地縁のアンバンドリング:『サービス』と『公共財』の境界線
第1章:生存と乖離する地縁のパッケージ
自治会への加入・非加入とゴミ集積所の利用をめぐる対立は、現代の地縁組織が抱える機能のミスマッチを象徴している。かつての村落共同体における水利整備のような生産基盤を支える共同作業は、個人の生存に直結していた。対して、現代のゴミ収集は消費活動の残滓処理に過ぎず、短期的には生存に関わらない。この「生存との乖離」が、不自由な共同体に加入するコストと便益のバランスを崩壊させ、地域社会に深刻な亀裂を生んでいる。
この問題に対し、近年の裁判例は「自治会加入は義務ではないし、非加入者も集積所を利用できる。ただし、相応の管理コストは支払うべき」という判断を示した。一見、受益者負担の原則に基づいた合理的な裁定に見えるが、これは共同体の機能を「サービス」として切り出し、価格を付ける「サービス化」を司法が追認したことに他ならない。
第2章:サービス化の陥穽と公共経済学的視点
しかし、こうした機能の切り売りによる解決は、共同体の本来の価値をむしろ掘り崩す危険を孕んでいる。地縁組織がゴミ処理の管理代行者へと変質すれば、住民は「構成員」ではなく「消費者」となる。便益を金銭で精算できる関係においては、対価を払えない弱者は排除され、消費者はサービスに不満があれば立ち去るだけで、組織を維持する責任を負わなくなるからだ。
ここで公共経済学の視点に立てば、共同体の機能は、その性質によって二つに整理されるべきであることがわかる。第一に、ゴミ収集のような機能は、対価を払わない者を排除可能な「排除性」を持つ。これは市場や行政システムに馴染むものであり、アンバンドリング(機能の分離)の対象として適している。
一方で、防犯や「緩やかな見守り」といった機能は、特定の個人だけを排除することが困難な「非排除性」と、一人の消費が他人の消費を妨げない「非競合性」を備えた純粋公共財に近い性質を持つ。また、日常の挨拶や親睦が地域の治安維持に寄与するといった外部経済性(意図せざるプラスの効果)も有している。
第3章:地縁の純化――公共財としての再編
こうした「公共財」としての機能を、非加入者を除外して運用しようとすれば、地域全体の安全性が損なわれるという負の外部性が生じ、結局は住民全員の不利益に繋がる。したがって、ゴミ収集のような「私的財」に近い実務機能は行政システムとして切り離し、住民間の不毛な対立を解消すべきである。
その一方で、アンバンドリングすべきでないのは、まさに外部経済性の源泉となる祭礼や親睦、あるいは「緩やかな見守り」といった情緒的・文化的機能だ。これらは金銭的なコストと便益で計れない「社会関係資本」であり、数値化して切り売りした瞬間にその価値を失うものである。このような機能については、フリーライダーが生じることは前提となる。便益を享受の範囲を制限できない以上、機能を発揮させ維持するコストを負担可能な範囲でやっていくということになる。ここを変に経済合理性で片付けるのは共同体にとって得策ではないし、そのような発想を蔓延させる極端なエゴイズムは主張すべきではない。
非加入者が相当数存在する現代において、共同体を守るとは、特定のサービスで住民を縛ることではない。ゴミ収集のような「コストの押し付け合い」を招く機能を大胆に捨て去り、強制性を排した「自発的な結びつき」へと地縁を純化させること。それこそが、効率化の波に洗われながらも、人間が真に必要とする「頼り合える余白」を次世代へつなぐ唯一の道となるだろう。
