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ボランティアとは:自噴する志、調和する献身


語源から見るボランティア:内なる火山の噴火

 先日、ある研修で「スーパーボランティア」の報道記事を端緒に、「ボランティアとは何なのか」を深く議論する機会を得た。そこで再確認したのは、ボランティアという言葉の極めてダイナミックな本質である。
 ボランティアの語源は、ラテン語で自由意志を意味する「Voluntas」にあるが、火山を意味する「Volcano」と同根であるという。この「自噴する」というイメージこそが、ボランティアの原点だ。外部からの要請や義務感ではなく、内側から突き動かされる「自分がやりたい」という衝動。
 つまり、ボランティアの出発点は徹底した「自己決定」にある。そして、そのエネルギーが「人の生存に寄与すること」に向けられたとき、初めてボランティアという概念が成立するのである。

覚悟と自己満足の狭間で

 研修では、参加者からボランティアのあり方について鋭い洞察が寄せられた。
 第一に、困難を自分事として消化し、「してあげる」という驕りを排した境界線のない姿勢。
 第二に、「ありがとう」という言葉を糧にしつつ、自らの行動に強い覚悟を持つ精神性。
 第三に、博愛精神を持ちつつ、現場のニーズを自ら見出し、他者に依存せず完結させる覚悟である。
 
 ここで注目すべきは、「自己満足の追求」という側面を否定できないという意見だ。しかし、これは決してネガティブな意味ではない。自らの魂を歓喜させるために動くという「エゴ」が、結果として他者の利益と一致する。この「究極の自己満足」があるからこそ、見返りを求めない無償の奉仕が可能になるのだ。

継続を担保する「見極め」の知恵

 さらに私自身が最も深く共鳴したのは、ボランティアに超人的なストイックさは必須ではなく、「自分のできる範囲」を見極めることこそが中心であるという考え方だ。
 自発性を本質とするからこそ、その活動は「自らの意志」によってコントロールされていなければならない。無理をして自分を削り、疲弊してしまえば、それはもはや自噴ではなく「漏水」となってしまう。自らのキャパシティを冷静に見極め、足りない部分をそっと補うような「分相応」の関わり方こそが、貢献の質を保ち、活動を継続させる鍵となる。

 スーパーボランティアの姿は、私たちに「究極の自立」と「献身」の両立を示している。しかし、私たちは彼らと全く同じである必要はない。むしろ、彼らのやっていることを後追いするような姿勢は、他者評価を軸としており、「自噴」とは言えなくなる。
 ただ、自らの内なる火を絶やさない程度に、軽やかに、しかし確かな意志を持って社会と関わり続けること。そんな「小さな自噴」の集積こそが、ボランティア社会につながるのだと思う。