私たちは『そっち側』に行くことにした。
数ヶ月の間に、衝動性やこだわり、自傷行為などが出てきたことで、息子の「安全」が心配になり、わが家は療育へ通うことにしました。
受給者証の申請をするため、かかりつけの小児科で「意見書」を出してもらったその足で、市役所へ向かいます。
窓口で番号札を取り、自分の順番を待ちます。
受給者証の申請は福祉サービスの窓口。
保育関係の申請窓口と隣り合っています。
でも、なんとなく雰囲気が違う。
そんなことをぼんやり感じながら、待つこと数十分。
ようやく私の番号が呼ばれました。
「今日はどうしましたか?」
そう聞かれたので、
「子どもの受給者証の申請に来ました」
と伝えます。
いくつか書類を渡され、その場で記入していきます。
その中にあったのが、
「障害児通所受給者証」
という文字でした。
……なかなか、目に刺激の強い言葉です。
「そうか。私は今、こういうものを申請しているんだな」
なんとも言えない気持ちになりながら、ペンを走らせました。
そして、もう一つ。
このとき、なぜか職員の方の口調が「タメ口」でした。
このときは、
「まあ、偶然かな」
くらいに思っていました。
でも、その後も何度か福祉サービスの窓口を訪れましたが、同じような対応をされることが複数回。
保育関係とは、なんとなく違う。
一般的な行政サービスの窓口とは、明らかに違う。
私が最初に感じた「あの違和感」の正体の一つは、これだったのかもしれません。
……障害者福祉のお世話になることの、洗礼を受けた。
そんな気分になりました。
「後日、相談支援員さんの決定通知を送りますので、お待ちください」
という案内を受け、その日の申請は終了しました。
案外、さっくりと手続きが完了しました。
そのとき、
「私が思っていたよりも、呆気なく『そっち側』に行くんだな」
なんて感じたような記憶があります。
息子は昨日も今日も、変わらず『息子』のまま。
でも、社会から見たときの属性が、今日からは少し違う。
……そして、その親である私も。
今日からは、少しだけ違う。
良いとか悪いとか、嬉しいとか悲しいとか、そういう分かりやすい名前をつける気にもなれない。
なんだか妙な気持ちを抱えたまま、私は役所を後に、仕事に向かいました。
すぐに、出社後の段取りを考えはじめます。
『会社モード』に脳をチェンジしながらも、心は市役所に残ってる。
種類の違う液体どうしがなかなか混ざり合わず分離するように、どこかぎこちなさを感じたまま。
ひときわゆっくりと自転車を漕いでいました。
