみた。


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    BEN LOST 2025

    生い立ちから子供時代の音楽との出会い


    ーあなたは何年生まれで、生まれ育った町はどこですか?

    Ben 1980年生まれで、イギリスのピーターバラという町で生まれ育ったんだ。

    ー子供時代の音楽の思い出を教えてもらえますか?

    僕の一番古い音楽の記憶は、アダム・アントとジェフ・ウェインのミュージカル『War of the Worlds』が怖かったことかな、今ではどちらも好きだけど(笑)。両親は家でいつも音楽をかけていて、その頃の記憶に残っているのが、デヴィッド・ボウイ、シンプル・マインズ、U2、モータウン、ノーザン・ソウル、それから『オペラ座の怪人』や『ジーザス・クライスト・スーパースター』などのミュージカル。いろんな音楽が流れている環境が僕の心をあらゆる音楽に向けて開いてくれたんだと思う。

    ー10代で最初に夢中になったアーティスト、もしくはアルバムを教えてください。その音楽にどうやって出会ったのですか?

    僕が最初に好きになったバンドはガンズ・アンド・ローゼズだった。10歳の時、両親が地元の図書館で『Appetite of Destruction』のカセットを借りてくれたんだ。それからはすぐに当時のインディー・ロック、スウェード、ブラー、マニック・ストリート・プリーチャーズ、プラシーボなどに夢中になった。グラムっぽいインディーが好きだったけど、その直前にはニルヴァーナ、ソニック・ユースなどのアメリカのオルタナティブやグランジ、それから僕の好きなロックのルーツであるセックス・ピストルズやバズコックスにも影響を受けた。僕は今でも当時聴いた音楽の影響で音楽を作り続けている。

    ダンス・ミュージックとの出会い

    ー音楽の情報は何でキャッチしてましたか?雑誌やラジオなら雑誌名や番組名を教えてください。

    父は毎週『NME』と『Melody Maker』を手に入れていて、僕は父の後にそれを読んでいたんだ。それと、地元のラジオ局『Hereward Radio』がインディーやオルタナティブ・ミュージックをたくさん流していた。そこでジ・オーブ、FSOL、レフトフィールド、オービタル、それからザ・プロディジーなどもかけていて、ちょうど90年代初頭、僕が中学生の頃に初めてエレクトロニック・ミュージックを知ったんだ。それと、マクドナルドの駐車場の車の窓から当時の有名なレイブだったFantaziaやDreamscapeのミックスが鳴り響いていたのをよく覚えているよ。僕はまだクラブやレイヴに行ける年ではなかったけど何かを感じていたんだと思う。

    ー最初に行ったパーティーやその頃に夢中になったDJを教えてもらえますか?

    1998年に発売されたイアン・オシアとナイジェル・ドーソンがコンパイルした、ルネッサンスのコンピレーションが僕に最初の大きな影響を与えたんだ。それでナイジェルがスタンフォード(僕の地元ピーターボローの近く)でプレイしたときに仲間と一緒に行ったんだ。そこで初めてEを手にし、その一夜が僕の人生を変えたんだ。その後、ポール・オーケンフォールドとスコット・ボンドが僕の地元のBubbleというクラブをにきた。僕は翌年1999年の初めにはロンドンに移り住んでいたよ。それからはThe Gallery、The Cross、Heaven...と毎週末パーティーに通っていた。

    ーBBC Radio 1のエッセンシャル・ミックスは聴いてましたか?印象に残っているエッセンシャル・ミックスがあれば教えてください。

    もちろん!なかでもポール・オーケンフォールドの1999年のエッセンシャル・ミックス・ワールド・ツアーには大きな影響を受けたし、彼のゴア・ミックス(1996年)とともに定期的に聴き返してる。このふたつのセットは異なるスタイルのエレクトロニック・ミュージックがミックスされていて、まるで映画のような体験だと思う。このミックスは僕のセットに大きな影響を与え続けているよ。

    レッド・ジェリーとの出会い、hooj choonsについて

    ーレッド・ジェリーとの出会いについて教えてください、彼はどんな人物ですか?

    hoojで働き始めたのは2000年で、面接はA&Rのショーンだったんだ。ジェリーに初めて会ったのは、ホクストンの公衆トイレを改造したバーだったと思う。その時、hoojのオフィスには大勢の人が集まっていたから、彼はDJをしていたのかもしれない。ジェリーはウォッカ・ライム・ソーダを注文し、僕もそれを飲むと言うと、ジェリーは「そうだ、ボスが飲んでいるものを飲め」と言った。それがジェリーとの最初の思い出なんだ。
    ジェリーと僕は一緒に多くの時間を過ごした。ロンドンでの僕たちのエレメンツ・クラブ・ナイト、ブダペスト、アムステルダム、マイアミの音楽カンファレンスでのDJイベント、そしてバンドを契約するために探していたライブショーなど、国内や海外を問わず一緒に過ごしていた。2004年から2006年までの期間はとても厳しいものだった。デジタルダウンロードとファイル共有がダンスミュージックシーンを壊滅的な打撃を与え、僕たちは二人ともロックやインディー・サウンドにも深い愛着を持っていたから(ジェリーはクラッシュの大ファンであり、僕はティーンエイジャーの頃から様々なパンク・バンドに参加していた)ダンス・ミュージック以外の方向を模索する必然性があったんだ。いくつかのバンドの曲をリリースしたり、ジェリーは短期間だけど自分が見つけたバンドのマネージャーをやっていたりした。

