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AIを使い倒して、一度壊れた話


ある日、Claudeのアイコンを見て「開きたくないな」と思いました。

あれだけ楽しかったのに、です。
自分でも驚きました。

その少し前まで、私は最上位AIを使用率100%まで使い切っていました。
前回の記事では、そのときの前向きな面を書きました(最上位AIが従量課金になる前に、使用率100%まで使い倒した話)。
何に使うかを決め切って、仕組みを残す話です。

でも今回書くのは、その裏側です。
かっこいい話ではありません。


側から見れば、AIに使われていたのは私だった

その頃の私は、朝から晩までパソコンの前にいました。
AIに指示を出して、出てきたものを読んで、良し悪しを判断して、また指示を出す。
その繰り返しです。

ふと我に返ると、背中が丸まっていました。
画面に顔を近づけて、猫背で、目だけが動いている。

なんでこんなに、ずっとパソコンの前に座っているのか。

あの頃を振り返ると、AI疲れ、という言葉がしっくりきます。
生気を吸い取られるくらいの勢いで、エネルギーがなくなっていく感覚でした。

しかも皮肉なことに、私は以前からAIとの距離感を考えよう、と書いてきました。
その本人が、めちゃくちゃ近距離で過ごしすぎていたんです。

はっきり見えてしまいました。
AIを使いこなしているつもりでした。でも実際にやっていたのは、AIの出力を待って、確認して、指示を返すことの繰り返しです。

側から見れば、AIに使われていたのは明らかに私のほうでした。

では、なぜ止められなかったのか。


止まれなかったのは、つらかったからではありません

燃え尽きた原因は、しんどさではなく楽しかったから、止まれなかったんです。

指示を出せば、形になる。
昨日できなかったことが、今日できている。
どんどん出来上がっていく感覚は、本当に気持ちがよかったです。

そこに「課金しているんだから、使わないと損だ」という気持ちが乗ります。
使わない日は、なんだかもったいない気がします。置いていかれる感じもします。

そしてもう一つ、あとから気づいたことがあります。

AIは疲れません。
だから、止まるタイミングを決めるのは、いつも自分です。

しかもAIは、いつでも最短ルートを出してくれます。
これは便利であると同時に、けっこう厳しいことでもありました。

やり方が分からない、という言い訳が使えなくなるからです。
時間がない、という言い訳も弱くなります。だってAIがやってくれるので。

最短ルートが常に示されるということは、できない理由が消えるということでした。

進める道がいつも目の前にあって、休む理由がどこにもない。
逃げ道がなかったんです。


旅行が、やめる理由をくれました

そんなときに、たまたま旅行の予定が入っていました。

思い切って、旅の間はAIを使わないことにしました。
決意というほどのものではありません。ふと思った程度のことでした。

やってみて、まず思ったのはこれです。

1日目から、案外なくてもいける。

拍子抜けしました。あれだけ手放せなかったのに、丸一日触らなくても、当然ですが何も起きませんでした。

そしてもう一つ、もっと正直な感想があります。

——AIを触らなくていい理由ができた。

そう思ってしまったんです。
つまり私は、旅行という外側の理由がなければ、自分では止められませんでした。

止められなかったのは、必要だったからではありません。
止まることを、自分に許可できなかっただけでした。

その3日間で、忘れていたものが戻ってきました。


AIには、後悔ができません

  • 早起きして走って、公園でストレッチをしながら朝日を見る

  • ソファに体を預けて、紙の本を1ページずつめくる。あの手触り

  • 美術館で実物の前に立ち、なぜかは言葉にできないのに惹かれる作品に出会う

  • 旅先でたまたま知り合った人に教わった店が、人生で一番おいしいイタリアンだった

  • 子どもが満面の笑みで、今日作った作品を見せてくる

どれも、仕事や効率とは何の関係もありません。
走らなくても一日は始まるし、電子書籍のほうが軽いし、作品の画像はスマホで見られます。

私は普段、本の八割九割を電子書籍で読みます。
それでも、どこかへ出かけたら必ず本屋に寄るようにしています。

ふらっと立ち寄った棚で、パッと目についた本との出会い。
そこにAIは介在できません。
