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30年通ったラフォーレ原宿グランバザールが、「ただ安いだけ」になった|自キュン76

安くなった服は買える。でも、あの元気は持ち帰れない。

中学生の頃から、夏も冬も三十年近く通った。
叫ぶ店員、人の波、最終日の爆発セールまで好きだった。

コロナ後、服は今も安くなるのに、
グランバザールは「ただ安いだけ」の場所になった気がする。

これは、自分が年を取っただけなのだろうか。

1912年、社会学者のエミール・デュルケームは、
人々が同じ場所で感情と動きを共有することで生まれる高揚を
「集合的沸騰」として論じました。

ならば、セールから消えたものも、
年齢や安さの問題ではなく、人と人のあいだで熱が移っていく
あの瞬間から考えられます。

今回の主人公は、佐伯 真由美(44歳)。

中学生の頃から三十年近く通ってきたグランバザールへ、
今年は姪の莉子を連れていくことになります。

少し、彼女の夜を覗いてみましょう。


「そんなにすごかったの?」

「何が?」

「グランバ。さっきから昔の話しかしてない」

真由美はスマートフォンから顔を上げた。向かいに座る姪の莉子が、アイスティーのストローを噛みながら笑っている。七月二十三日から始まるグランバザールの案内を見せただけなのに、いつの間にか初日の回り方と最終日の値下げを説明していたらしい。

「莉子が行ってみたいって言ったんでしょ」

「叔母さんが毎年行くって聞いたから。セールならネットにもあるし、何が違うのかなって」

「説明するより、一回行けば分かる」

「今のグランバで?」

聞き返されて、真由美は答えに詰まった。今も服は安くなるし、日替わりの企画もある。けれど、自分が話していたのは現在の案内ではなく、若い店員たちの声がビルの外まであふれていた頃のことだった。

「ラフォーレ原宿グランバザール! ここだけの限定価格が、どこよりもお安くなっています!」

突然、昔の調子を真似ると、莉子が目を丸くした。

「叔母さんが叫ぶの?」

「店員さん。お店の前で、みんなこれくらいの声を出してたの」

「喉、終わらない?」

「最終日は少しかすれてた。でも、それがまたよかった」

中学生だった真由美が初めて訪れた日、入口は少し怖かった。自分より何歳か上なだけの女の子たちが、髪の色も靴の高さも、学校で会う誰より大人に見えた。地下へ下りる階段で一度は帰ろうとしたのに、下から押し上げてくる声と音楽に背中を押され、そのまま人の流れへ入った。

「お姉さん、これ絶対似合いますよ」

店員に渡されたのは、どこへ着ていけばいいのか分からない服だった。黒い布の片側だけが長く、金具がいくつもついている。母と来ていたら棚へ戻したはずなのに、その日は試着室へ入った。

「でも、こういうの着たことなくて」

「着たことないから、今日着るんです」

「学校には無理ですよね」

「学校に着ていかなくていいですよ。休みの日の自分まで、学校に合わせなくていいじゃないですか」

三十分後、真由美はその服を抱えてレジに並んでいた。似合うと言われたことより、学校に合わせなくていいと言われたことを、帰りの電車で何度も思い出した。服と一緒に、いつもの自分から少しはみ出してもいいという許可を買ったのだと思う。

「それ、まだ持ってる?」

「さすがにない」

「写真は?」

「あるけど見せない」

「じゃあ、似合ってなかったんだ」

「似合ってた。時代が追いついてなかっただけ」

笑いながら言い返すと、莉子はますます見たがった。あの服を着た自分を今の写真フォルダへ並べるのは恥ずかしいのに、捨てたはずの記憶が誰かの興味で輪郭を取り戻すことは、少しうれしかった。

それから真由美は、夏も冬もグランバザールへ通った。初日に目当ての服を買い、二日目には追加の値下げを見て、三日目には声をからした店員にまた来たのかと笑われる。欲しいものが見つからなくても、建物の中へ入れば何かが起きている気がして、時間があれば連日のように足を運んだ。

最終日の爆発セールは、本当に投げ売りだった。店員が値段を叫ぶたびに人が集まり、客が笑うと店員も笑い、誰かが手に取った服を見て、予定のなかった人までラックへ手を伸ばす。結局一度しか着なかった服もあるのに、損をしたとは思わなかった。

「いらないものを買ってるだけじゃない?」

「今ならそう言える。でも、あそこでは、いらないものを買える自分も楽しかったの」

「無駄遣いをきれいに言った」

「違うよ。会社で着られるとか、長く使えるとか、誰かに変だと思われないとか、普段はそういう理由で選ぶでしょ。グランバだけは、好きかどうかを最初にしてよかったの。しかも周りもみんな、少しおかしくなってた」

「それは祭りだね」

「そう。セールじゃなくて祭りだった」

買い物を終えて外へ出ると、腕には袋が食い込み、足の裏も痛かった。それでも表参道駅まで歩く頃には、来たときより少し元気になっている。体力を使い切る場所でありながら、別の種類の体力をもらえることを、当時の真由美は不思議だと思わなかった。

その熱が変わったのは、コロナ禍で大きな声や密集を避けるようになってからだった。必要な自粛だったし、誰かを責めたいわけではない。ただ、制限がなくなったあとも、真由美が待っていた活気は同じ形では戻ってこなかった。

