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意志と構造のダイナミズム:ボランティアという「個人の徳」を支える「社会の機能」


ボランティアは環境決定論的な現象ではないはず

 「ボランティア元年」という言葉は、しばしば特定の災害や事件に結びつけて語られる。しかし、歴史を俯瞰すれば、大正期の社会事業や1970年代の市民活動の勃興など、日本社会には幾度もの利他性の波があった。
 ボランティアを特定の時点に端を発する「現象」と捉える見方は、社会環境が整えば起きるが、そうでなければ存在しないという環境決定論的なニュアンスを帯びてしまう。

 本来、ボランティアを成立させる一次的な要因は、個人の特性やパーソナリティにある。他者の苦痛に共鳴する感性や、自らの存在を社会に役立てたいという根源的な心性は、いわば活動の「種(たね)」である。しかし、この内発的な意志が具体的に芽吹くかどうかは、二次的な条件である「社会の在り方」という土壌に少なからず左右される。

土壌としての社会の在り方

 この社会的な土壌を点検する視点は多岐にわたる。例えば、困難を抱える人の状況を適切に伝える「可視化」の仕組み、活動に伴う身体的・経済的な不利益を「補償」する制度などが挙げられる。
 加えて、人を助けるための技量や知識を習得する「機会」の整備も重要だ。ボランティアに求められる技能とは、特別な資格に限らない。むしろ、日常の中では当たり前すぎて見過ごされているような「生活の知恵」や「対話の作法」といったものが、支援の現場という適切な場と接続されることで、初めて社会的蓄積を持った「技量」へと磨かれるのである。

 このように「個性と社会の交錯」としてのボランティアを促す際には、ボランティア活動の類型ごとに適合的なパーソナリティと制度整備の差を配慮すべきだろう。
 緊急時の「瞬間的な救助」においては、個人の高い熱量と即応できる技量が求められ、これを活動時の不利益を担保する補償制度などの社会的仕組みが支えることが鍵となる。
 一方で、日常の中の「継続的な共生」においては、粘り強い忍耐と状況に合わせて技量を変容させ続けられる個人の資質が求められ、それを支える社会条件としては、潜在化しがちな「困りごと」を絶えず発見し共有する可視化の仕組みと、ボランティアが一人で抱え込まなくて良いという継続性の確保が重要となるのだろう。

ボラティア活動(行動)のための生態系

 結局のところ、ボランティアとは、個人のパーソナリティの中にひそかに潜在している「利他へと自噴する熱」が、社会の構造によってキャッチされ、増幅されていくプロセスに他ならない。
 私たちが目指すべきは、ボランティアを環境決定論的な「現象」として見るのではなく、個人の意志が自然に社会の機能へと接続される「生態系」をデザインすることである。歴史の中で幾度も立ち上がってきた人々の利他性を、一過性のブームに終わらせないための柔軟な社会の在り方を問い続ける。その歩みの中にこそ、成熟した共生社会の姿がある。