🌏「地上の楽園」の真実――在日朝鮮人帰国事業の光と影
1959年から約25年にわたり行われた「在日朝鮮人帰国事業」。
この事業は、当時「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮へ、約9万人を超える在日朝鮮人とその家族が移住した壮大な国家プロジェクトでした。
しかし、その実態は悲劇に満ちたものでした。この記事では、その背景、朝鮮総連の役割、そして北朝鮮の実情をわかりやすく解説します。
⸻
■ 「地上の楽園」への帰国――始まりは希望だった
戦後、日本に残った在日朝鮮人の多くは、差別や貧困に苦しんでいました。
「日本で暮らすよりも、祖国で新しい人生を」という思いが高まり、1959年に北朝鮮への帰国事業が始まります。
初年度には約3万人(29,241人)が帰国し、翌年には4万9,000人以上にまで増えました。
しかし、1970年代に入ると帰国者数は激減します。なぜでしょうか。
⸻
■ 「楽園」のはずが、現実は貧困と監視の国
帰国者たちは、北朝鮮に着くと理想とはほど遠い現実に直面します。
食料や衣類などの日用品すら不足し、日本に残った家族に「下着」「毛布」「砂糖の代用品サッカリン」「薬」を送ってほしいと頼む手紙が届きました。
「地上の楽園」ではなく、「生活必需品すら足りない国」だったのです。
⸻
■ 手紙に仕込まれた“暗号”――「来るな」のメッセージ
北朝鮮ではすべての郵便が検閲されていました。
そのため、不満や苦境を正直に書いた手紙は日本に届きません。
ある帰国者は、家族に次のような暗号文を送りました。
「金日成将軍様と朝鮮労働党の深い御配慮により、生活は△△△で私たちが暮らした時と同じですから御安心ください。必ず××子が結婚後には御帰国ください。」
この「△△△」は、家族しか知らない“どん底生活”をした場所、
「××子」は生まれたばかりの子の名前でした。
つまりこの文は――
「ここはどん底の生活だから来るな。××子が結婚する(=20年後)まで来るな」
という必死のSOSだったのです。
この暗号は無事に届き、家族は帰国を思いとどまりました。
(出典:青山健照『北朝鮮という悪魔』)
⸻
■ 朝鮮総連の役割と責任
帰国事業を主導したのは、**「在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)」**でした。
この組織は、「北朝鮮の海外公民(国民)」として北朝鮮を支持し、
全国に民族学校を建設して教育活動を行ってきました。
しかし、朝鮮総連は北朝鮮政府の方針をそのまま日本で広める役割を担っており、
「北朝鮮政府の代弁者にすぎない」との批判も多くありました。
2002年、金正日総書記が日本人拉致を認めた際には、
それまで拉致を全面否定してきた朝鮮総連に対して、
在日朝鮮人の内部からも批判の声が上がりました。
それでも朝鮮総連は、「長年ウソをついてきた」ことへの謝罪も自己批判も行っていません。
さらに、2003年に北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)を脱退したときも、
総連は直ちにそれを支持する声明を発表しました。
⸻
■ 帰国者が減った理由――“ささやき”で伝わる真実
北朝鮮の厳しい現実は、政府の監視のもとで外に漏れることはほとんどありませんでした。
しかし、帰国者の親族や知人を通じて「ささやき」として日本国内に広がり、
「北朝鮮はひどいことになっている」と気づく人が増えていきました。
ただし、それを公に口にすることはできません。
もし北朝鮮に伝われば、帰国した家族が「情報漏えい」として処罰される危険があったからです。
こうして次第に帰国希望者は減り、
1970年代にはほとんど誰も「楽園」を目指さなくなっていきました。
⸻
■ 北朝鮮の政治体制――党がすべてを支配する国
日本では「国会」「内閣」「裁判所」がそれぞれ独立し、
お互いを監視し合う三権分立の仕組みがあります。
一方、北朝鮮ではそのような制度は存在しません。
朝鮮労働党が国家のあらゆる権力を握り、政府や軍、司法までも党の支配下にあります。
国民の代表とされる「最高人民会議代議員」も、
実際には労働党や政府幹部が自動的に候補者となる形式的な選挙しか行われません。
つまり、北朝鮮では「党=国家=金一家」という完全な独裁体制なのです。
⸻
■ 左派も右派も抱えた“罪悪感”
当時の日本社会には、帰国事業をめぐる複雑な心理がありました。
左派の人々は「日本の植民地支配への罪悪感」から、
「申し訳ありません。新天地で頑張ってください」
と送り出しました。
一方、保守派や政府側は「やっかい払い」の思いから、
「どうぞお帰りください」
と背中を押しました。
しかし結果的に、送り出した先が“地獄のような国”だったことを考えると、
どちらの立場にも重い責任があったと言えるでしょう。
(出典:黒田勝弘『誰も書けなかった朝鮮半島5つの謎』)
⸻
■ 終わりに――沈黙の中で消えた声を忘れない
在日朝鮮人の帰国事業は、理想と現実の落差が生んだ壮大な悲劇でした。
北朝鮮に渡った人々の多くは、二度と日本の地を踏むことなく生涯を終えました。
「地上の楽園」と呼ばれた国の真実を、
いま私たちは歴史から学ばなければなりません。
沈黙の中で苦しんだ人々の声に、耳を傾け続けることが、
同じ過ちを繰り返さないための第一歩です。