音楽は流れている。赤い表示も、割引の数字も、袋を提げた人もいる。必要な部品はそろっているのに、祭りだけが始まらない。昔なら入口へ立った瞬間に「今日は何かが起きる」と思えた場所で、今は「今日は安く買える」と分かるだけになった。

「それって、叔母さんが大人になったからじゃないの?」

莉子の問いは、真由美も何度も自分へ向けていた。四十代になった体力で、若い頃と同じ興奮を求めているだけかもしれない。新しい客には、声を張らない接客のほうが心地よく、今の服のほうが使いやすいのだろう。

「たぶん、それもある」

「じゃあ、なくなったんじゃなくて、叔母さんが卒業しただけ?」

「それだけなら、こんなに寂しくないと思う。私が着られない服ばかりでも、店員さんとお客さんが楽しそうなら、それを見に行けた。でも今は、みんな静かに値札を見て、静かに買って帰るでしょう。安い服は残ってるのに、あそこで知らない人から元気をもらう感じがなくなったの」

「知らない人から元気をもらうって、どういうこと?」

「自分一人なら絶対に選ばない服を、店員さんの声で試してみる。誰かが笑って走ると、自分も少し急いでみる。買うものがなくても、人が楽しそうにしてると、今日は来てよかったって思う。こっちが興奮すると店員さんももっと叫んで、その声で別の人が集まる。誰が最初だったか分からなくなるくらい、元気が回ってたの」

「元気のタイムセール?」

「それ。しかも持ち帰っていいやつ」

人々が同じ場所へ集まり、同じものへ注意を向け、動きや感情を共有すると、ひとりでは生まれない高揚が立ち上がることがある。デュルケームが論じた「集合的沸騰」は、祭りや儀式の中で感情が互いに強められ、集団に一体感と活力が生まれる状態を表している。

近年の研究でも、共有された注意、動きの同調、感情の同期を伴う集合的な場では、感情が普段以上に強まり、人との結びつきや力を得た感覚に関係することが示されている。

昔のグランバザールで真由美が受け取っていたのも、服の値引きだけではなかった。叫ぶ店員の声、地下へ吸い込まれる人の流れ、知らない客と同時に笑う瞬間が互いを強め、その場全体が大きな生き物のように動いていた。疲れるのに何日も通えたのは、使った体力とは別の場所へ、感情のエネルギーが充電されていたからだ。

「じゃあ、今年は行かないの?」

「初日は行くよ」

「私も?」

「そのつもりで話してたんじゃないの?」

「昔ほどじゃないなら、面白くないのかなと思って」

真由美は公式サイトの日程をもう一度見た。七月二十三日から二十七日まで。毎日午後三時からタイムセールがあり、最終日には在庫を売り尽くす値下げも予定されている。昔と同じ言葉は並んでいるが、最終日の予定をカレンダーへ入れる気にはなれなかった。かつて火事場のようだった場所で、消えた火を確かめるのが寂しいからだ。

「初日以外は行かないの?」

「いいものは初日になくなるし、そのあとは、安いだけならネットでもいいかなって」

「でも、私、最終日の爆発セールを見てみたい」

「今は爆発しないかもしれないよ」

「叔母さんが昔と比べる横で、私は初めて見るんでしょ。だったら、同じものを見ても違うかもしれない」

莉子はカレンダーを開き、初日ではなく最終日の七月二十七日を指した。

「私は昔を知らないから、今のグランバがただ静かなだけなのか、別の楽しみ方があるのか見たい。叔母さんは初日のいい服を見て、私は最終日の残りものを見る。二回行けばいいじゃない」

「簡単に言うね」

「昔は連日行ったんでしょ?」

「三十年前の私と張り合わないで」

そう言いながら、真由美は最終日の予定を開いた。消えた熱を確かめに行くのではなく、初めて来る誰かが何に反応するのかを見るのなら、同じ場所でも少し違って見えるかもしれない。

昔に戻ってほしいわけではない。店員が大声を出し、とがった服を並べれば、あの熱がそのまま再現されるとも思わない。祭りは建物や名前に保存されるものではなく、その日に集まった人のあいだで、火が移るように生まれるものだからだ。

「最終日、十五時からだって」

「行く?」

「一時間だけ」

「絶対、一時間で帰らない人の言い方」

真由美が七月二十七日へ予定を入れると、莉子も同じ時刻を自分のスマートフォンへ打ち込んだ。二つの画面に同じ予定が灯るのを見ていると、昔の声を思い出していた胸の奥に、ごく小さな熱が戻ってくる。

それは、あの頃のグランバザールから持ち帰った元気ではない。まだ行ってもいない今年の最終日を、誰かと待つことで生まれた、新しい火だった。


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あとがき

セールの魅力は、値段だけではありませんでした。叫ぶ店員、流れ込む人、知らない客の勢いが互いを強め、疲れているのに元気を持ち帰れる場所がありました。今回は、その熱が消えた寂しさを年齢だけのせいにせず、それでも次の誰かと新しい火を待てるところまでを書きました。

今回の学術メモ

集合的沸騰は、社会学者エミール・デュルケームが1912年の著作で論じた概念です。人々が集まり、注意、動き、感情を共有することで、普段より強い感情と一体感が生まれる状態を指します。2022年のメタ分析では、集合的沸騰が感情的な高揚、社会的な一体感、力を得た感覚などと関連することが整理されています。本稿では、セール会場で服と一緒に「元気を持ち帰った」という体験を読む補助線として使いました。


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