    僕たちはまた、ボーダー・コミュニティのようなスタイルのレーベルPrecinctと、ノイズ・エレクトロ・クラッシュ・パンク・ファンクを特徴とするレーベルNo Futureを共同で設立したんだ。20年経った今でもとても誇りに思ってる。The MFA、Northern Lite、Gil Norris、Scratch Massiveなどは今でも新鮮なサウンドだと思う。
    ジェリーは左派的な主張を公然と表明し、政治的な立場を隠すことなく話す人物なんだ。特に彼のレーベルProlekultを通じてその姿勢は明確に示されている。このレーベルは左派的なアートワークやアイコングラフィーで知られ、各リリースにはカール・マルクス、ギー・ドゥブール(フランスの社会革命を標榜した前衛芸術家)、ヒューイ・P・ニュートン(アメリカ合衆国の公民権運動の指導者)、ベルトルト・ブレヒト、レーニンなど、革命的な人物やメッセージを象徴的に採用している。彼の政治的立場が人々を怒らせるのを目にしたこともあるし、議論が熱くなったことも何度かあった。でも音楽のジャンルがしばしば深みや意味に欠け、レーベルがカバーにAIで作った画像や無意味なものや、無意味なものを載せたりするいまはジェリーのような人物が必要なんだ。彼はソーシャルメディア・プラットフォームやカバーアート、リリースに付随する説明文を通じてシーンに意味を注入する覚悟があるからだ。Prolekultのコンピレーションのリリースの際に彼がプレスリリースに載せた文章は今でも覚えているよ。

    「残念ながら世界は誰ひとりとして、私たちが次に古いトロツキストを引っ張り出したとしても気にしないことが明らかになった。これまでの3年間で17枚のリリースを経て、私は自信を持って言うが、次回のリリースにドナルド・ダックを起用しても、誰も気に留めないだろう……」

    ジェリーは唯一無二の存在であり、彼が hooj、Airtight、Collective Leisure を含むすべてのレーベル、プロジェクト、著作物、そしてその他の活動を未来永劫にわたり継続してくれることを僕は願っている。
    昨夜、ジェリーがカール・ユングの像を崖から突き落とす夢を見たよ、それが何を意味するのかはわからないけど。

    ー当時のhooj choonsは多くのヒット曲を出してました、イギリスではどんな状況だったのでしょうか?

    当時のシーンはとても健全だった、今とはまったく違ったよ。リリースのたびにレコードの売り上げは数万枚に達し、コンピレーションへのライセンス依頼は毎日のように届いていた。

    ーhooj choonsのプロモーション方法はどういうものでしたか?

    『Muzik』、『Mixmag』、『Dj Mag』などの雑誌にプロモを送り、ポール・オーケンフォールド、サシャ、ティエストなどの大物DJや、もちろん『BBC Radio One』で人気のあるダンス番組を担当していたジャッジ・ジュールズやピート・トンにも、最新曲のアセテートをカットして宅急便で送っていた。毎週金曜日の夕方はBBC Radio Oneにチューニングを合わせ、彼らの番組で僕たちの最新のプロモがかかるかどうかを確認していたよ、そういう時のオフィスはとても賑やかだった。

    ーhoojで好きなトラック、印象深いトラックを教えてください。

    LSG "Netherworld"、CM "Dream Universe",、Space Manoeuvres "Stage One"、Quivers mix of "Sacred Cycles"、West on 27th、Roaches, Standing、Gamemaster… ほんとに多くて数えきれないよ。


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    Ben Lost 2000年代前半

    Lost Languageの時代

    ーLost Languageのスタッフになった経緯を教えてもらえますか?