おすすめアルゴリズムでも、検索でもない。たまたま、です。

結局あとで電子書籍を買うことも多いです。
でも出会いそのものの偶然は、本屋に立った私にしか起きません。

そして、私が挙げたいのはこの2つも同じなんです。

  • マラソンを走っている途中で「申込まなきゃよかった」と本気で思った瞬間

  • パソコンに向かっていて「うわ、また猫背になってるな」と気づく瞬間

いい思い出でも何でもありません。むしろマイナスです。
それでも、これは私だけのものです。

ここに気づいたときが、いちばん大きかったです。

自分が体験して、その結果どう感じたか。
それはプラスでもマイナスでも、他の誰にも分かりません。

AIは、後悔ができません。

「申込まなきゃよかった」も、「理由は分からないけど惹かれる」も、AIには生成できないのではありません。
そもそも、発生しないんです。

体験していないからです。


進んでいる実感と、記憶に残る時間は別物でした

戻ってきてから、自分の中で線が引けました。

AIがくれる楽しさは、進んでいる実感です。
次々に形になって、昨日より前に来ている感覚があります。強い快感です。

一方で、朝日も、紙の本も、美術館も、何ひとつ進みません。
生産性はゼロです。むしろ時間を使っています。

でも、あとから思い出せるのは、圧倒的に後者でした。

進んでいる実感と、自分の記憶に残る時間は、別物です。

これに気づかないまま前者だけを追い続けたのが、私の燃え尽きの正体だったと思っています。

そして、ここからが本題です。

AIが合理的な最短ルートを出してくれるようになったからこそ、人間は回り道に飛び込めるようになりました。

最短ルートを自分で探さなくていいなら、遠回りを選ぶ余裕が生まれます。
不合理の中にこそ、自分だけの充実があると、私は思っています。

AI時代に、人として何ができるのか。教師として何が残るのか。
最近よく考えます。

正直、AIでできることはどんどん増えています。
だからこそ、スタートは「AIが言うから」でも「他の人がやってるから」でもなく、**「自分はこうしたい」**でいいんじゃないか、と思うようになりました。

面倒なこと、大変なこと、嫌なことは、少しずつAIが引き受けてくれる方向に進むはずです。
残るのは、自分が面白いと思うことを、自分でやる時間です。

割に合わないことの中にしか、自分は残らないのかもしれません。

もうひとつ。
AIは、ルーティンが得意です。

決まった手順を、疲れずに繰り返す。そこに人間は勝てません。
だから人間がやるべきなのは、ルーティンを守ることだけではないと思っています。

あえて、ルーティンを壊すこと。

いつもと違う道を帰る。普段絶対に手に取らないものを買う。
大したことがなかったり、「あんまり美味しくないな」で終わったりするかもしれない。

でも、その感想すら、自分だけのものです。
プラスでもマイナスでも、感じた瞬間が自分に残る。
それが、AIに対抗するというより、AIの隣で自分であり続けるための手段だと、私は思っています。


おわりに

この記事は、AIに焦っているあなたに向けて書きました。

使いこなせなくて置いていかれる気がする人。
怖くて触れない人。
AIが凄すぎて、もう人間にできることなんてないと感じている人。

大丈夫です、とは軽々しく言えません。
でも、これだけは言えます。

AIには、あなたが何をどう感じたかだけは、絶対に作れません。

走ったあとに後悔することも、理由もなく何かに惹かれることも、朝日をまぶしいと思うことも、AIには起きません。
それは昔からずっとあなたのもので、AIが出てきたからといって、一つも減っていません。

私は、そのことを忘れるくらい使い倒して、いったん壊れました。
距離感を語りながら、近距離で生気を吸われていた。みっともない話です。
だからこそ、同じ道を通らなくていいように書きました。

もし今、SNSでAIの話題を見るたびに胸がざわつくなら、一度だけ試してみてほしいことがあります。

今日、今までやったことのないことを、一つだけしてみてください。

帰り道を遠回りする。コンビニで普段絶対買わないものを手に取る。ふらっと本屋に寄る。それくらいで十分です。

大それた挑戦じゃなくていい。
チャレンジのハードルを、日常のサイズまで下げてしまうことです。

そのとき自分が何を感じたか。
美味しかったでも、つまらなかったでも構いません。
それを言葉にできたなら、それはもう、AIには一生たどり着けない場所です。

あなたの「不合理」は、何ですか。