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知らない人の善意を、どこまで信用できますか?

うちの奥さんは、車の運転をしているとき、道で困った人がいたら乗せてあげたくなることがあるらしい。たとえばおばあさんとか、明らかに難儀にしている人がいると、手助けしたくなるのだとか。

先日、国分寺の駅前に、明らかに一人で運ぶのがギリギリの重量のものを2つ運んでいるひとがいた。家具なのか家電なのかわからないのだが、とにかくひとつを持つのがギリギリという感じのものを、2つ運んでいたのである。

ちょっと運んでは、そのへんの柵や電柱みたいなところに立てかけ、またちょっと運ぶ……という具合。確かに、このぐらい困っている人であれば、手助けしたいと思ったとしても不思議ではない。明らかに助けを必要としている。

しかし現代の日本、特に東京では、見ず知らずの人を手助けすることは基本的にしない。もちろん、あきらかに体調が悪そうな人とか、怪我人などになると別だが……。

冷たいといえば冷たいのだけれど、世の中には変な人もいるので、うかつに関わると大変なことになることもある。善意に見せかけて危害を加えるおかしな人がいるから油断はできない。

無許可での白タク行為(営業行為)は禁止されているが、完全なる善意で、無料で見ず知らずの人を車に乗せてあげるのはどうなのだろうか。まあ、それがOKということになったとしても、やはりやらないとは思うが……。

ヒッチハイカーなど、向こうが要求しているならまだしも、全く知らない人に手を差し伸べることは基本的にないだろう。

こういったことは考えるまでもなく当たり前のことかもしれないけれど、社会全体でみれば、やはり損ではある。せっかく使えるリソースがそこにあるのに、使えないということになるからだ。

たとえば思考実験として、「この人は何があっても悪いことをしない人です、善人です」というのがスコア化されていて、その人の車ならば安全に乗り込むことができるとする。善人同士だったら、ここでマッチングは発生するのだろうか。

「私は善人です、これが証拠です」という人が近づいてきたら、それは相当怖いと思うが……。

 「その人が善人かどうかを判断する」仕組みがあったとしたら、それはそれでまた別の問題が生まれそう。善人判定されていない人のことは、全員犯罪者のように思えてしまうかも。

知らない人の善意を信用する仕組みってやっぱりそんなにないよな、と思う。一方で、飲食店では知らない人が作った料理を口に運んでいるし、それこそタクシーなら見ず知らずの人が運転している車に身を委ねていることになる。

それもこれも、「相手がプロ」であり、「対価を払っている」からこそ、なせるわざだ。当たり前すぎる社会の仕組みではあるのだけれど、すごくよくできているなあ、と。そこから一歩外れて、お金を介在しない関係に持ち込もうとすると、途端におかしなことになる。



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