    僕は2000年にA&Rアシスタントとしてhoojに入社したんだけど、その頃hoojはよりプログレッシブでトライバルな領域へと移行していたんだ。そこにはもはやトランスの居場所はなくなりつつあった。そのタイミングでLost Languageは、hoojが契約していたトランス・ミュージックのアウトプットとして設立された。僕はまだトランスに夢中で、週末はいつもThe GalleryやGatecrasherに出かけていた。だから当時まだ20歳だった僕にとって、レーベルを担当できることは本当に光栄なことだった。

    ーその当時の状況、思い出など教えてください。

    僕はとても恵まれた立場にいて、気がつけばシーンの大物を相手にしていた。ティエストとGodsKitchenのDJブースにたむろしたり、ブダペストでオーケンフォールドとワイルドな夜を過ごしたり。金曜の夜にロンドンのThe Galleryで始まり、日曜の夜にSundissential Leedsやバーミンガムで終わり、月曜の朝の仕事に間に合うようにロンドンに戻るという、めちゃくちゃ長い週末を何度も過ごしたんだ、これは若い頃じゃないとできないね。

    ートランスがグローバルになっていった当時のシーンはどんなものだったのでしょうか?

    2002年から2004年にかけては海外でプレーすることが多かった、シーンがどんどんグローバルになっていったのを実感してた。アメリカ、カナダ、ロシア、フィンランド、イスラエル、ブラジル、中国、日本...、本当にシーンが健全だったと思うよ。その時期に印象に残っているのがTilt、Leama & Moor、Probspot、Ozgur Can、Koalaだね。

    ーLost Languageはスタートしてから25年が経ち、いくつものヒット作を生み続けてきましたが、特に気に入っている(あるいは印象に残っている曲を教えてください。

    初期の頃ではJames Holdensの"Into the Dawn"のリミックス、Lyricの"Over Emotion"、Miroの"By Your Side"かな。第2期ではTiltのアルバム『Explorer』、Koalaの"Fantasy"、R-Temの"Voiceless"、Ozgur Canの"Irony"。それから数年後、僕がレーベルを少し離れて戻ってきたときでは、3 Access and Youの"We Are One"と"Violeta"、Manmachineの"Where's Cynthia"、Simon Templarの"Oblivion"、最後に最新のリリースからAstral Banditの"Different Kind of Friend"、The MFAの"Specific Ocean"、LostLegendの"Into the Sky"の全ミックスだね。

    ー現在でも多くのファンに愛されるProgressive Tranceの象徴で2004年にLost Languageからデビューし、アルバムもリリースしたProbspotはあなたが最初にプロモーションを行なっていた印象があるのですが、彼との出会いや最初に曲を聴いた時のエピソードはありますか?

    Probspotを知ったとき、僕は本当にプッシュしたんだ。彼のタイトで弾むようなプロダクションが大好きだった、本当にユニークなサウンドだよね。記憶が曖昧なんだけど、彼は2-3枚のデモを送ってくれて、それが『Foreplay EP』になったんだと思う。"Midnight"は今でも彼の曲の中で一番好きだ。

    ーレーベルスタート当時から一度脱退するまでの5年ほどの間にA&Rとして多くのアーティストに接してきたと思いますが、その頃の話を皆聞きたいと思います、印象に残っているエピソードなどありましたら教えてください。

    僕のA&Rで最も印象的な瞬間は、レーベルの倉庫に眠っていた埃だらけのDATテープの棚からSolarstoneの"Solarcoaster"を見つけたことかな。この曲は完全に忘れられていたんだ、DATを聴いて、僕はこの曲のポテンシャルを感じた。すぐに『In Search Of Sunrise 3』の収録曲を探していたティエストに送ったら、彼はとても気に入ってくれて、アルバムに収録してくれたよ。

    ー当時と今で変わっていること、変わらずに貫いているレーベルの信念や活動方針はありますか?

    音楽の消費方法は明らかに大きく変わった。デジタル・ダウンロードはストリーミング・サービスやYouTubeなどと競合している。最近は音楽で生計を立てるのはずっと難しくなっている。でもそれが現実であり、この今の状況が過去のような状況に戻ることはないと思う。でも僕たちの音楽哲学に関して言えば、僕たちは常に前進しており、決して脆い考え方はしていないよ。常に新しいサウンド、新しいプロデューサーを探していて、次世代のDJやプロデューサーが何をやっているのか、鋭い目をいつもシーンに向けているんだ。

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    2010年代以降の変化

    ー2010年前後でイギリスのダンス・シーンは世代交代をしたと思います、ダブ・ステップやEDMの台頭をどう感じてましたか?その時期はあなたはどんな活動をしてましたか?

    その頃僕は、EDMやダブステップ、流行っていたビッグルームのトランス・サウンドにはあまり興味がなくて、2005~6年頃からまたバンドの活動を始めたり、インディーやエレクトロなどのDJをしていたんだ。その後すぐに、よりプログレッシブ/メロディックなトランス、サイ・トランスへとシフトしていき、DI.FMの番組『Beyond the Black Radio』では、テクノ、プログレッシブ、オールド・トランスと並んでプレイするようになったんだ。そしてLost Languageに戻ったとき、僕がプッシュしたのはそういうサウンドだった、それがManmachine、Sonic Entity、Ovnimoonなんだ。

    ー最近のUKダンス・シーン、Bicep、Jamie xx、four tet、caribu、Fred Again..などの若い世代のアーティストが90年代のトランスを今のサウンドにアップデートしてるように感じます。これらの若いアーティストについてどう思いますか?

    僕はトランスの影響やサウンドがさまざまなジャンルから伝わってくるのを聴くのが好きなんだ。僕はいつもトランスはジャンルというより雰囲気だと言ってきた。映画のサウンドトラック、インダストリアル、ポスト・パンク、そしてもちろん最近のテクノにも「トランスのヴァイブ」がたくさんある。僕はそれが大好きだ、つまりトランスはフィーリングなんだ。

    ー映画『This Is England』や『トレインスポッティング』は私の世代にとってとても大きな影響を持つリアルな映画でした、あなたにとってはどうですか?

    僕は『This Is England 1990』が特に好きだよ。それと90年代のパーティー・ライフを描いた『ヒューマン・トラフィック』、この映画は僕の90年代後半の週末のクラブ体験に最も近いもので、とてもリアルだった。

    ー最後に、20年ぶりの日本ですが、当時楽しかった思い出を教えてください。また久しぶりに来てどんなことがしたいですか?

    日本への旅はいつも特別なものだったよ。DJをやっていて一番好きな思い出のひとつだ。富士山の麓での野外パーティー、潮風でCDが舞い散るビーチでのアフターパーティー、大雨の中、観客の半分がDJブースにいたサーキットでの野外ショー。どれも魔法のような時間だった。また何人かの人たちと再会できることを願っている。今回の旅には妻も一緒で、日本の美しさと素晴らしさを体験してもらうのが待ちきれないよ。

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    Lost Language 25th Anniversary

    Lost Language 25th Anniversary
    2025.8.24 (Sun)
    R LOUNGE 6F
    Special Guest : Ben Lost [Lost Language]

    DJs : YODA、OCOT (DJ set)、Kenji Sekiguchi、O-ZI & DJ NECO、Nono THING
    VJ:Katsumaki、Himetya
    14:00 -21:00
    ADV 3000 Yen / DOOR 4000 Yen
    Under 30 : 2000 Yen

    ※30歳未満の特別割引をご希望の方は当日IDを持参の上、エントランスでご提示ください
    ※未成年者の方は保護者同伴が必須となります


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    See You at 大阪

    2025.8.23 (Sat)
    See you at Lost Language 25th Anniversary
    Club Joule 4th floor
    GUEST DJ : Ben Lost(Lost Language)

    DJ : YASHIMA、Shogi、ftw、saRsa、Satoshi Tanaka
    22:00-5:00

    ダンスミュージックの枠を超え、多くのリリースがナショナルチャートへと送り出された90年代UKダンスレーベルの象徴hooj choons。そこからトランス・プログレッシヴハウスに特化したレーベルとして2000年にスタートし、トランスアンセムの数々が現在でも語り継がれている伝説のレーベルLost Language。

    活動最初期のJames HoldenやChris Lakeのヒット作を手掛け、Tilt、Leama & Moor、ProbspotといったProgressive Trance黄金期のヒットメーカーのプラットホームとして。また、Into Dawn (James Holden Remix)、Eugina (Michael Woods Remix)、Seven Cities (Armin Van Buuren Remix)、Foreplay、The World Doesn’t Knowなど現在でも知られる多くの楽曲を輩出。そのリリースはTiestoを筆頭にArmin Van BuurenやAbove & Beyond、Markus Schulz、Solarstoneらを始めとするトップDJ達を魅了し、現在でもArgyやSuperstrings、みんなのきもちといった今世代を代表するアイコン達にまで支持されている。

    コマーシャルなトランスとは一線を画すダークでミステリアス、そしてエモーショナルな数々のリリースをキュレーションし、世界各地から誰にも知られていなかった才能達を次々と発掘、00年代中期にメインストリームへと転じた後のProgressive Tranceムーブメントの礎を築くも、レーベル最高潮の時期に突然シーンから姿を消し、2010年代にカムバックを果たしたレーベルの代表Ben Lost。レーベルが25周年を迎えた2025年、あの熱狂的な時代を支えた名曲の数々と共に再び日本へと戻ってくる。

    更にこの日は日本のトランスシーンにおける象徴的な存在で2003 - 2005年にBenを日本へと招聘し続けたパイオニアYODAを筆頭に、Lost Languageからもリリース経験のあるProgressive TranceプロデューサーOCOT、同シーンの国内最重要レーベルOtographic Musicの主催Kenji Sekiguchiの両者、2000年代中期から10年に渡り多くのトランスパーティーを実現してきたLandscapeのO-ZIとNECOなど。当時を知るDJ達が一日限りの特別な再集結を果たす。
    By dj neco

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